【葉と灯台編】54:xx16年11月22日
オフホワイトの外観は古さと同時に威厳や伝統を感じさせる。
イギリスのコッツウォルズ地方の雰囲気を感じさせる広い敷地の一角、
普通教室のある一般棟を出て正門へ向かう生徒たちの中、
肩より少し長いミディアムボブの銀髪を揺らす女子生徒が一人歩いている。
正門への道は緩やかな曲線を描いており、
まるで海外の田舎町のような牧歌的な雰囲気が漂う。
道の脇には小川が流れ、その向こうには綺麗に整えられたイングリッシュガーデン、
更に奥には礼拝堂が佇んでいるのが見える。
「乃亜ー」
後ろから声をかけられ振り返った。
親しくしているクラスメイトの二人である。
えんじ色の髪をポニーテールにし、少し焼けた肌で手を振る少女は燈子、
隣の、青色の髪を後ろで三つ編みにした淑やかな雰囲気の少女は小百合と言う。
二人は小走りに駆けてきた。
「斉王さんも今帰りですの?」
「はい。お二人はクラブはいいんですか?」
「陸上部は今日校庭メンテナンスが入っちゃってさ、休みなんだよね」
「茶道部はお休みですのよ。駅までご一緒しません?」
「ええ、ぜひ」
そうして三人でゆったりと並んであるけば道幅はほぼふさがってしまう。
けれどそれで問題が起きるようなことはないらしい。
この学校の生徒は皆、時間にも心にも余裕を持っている生徒が多いような気がする。
石レンガで作られた門柱、アイアンのアーチを抜け駅へと歩く。
雑談しながら歩く中、燈子が思い出したように声を上げた。
「せっかくだし、帰りにお茶していこうよ。
こないだクラブの先輩に、美味しいケーキのお店聞いたんだよね!」
「あら、素敵ですわね。どんなケーキがありますの?」
「オススメは季節のショートケーキとタルトって言ってたよ」
「まぁ、タルト!わたくし、タルトには目がありませんの。ぜひ行きたいですわ」
小百合が目を輝かせ手を叩く。
燈子も嬉しそうに笑い、乃亜にも声をかけた。
「乃亜、どう?」
「とても素敵なお誘いなんですが、今日は定期検診があるので……」
本当に嬉しい誘いではあるのだが、予定がすでに入っている。
乃亜が申し訳ないように苦笑いを浮かべると、
二人は納得したように、ああ、と短く声を上げた。
小百合は乃亜の、サポーターが付いた左腕を見ながら言う。
「その後いかがです?お怪我の具合は……」
「日常生活にはほぼ支障はないので、大丈夫ですよ」
「ならいいけど、無理はしちゃだめだよ。
治りかけがいっちばん気をつけなきゃいけないからね」
陸上部で活動している燈子が言うと説得力がある。
乃亜はそれに笑顔で頷いた。
やがて駅にたどり着き、二人は逆の方向に行くらしい。
別れを告げ、乃亜は自身の乗る電車のホームへと向かう。
丁度電車が来たところだった。
少し小走りにホームへの階段を上がり、乗り込む。
空いている席へと腰かけ、乃亜は膝の上に鞄を乗せた。
怪我をして約三か月。
右腕や肩、首回りについてはいくらも回復した。
とはいえまだ、診療所が提携している整骨院には定期的に通っている。
また、左腕に関しては友人たちに話した通り、
以前のような慢性的な痛みはなくなり、
日常生活ではさほど支障がない程度には回復している。
当初のような、ギプスシーネは外れ、今は伸縮性のあるサポーターだけだ。
とはいえ、重いものを運んだり、
長時間ずっとペンを持ち続けると言ったことをすると痛みはある。
確実に回復はしているものの、まだ痛みはなくなり切ってはいなかった。
支障がないのはあくまで日常生活であり、
ヴァイオリンには触れられない状態は継続している。
だが8月に四人で旅行に行って以来、乃亜には焦りはなくなっていた。
はやくヴァイオリンを弾きたいとは思うが、
それは自身の中の焦燥感や、憤り、弾かなければという気持ちからではない。
純粋に、ヴァイオリンという楽器に対する愛着のためだ。
ヴヴ、と短くスマートフォンが震えたことを鞄越しに感じる。
