【凪編】52:xx16年8月20日
旅行3日目。
四人は車でコテージから少し離れた場所にあるガラスの美術館へと向かっていた。
昨日、乃亜は静ときちんと話をすることでいくらも精神的に回復をしたようで
以前のような、控えめながらも明るさが戻ってきつつあった。
もちろんそれは静も同様。
それを見て、同行しているましろも煉矢も胸をなでおろしたのは言うまでもない。
二人ともこの兄妹には笑って過ごしていてほしいのだ。
昨日は静と煉矢は一日コテージやその近くで過ごしていたらしく
ならば今日は四人で出かけようと提案したのはやはりましろだ。
静もいつもの調子に戻ったようで、ましろと二人、
近くの観光スポットを朝食の内に調べ、行程を瞬く間に決めた。
そして朝食の後、食休みと出かけると支度をして
車を走らせているのが今である。
運転は静が担当し、助手席には煉矢が乗りこむ。
カーナビが目的地へのルートを知らせる中、
後部座席には乃亜とましろが、
ガラスの美術館のホームページを確認しているようだった。
その様子をバックミラーでちらと確認したのは煉矢だった。
乃亜は以前と変わらないように見える。
明らかに昨日までの様子と異なっている。
静との確執は、それほどまでに乃亜の心に大きな負荷をかけていたのだろう。
では自分とのことはどうだろうか。
窓の外へと視線を変える。
山間の道を進む景色はあまり変わり映えがなく流れていく。
ましろから言われたメッセージが思い返される。
乃亜の心の灯台になってほしいと彼女は言う。
けれどそれは静や、それこそましろでも叶う話ではないだろうか。
乃亜になにができるか。
静はすでに答えが出て、彼女の心を癒している。
まだ煉矢に、その答えは出ない。
幾度もカーブを繰り返す山の道を越えて、四人はガラスの美術館に到着した。
主にヴェネツィアンガラスを展示しているようだが、
現代のガラスアートや工芸品も同様に展示されている。
そしてそれと同等なほどに見ごたえがあるのは館内の中庭である。
ヨーロッパ風に整えられた美しい庭には、
ガラスアートも展示され、陽射しの中ではキラキラと輝き見る者も感動を誘う。
「うわ、すごい、これガラスの木だ」
「本当ですね、綺麗……」
敷地内に入りすぐに目に入ったのは木の展示。
木に見立てられたそれには、ガラスの葉がいくつも付けられ、
おとぎ話のそれのようだった。
乃亜は陽射しに輝くそれに思わず目を細める。
プリズムの輝きは優しく心に染み入り、深いところまで照らしているようだ。
心が沸き立つのを感じながら、ましろに促され入館した。
四人は入館し、まずはと常設展示を順路に沿って眺めていくことにする。
チケットを購入してすぐに中庭が目に入った。
入口のガラスの木と同じような木が何本も展示され、
池の中心の噴水を中心にガラスのプリズムが輝いている。
よく見ればワイヤーのようなものが中心から伸びていると分かるが、
今日のような明るい晴れの日の場合、
ワイヤーよりも先にその輝きに目がいく。
正直このままずっと見ていたい気持ちにもかられるが、
いったんそれを振り切り常設展示へと足を勧めた。
中に入ったら入ったで感動は続く。
乃亜は初めて見るガラスの展示に目を奪われた。
一言にガラスといってもこんなにも多種多様なのかと初めて知った。
透明なものばかりではない。
色付きガラスなどまるで宝石のようだと思った。
「乃亜、あっち、ローズガーデンだって」
「え、あ……っ」
ましろに言われ、少し順路からずれた入口を示される。
バラの花、その香りは乃亜も好むもののひとつだ。
ましろもそれを察して声をかけてくれたのだと分かる。
しかしまだ順路は始まったばかりだ。
「乃亜」
先を進んでいた静が笑う。
大丈夫だと言葉ではなく言われていると感じた。
静は小さく頷き、それに背を押された。
「み、見に行っても、いい、ですか……?」
「もちろん。行こう」
「時間が決まってるわけじゃないんだ。
行きたいところがあるなら、どんどん言うといい」
「っ、はい……!」
自分の中で否定していた、押し込めていたなにかが
蓋が開かれゆっくりとそこからあふれていく。
そんな感覚を感じながら、乃亜はましろに手を引かれ、
ローズガーデンの方へと向かった。
ローズガーデンには乃亜は終始感激していた。
美しい薔薇のアーチに、
それを支えるフェンスと固定されたガラスの花。
まるで薔薇がそのままガラスとなって輝いているようだ。
なによりそこにある花の香に胸がいっぱいになる。
赤や黄色、紫や白、ピンク色など、色として表現すればそれまでだが
それぞれ濃淡は異なりあまりにも鮮やかだった。
植えられた白い薔薇を眺めている中で、ふと声がかかった。
「薔薇が好きだったんだな」
「……っ、は、はい」
煉矢だった。
こうして声をかけられたのはこの旅行中二度目だ。
乃亜は心臓がどきりと跳ねた。
顔を上げられずにいる乃亜だったが、影が近づいたことで
隣に煉矢が歩いてきてくれたことを察した。
「そういえば、アメリカでも薔薇のハーブウォーターを買ってたか」
「……覚えて、て……くれたんですね」
その言葉が嬉しくて頬が熱くなる。
服の下に隠したペンダントが揺れた。
煉矢にはまだなにも言えていない。
身勝手に自分の都合で彼の誘いを無下にした。
きっと呆れさせて、下手をしたら嫌われたとも思っていたのに、
彼はこの旅行中、そういった態度をひとつも見せない。
兄とのことで落ち着きはしたが、それでももうひとつ、
乃亜はちゃんと煉矢に謝りたいと思い続けていた。
けれどその機会はなかなか訪れず、静のときのような勇気も出ない。
しかし今なら。
乃亜は煩いくらいの心臓の音を聞きながら、口をひらいた。
「……あ、の、煉矢さん……」
「乃亜、そろそろ先に進むよ」
「っ、は、はい……!」
「………」
とびきり跳ねた心臓と共に、乃亜は立ち上がりましろの方、
さらにその奥にいる静の方に駆けていった。
煉矢は深くため息を吐き、そのあとを追う。
それらの様子を見ていたましろはやらかしたと額を抱え、
やってきた煉矢に深く謝罪した。
ひとしきり中の展示を見終え、ミュージアムショップへとたどり着いた。
どれも大変に見ごたえがあり、輝くガラスの展示に
なにかひどく心が軽くなったような気がしている。
唯一、ローズガーデンでの一幕は残念だったとは思うが。
ミュージアムショップは展示されていたような
ガラスのインテリアや、実際に日常でも使える食器の類、
手ごろな価格の小物、アクセサリーなど様々に置かれていた。
小物を眺めている中、可愛らしい天使が並んでいた。
それをみて思い出したのはヴァイオリン教室だ。
レッスン室に、同じような天使の小物があったような気がする。
水野にも随分と迷惑をかけて心配もかけてしまった。
練習のし過ぎで故障など、本当に申し訳ない気持ちになる。
優しいあの先生だから、自責の念に駆られているのではとも思ってしまう。
___水野先生にお土産買って行こうかな……。
お詫びではないが、いつもお世話になっている。
なにか小さなものであれば、迷惑にならないかもしれない。
乃亜はそう考え、小物の棚を眺め始めた。
そんな乃亜をよそに、少し離れたアクセサリーの陳列棚に
静とましろは並んでそれらを眺めていた。
「ましろ、本当に色々世話をかけたな」
「気にしないでって。私も楽しんでるって言ったでしょ」
「それはそうだが……」
「気が済まない?」
「だいぶな」
それにくつくつとましろは笑い、アクセサリーを見て言った。
「じゃ、なにかひとつ買ってもらおうかな?」
普段こうしてましろからなにかをねだることはない。
静の気持ちを納得させるための提案だ。
それを即座に理解し、静は笑う。
「ああ、是非そうさせてくれ。なんでもいいぞ」
「静が選んで。私に似合うの、お願いね」
「センスを試してるだろ」
「信頼してるの」
ましろは楽しげに笑い、静の手を取り握る。
静もそれを握り返し、二人でアクセサリーの棚を眺め始めた。