乃亜は鞄の中からスマートフォンを取り出した。
CORDの新着、ましろだった。
『明日、予定通りで大丈夫?』
明日は祝日で休みである。
11月も半ばを過ぎ、12月に入れば期末試験がある。
その前にお茶でもしようという話になっていたのだ。
『大丈夫ですよ』
『オッケー。じゃ、11時によろしくね』
ましろとは変わらず良い友人関係を続けている。
夏にあった自分が心身ともに疲弊した出来事以来、
ましろは定期的に時間を作って会おうと言ってくれるようになった。
なんだか申し訳ない気もしたし、無理をしないでいいとも言ったが
ましろは自分がそうしたいから、と言うばかりであった。
乃亜としても、ましろとの時間はとても心地よいので異論はない。
ましろとのチャットルームを閉じたあと、一覧画面が表示される。
乃亜はましろの名前の下のチャットルームに目が向かい、
思わず、深く微笑んでしまう。
___煉矢さん……。
8月の旅行以降、煉矢とは不思議な関係が続いている。
なにかこちらの気持ちを察せさられているような気もするし、
なにか、以前とは違う距離感で接してくれるようになった。
また、その旅行以前より、格段に連絡を取り合うようになったと思う。
ただ頻繁に会っているかというとそうでもない。
煉矢は今大学4年生。
つまり卒業を控えている立場だ。
5月末に帰国して以降、事前にオンラインなどでゼミには参加していたようだが
帰国してから本格的に卒業論文のための研究、制作に入った。
それと並行して就職活動も進め、先日内定式も無事に終えたと聞いた。
今現在は卒業論文制作の真っ最中らしく、
静にも聞いたが、今の時期は最も忙しいらしい。
だがそれでも、CORDでのメッセージのやり取りは続いている。
チャットルームを開くと、先日のやりとりが表示された。
『兄さんから聞きましたが、卒業論文、今が一番忙しい時期なんですよね』
『まぁそうかもしれないな。
だからこうしてCORDでやりとりできるのはいい休憩になる』
『あの、休まれたほうがいいんじゃ……」
『休んでるな。現在進行形で』
まるで自分とやり取りすることが休憩だと言うような言い回しに
受け取った当初は赤面を抑えられなかった。
『あまり、根詰めすぎないでくださいね』
『ありがとう。ひと段落したら、今度こそ、誘ってもいいか?』
『え』
『今度は受けてくれると嬉しいが』
『あの時のことをぶり返さないでください……』
『悪かった。都合が付けばでいい。また連絡する』
CORD上は落ち着いて返答しているように見えるが
まるでデートの誘いのようなそれに焦ったのは言うまでもない。
乃亜は頬が熱くなるのを感じてスマートフォンを閉じた。
煉矢とは想いをかわしあったわけではない。
恋人という明確な名前のついた関係ではないのだ。
しかし、それでも、ただの思い上がりや
自惚れではないようにも感じるようになってきた。
乃亜は顔の熱を下げるようにひとつ息を吐き出し、
流れる車窓の外を見た。
その表情には隠し切れない歓びが広がっていた。
暁天総合大学。
都心から少し離れた郊外に位置するその大学は、
日本最高学府とされる大学の一つとして有名である。
学部は一般学部と芸術学部の二系統に別れ、
広大な敷地内にそれぞれの学部が両立して存在している。
一見して普通の大学と変わりはないが、良い意味で少々変わった特色もいくつか存在していた。
最たるものは対話型AIの存在だが、もう一つは学食かもしれない。
静は正直、自分が料理が下手とは思っていないし
それなりに得意であるとも自負している。
最初こそ、妹により良い食事をと考えて始めたことでもあるが
気が付けば自分の趣味の一つになっていると思うのが現在だ。
そんな自分をして、この大学の食事のレベルは高い。
比較はしたことがないので断言はできないがやけに食に力を入れているように思う。
広い敷地、周囲には民家が多く外で食べられる場所が少ないというのはあるが、
それでも敷地内に、定食を中心とした学生食堂が1カ所、
軽食を中心としたカフェが2カ所、本格的な洋食・中華・多国籍と
日替わりでメニューを変えるレストランが1カ所、勿論購買的なものも存在している。
学食やカフェは分かるがレストランとはなんなのかと返す返す思う。
出されるメニューは本格仕様。
先日行ったときはエスニックで、フォーと生春巻きのセットやガパオライス、
本格インドカレーにナンのセット、ナシゴレン、などが並んでいた。
尚、食堂に至っても栄養バランスがとれ、
コストパフォーマンスのいい定食は学生たちの味方である。
カフェは軽食の数こそ少ないが、
本格的にドリップされるコーヒーや茶葉から提供される紅茶と手作りケーキのセットは
密かな大学の名物とさえいえる。
学長や学食管理をしてる者が食道楽なのではというのは学生全員が思っていることだ。
そのため、この大学の学生および教員は食事を
ひとつの娯楽のように楽しんでいる者が多い。
昼時となれば学生は皆今日なにを食べるかという話題で盛り上がる。
今日もそんな声を聞きながら、
静はアシスタントとして入っていた講義を終え、理工学棟の廊下を歩いていた。
いくつかある講義室の前を通り過ぎ、
コンピューター室の前を通りかかったとき、廊下に面した窓から見慣れた姿を見つけた。
殆どの学生はこの大学において食を楽しんでいるが
もちろん全員がそうと言うわけではなく、その男こそ、その最たる例だ。
「煉矢」
「……ん、ああ、静」
パソコンの前で淡々とキーボードを叩いていた煉矢は
視線でこちらに気付き、ややあってその手を止めた。
「もう昼だぞ。一回切り上げたらどうだ?」
「そうだな……そうするか」
ふうと息を吐き出し、データの保存とバックアップを始める。
煉矢はさほど食に興味を抱かないのは昔からだ。
とりあえずきちんと栄養が取れれば良い、というスタンスを貫いている。
自炊もするがそれは栄養が偏らないようにするためという
ひどく現実的な理由からだ。自分のように好きでしているわけではない。
硬直していた身体をほぐすように少し伸びをしている中、静はその画面を眺めた。
『統計的因果推論を用いた、ビジネス戦略における意思決定の最適化』
卒業論文のテーマらしいタイトル名に静はその内容を察する。
言葉以上に難易度の高い内容であるが、
それ以上に。
「お前らしいテーマだな」
「どういう意味だ、それは……」
「言葉の通りだ。
昼食に行くところなんだが、たまには一緒にどうだ」
「ああ、構わない」
データがきちんと保存されていることや
クラウドへバックアップもされていることを確認し終えたらしい煉矢は
パソコンをシャットダウンして隣の席に置いていたトートバック手に立ち上がった。
二人が並んで歩く姿は学内ではそれなりに目立つ。
長年の付き合いということもあり、他愛ない世間話をしている二人だが
その二人へ向けられる視線は熱がこもったものが多い。
若くして学会に参加し早期卒業で早々に大学院へ進学、更にすでにTAやRAまでこなしている静、
華やかな実績こそないものの交換留学としてアメリカのトップクラスの大学で学んでいた煉矢。
首席クラスの成績というだけでなく、落ち着き大人びた雰囲気に加え、
そもそも顔立ちに関しては申し分ない。
天は二物も三物も与えすぎだと男子学生が歯ぎしりする一方、
当然女子学生たちの憧れの的であることは言うまでもない。
だが当の本人たちはそういった視線は一切相手にしていなかった。
いちいち気にしていたらきりがない、というよりも
相手にしない方が自分にとっても相手にとっても良いのである。
そういったことは中学時代から二人はとうに理解していた。
二人はそれらの視線を無視し、昼食を取るべくレストランに入った。
レストラン前のモニターには、対話型AIが愉快な声で、
今日のレストランはイタリアンだと騒いでいる。
メニューは完熟トマトを使ったポモドーロ・エ・バジリコ、