一方、煉矢は時間潰し程度の感覚で陳列棚を眺めていた。
興味がない、とは言わないが、強く惹かれるようなものもない。
家にあれこれとインテリアを飾る趣味もない。
誰かに贈るにしても、贈りたい相手として思いつくのは、今はただ一人だけ。
その相手をふと見れば、会計になにかをもって進んでいた。
だがその足は途中で止まった。
アクセサリーの棚からは離れているが、そこにもイアリングなどの装飾品が並んでいる。
なにかしら別枠で飾られているのだろうそれを見て、
乃亜は興味を持ったようにそれに手を伸ばしていた。
だが、取るより先に、視線が落とされ、なにか暗い表情になった。
振り切るように会計に進む後ろ姿。
なにを考えているのか分からないが、
乃亜にとって、まだ心にしこりが残っているのは間違いない。
ガラスの美術館を出た四人は近くにあるハーブ専門のレストランで昼食を取った。
裏手にハーブ園が併設されているらしく、
そこで収穫したハーブを使った料理が提供されている。
ドリンクがセットで、デザートかサラダを選べる中、
乃亜はキッシュのセットを選んだ。
夏野菜が入ったキッシュはフェンネルシードと呼ばれるハーブが使われているらしく
爽やかな風味でとても美味しかった。
デザートセットにしたため、食後についてきた
レモンバーベナというハーブで香りづけされたパンナコッタも頂いた。
ベリーソースも相まって甘酸っぱくさっぱりとしていた。
ましろはリゾット、静は鶏のハーブグリル、
煉矢はグリーンソースのかかったポワレを注文していた。
普段食べないようなハーブの風味に皆それぞれ驚いていたが美味しかったようだ。
特に普段から料理を好む静は、今後家でも取り入れようかと真剣に考えているようだった。
気持ちのいい食事を終えてつぎに向かったのはオルゴール館だ。
ガラスの美術館と同じような風合いの場所だったが、
各地から集めた珍しいオルゴールの展示がされていた。
ガラスの美術館は中庭の景色が素晴らしかったがこちらも負けていない。
近くにある湖に面していることもあり、
そこからの景色は自然の景色そのままに大変雄大で美しい。
あまり大きい館内ではないため、
四人はそれぞれのペースで自然と展示品を楽しむようになっていた。
入ってすぐの中央ホールの天井は四角錘のようになっており、それぞれの面がステンドグラスになっていた。
射し込む光が虹色に輝き、まるで万華鏡のようだ。
ホールから複数の部屋にそれぞれつながっているようで、乃亜はそのうちの一つに足をむけた。
ベンチがいくつも並ぶそこには、大きな円盤式のオルゴールが展示され、
じっくりと音楽を楽しむことが出来るようになっているようだ。
そのうちの一つにこしかけ、流れてくるオルゴールの音に耳を傾ける。
オルゴールの下には曲名が書かれている。
【シューマン:ミルテの花 より くるみの木】とある。
乃亜は流れてくるオルゴールの音になにか胸が騒ぐのを感じる。
伝統あるクラシック音楽は、つい少し前まで自分にとって身近だったものだ。
ヴァイオリンを奏でるためというだけでなく、
単純にその旋律が好きだった。
薬師との会話で理解した自分の気持ち。
音楽が好き。
ヴァイオリンが好き。
クラシックもそうだ。
そしてなにより、自分の演奏をきいて笑ってくることが好きだ。
視線が自分の左腕に落とされる。
黒いサポーターで覆われた左手。
手首から手の半分まで、親指をのこしてしっかりと固定されている。
左腕だけではない。
右腕や肩、首もそうだ。
痛み止めを飲んでいる時はいいが、それが切れると左腕には鈍痛が常に感じられるし、
肩から首にかけてのこりのせいか、夜には頭痛さえ感じる。
この旅行でいくらも心は軽くなった。
軽くなったからこそ、自分の行いを深く後悔しているし、なにより、この身体が回復しても、
以前のようにヴァイオリンが弾けないのではという不安は常にあった。
酷評されたことは忘れられない。
表現力がない。
音に感情を感じない。
音符をただ追ってるだけ。