ペンネのアラビアータ、3種のチーズを使ったリゾット、
野菜のフリット、手作りミートソースのラザニアの五種類。
更にここにキノコのポタージュとサラダが付くとある。
本当に元は取れているのだろうかと首をかしげるナインナップである。
静はリゾット、煉矢はアラビアータを注文し、
それぞれ番号札を受け取って適当な席を取った。
レストランは学食やカフェに比べると少し割高だ。
そのため昼時でも席に困るほど混むということはない。
外の窓に面したカウンター席を取った。
「イタリアンか……」
「なんだ?」
「ああ、いや……」
つい、口から出ていた。
ここしばらく少し考えていたことと、今日のメニューが重なったからだ。
なんの話だと視線を向ける煉矢に、静はひとつ息を吐いた。
「いや、少し……ましろを連れて行きたいと思ってる場所があってな」
「………、ああ、あそこか」
「察しがいいな」
「イタリアンと聞いてその話なら結びつく」
「まぁな」
ましろを連れて行きたいと考えている場所を煉矢も知っている。
もっとも、行ったことがある程度だろう。
自分のように、よく顔を出しているというほどではない。
その場所こそ、イタリアンのレストランだ。
「相変わらず通ってるのか」
「そうだといいたいが、以前に比べたら減ったな。
格段に忙しいし、そう頻繁には行けなくなった」
大学生の時であればまだましだったが、
院生になった今は帰りが遅くなることも珍しくない。
そう以前のように顔を出せなくなった。
「ましろを連れて行きたいと思うならば行けばいいだろうに、なにかあるのか?
今更躊躇するような間柄でもないだろう」
「まぁ、そういう意味ではなにも問題ないな。
ただ、出来たらディナーにと思ってるんだが……」
ランチもやっていないわけではないのだが、平日に限定されている。
なにより、自分とましろだけでなく、
できたらあの店の従業員である彼らとも話をしたい。
それを考えると、ランチではなくディナーを選択したいのだ。
ディナーと聞いて、煉矢は納得した。
つまりは夜、静は家を空けることをためらいがあるのだ。
高校生の妹ひとりを、夜、家に残して自分だけ彼女とデートする、というのは
責任感の強いだけでなく、妹との時間を以前以上に大切にするようになった彼は
それを安易に選択できないでいる。
煉矢は内心、降って沸いた機会に指を鳴らした。
そんなことをおくびにも出さず、いつもの調子で口をひらく。
「乃亜のことなら俺が引き受けてやるから行ってくればいい」
「は?」
「つまりはそう言うことなんだろう?」
「……まぁ、そうだが、いいのか?」
「いいもなにも、別に今更だ。夏以来会っていないしな」
「だがお前も卒論で忙しいだろう」
「そうだな。だから出来たら12月の半ばくらいだと助かる」
「実際連れて行くとしたらそれくらいになる。
あれでなかなか盛況らしくて最近は予約が必須になってきたようだし」
「結構な話じゃないか」
その店を経営している人物たちは煉矢にとっても無関係ではない。
新しいその場所で上手くいっているのであれば何よりだ。
ブブ、と静の手元の番号札が震える。
注文したものが出来たのだろう。
静が断りを入れて料理を受け取りに席を立った。
それを見送り、煉矢はスマートフォンを取り出した。
並んだCORDのチャットルーム。
乃亜の名前をタップし、先日のやりとりを見返す。
全くもっていいタイミングだ。
彼女との関係は、正しく恋人という関係ではないことは承知している。
自分も彼女もはっきりと想いを告げたわけではない。
だがそれでもさしたる不満は感じなかった。
少し手を伸ばせばいつでも届く距離。
その距離感をもう少し楽しむことも悪くはない。
煉矢は自然と笑みが浮かび、乃亜を誘う場所、デートの行き先を考え始めた。
棚ぼた以外の何物でもない。
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