スランプは変わらず、結局同じだったら、
自分はこれからどうやって生きていけばいいのだろうか。
「乃亜」
「!」
驚いて顔をあげる。
その反応が大きかったからだろう、声をかけてきた煉矢が少し驚いた顔をした。
「静たちはもう土産物のほうに行ったが、
まだここにいるか?」
「あ……」
どうやら探しにきてくれたらしい。
乃亜は首を振って立ち上がった。
「いえ、私も行きます」
煉矢はなにかを言いたそうにしていたが、乃亜はそれに気付かないふりをした。
土産物が並ぶミュージアムショップには沢山のオルゴールが並んでいた。
音楽の種類も様々だが、その外装こそ多種多様。
可愛らしい陶器の人形であったり、
インテリア時計とセットになっているもの、アクセサリーなどをいれる小物入れ、
あえてオルゴールの機械部分を見せるように透明なケースやガラスに覆われているものもあった。
ましろや静もそれらを手に取ったりと楽しんでいるのが見えた。
乃亜、そして煉矢も二人を倣い、オルゴールの陳列棚を眺めていると、
いくつか並んだ小箱型のオルゴールの見本品が目に入った。
アイボリー色のビロードのケースで、蓋には一枚の白い羽根の刺繍がされていた。
シンプルだが美しいそれを思わず手にとり、蓋を開いた。
途端に流れる音楽に、乃亜は、否、乃亜と煉矢は二人で目を見開いた。
内部から聞こえるオルゴールの音、紡がれる旋律は紛れもなく、Amazing Graceだったからだ。
思い出すのはあのアメリカでの日々。
二人で過ごした、短くも色鮮やかな一週間。
大学での異国の友人たちと賑やかに過ごし、家では共に料理をしたり、食事をして、
大学での出来事や日本のことを、静かに、けれど穏やかに会話していた。
食後に一緒にコーヒーを飲むことが日課のようになった。
二人で町に出向き、肩を並べて歩き、買い物をした。
露天商で買ってもらったラリマーのペンダントは、未だ胸元に輝いている。
海岸沿いの広場では、悩み、葛藤を乃亜が打ち上け、煉矢はそれに言葉をかけた。
流れる乃亜の涙を煉矢は指先ですくいあげ、微笑みあっていた。
イベントの当日。
手をつないで回ったブース。
途中のトラブルでは、乃亜が煉矢の背中を押し、
煉矢は乃亜を脅威から守るように抱きしめた。
そして、最後の日。
乃亜は精一杯の感謝と、秘めた想いをのせて、煉矢に贈り物をしたのだ。
それこそが、この曲だった。
煉矢はヴァイオリンを奏でる姿に、その音色に、自身の中にあった想いの正体に気付いた。
ふたりにとってこの曲は、形は違えど、互いへの想いが重なった曲だった。
オルゴールの音に導かれるように、あの時に感じていた、抱いていた想いが、
あまりにも鮮やかに、二人の心によみがえっていく。
一周したメロディライン。
乃亜ははっとして、オルゴールをもとの棚に戻そうとするが
それを煉矢が制した。
乃亜の手の上に乗ったオルゴールごと、煉矢の手が重ねられたのだ。
驚き顔を向ける。
「……今度は、俺がお前に贈っても構わないか?」
「!」
その言葉に、乃亜は煉矢もまた、あのときのことを思い出していると気づく。
オルゴールごと重なる手。
大きな手の指先が触れているのを感じ、
なにより、まっすぐとした赤い色の瞳に射抜かれ、乃亜は言葉がでない。
心臓はやかましく、頬が熱く、呼吸さえおかしくなりそうだ。
目元が細められ、それに慌て、乃亜は視線を落とし、小さく頷いて応えた。
旅行先のモデルは箱根です。あくまでモデルで、実在しているものもあればないものもあります。
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★毎週木曜11:30・日曜19:00頃更新予定★
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★アルファポリスでも連載中★
https://www.alphapolis.co.jp/novel/598640359/12970664




