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【凪編】50:xx16年8月18日

ましろ発案により急遽決まった旅行。

幸いいい宿泊プランを見つけ、早々に準備に動くことになった。


瞬く間に提案・計画・決定とことはすすみ、

ましろはその勢いのまま、利き手を動かすことが出来ない乃亜の荷造りさえも始めた。

衣類をはじめとした必要なものを手早くまとめ上げて

用意した小さめのキャリーケースにそれを詰めるのを

乃亜は半ば唖然としつつ見守っていると、

ましろはさらに続けていった。


 「乃亜、今日から当日まで、うちにおいで」

 「え……っ」

 「さっき母さんたちに聞いたけど、問題ないって言ってたしさ」

 「で、でも……」


さすがに迷惑をかけすぎではなかろうか、という思いがよぎる。

だがましろはそれも察しているようで、

ベッドの上に座る乃亜の手を取った。


 「乃亜も少し、静と離れて落ち着いて考えたいでしょ?」

 「あ……」

 「たぶん、静にとってもそのほうがいい気がするから」


乃亜だけでなく、静のためでもある。

その言葉が背中を押した。

乃亜は少し迷いながらも、ややあって頷いた。


その後、ましろは静にも話し、同意した。

なにをどう話したのかは乃亜は聞いていない。

旅行用の荷物と、ましろの家に泊まるための二日間の着替えをもって

乃亜は静に見送られ、自宅を後にした。

別れ際の兄の顔は、やはり少し苦しそうで、乃亜は胸が痛んだ。





旅行当日。

現地までは車で行くことになっていた。

夏休みであるから多少混むとは思われるが、

盆休みからはズレていることと、

都心に向かう道とは逆方向であるから多少はましだと考えられた。


車は静がいつも借りているカーシェアを利用し、

途中煉矢を駅で拾ってからそのままましろの家に向かう話になっている。

まっすぐ向かえば一時間半ほどの予定だが、

乃亜の身体への負担を加味して、途中こまめに休憩を取る予定だ。

時間に急かされる旅でもない。

のんびりと午後出立としてそれぞれ時間を決めた。


予定通りに静の車が煉矢との待ち合わせの隣駅に向かう。

車寄せとなっているエリアに向かうと、煉矢の姿を見つけた。

窓を開けて声をかけるより先に、向こうもこちらに気づいた。

黒いボストンバックを肩に担いで歩いてきたが、

ややあってこちらの顔を見るなり、眉間に眉を寄せた。


 「……運転代われ」

 「は?」

 「自覚ないだろうがひどい顔だぞ、お前。

  今のお前の運転で行くのは不安が過ぎる」

 「そんなか?」

 「大いにな。さっさと助手席に移動しろ」


有無を言わさない。

静自身は正直納得できないが、否とも言えない。

仕方なく、運転席から一度降りることにした。


煉矢は疑問符を張り付ける静を無視し、

トランクに自身の荷物を入れ、さっさと運転席へと乗り込んだ。


 「まずはましろの家か」

 「ああ、そうだ。……"ましろ"?」

 「妬くな、面倒だな。

  本人からそう呼べと言われた」

 「別に妬いてない。ああ、CORDでやりとりしてるのか」

 「そういうわけだ。道案内してくれ」

 「分かった」


煉矢は静の案内に従い車を出発させる。

運転する中で、ましろから昨日届いたCORDのメッセージの内容を思い出していた。


 『旅行で一緒にいても、最初の内は、あなたも乃亜も、時間が必要だと思う。

  取り急ぎ、静の相手をしてやって』


聞いていた以上にましろという女性の洞察力と言うのか、

相手の心を深く察する力と言うのか、そういったことはすさまじい。

運転を代われと言った理由は言葉のとおりである。

窓から顔を見せた静に、いつもの自信に満ちたような様子はない。

なんなら少しクマさえ見える。

おそらく様々な、否、乃亜のことを考えている。

今でもそうだ。

案内をしつつも、どこか上の空で、外を見ている。

静の相手をしてやってというましろの意図を早々に理解し、

煉矢は内心小さくため息を漏らした。


案内の先、ましろの家にたどり着くと、

すでにましろと乃亜が立っていた。

ましろはカーキのパンツに黒いノースリーブ、

大きめのベルトで腰を細く引き締め、麻紐のミサンガをつけた腕でこちらに手を振っている。

車を止めたところで煉矢ははっとし、目を細めた。

薄青の少しオーバーサイズのブラウスに、白いロングスカートを揺らし、

こちらの様子を少し緊張した様子でうかがっている乃亜がいたからだ。


後部座席を開けたましろに促され、

乃亜が車に乗り込んでくる。

バックミラーを越しに、一瞬視線が重なったが、

ぱっとすぐに俯き、視線がそらされた。

だがその様子は、いつかアメリカにいたときと変わりない。

それに小さく笑う。ただ、少し痩せたようにも見えた。


 「あれ、運転煉矢さんなの?

  静が車借りたんでしょ?」


乃亜が車に乗ったのを確認してドアを閉めたましろは

反対側に回り込んで同じく後部座席に座りながら尋ねてきた。

煉矢とましろと会ったのは実はこれが初めてだ。

だがましろはそういった初対面という気まずさを一切感じさせない。


 「そうなんだが、煉矢が代われと」

 「うん?」


ましろは言うなり、助手席側に身を乗り出して静を見る。

そして、苦笑いを浮かべて元の後部座席へと戻った。


 「なるほど、うん、煉矢さん、英断」

 「ほらな」

 「どういう意味だ?」

 「自分の胸に聞いて」

 「同感だ」

 「はぁ?」


混乱する静をよそに、煉矢は事前に聞いていた目的地の住所をカーナビに入力していく。

くつくつ笑い静の疑問をましろが笑い飛ばしている中、

どこか明るい車内に、乃亜も小さく、口元に笑みを浮かべていた。




 「それで結局、泣きの追試でどうにかなったんだけど」

 「それは……」

 「何をしてるんだアイツは……」


旅行へ向かう途中の車内。

乃亜はましろが話してくれた内容にくすくすと小さい笑い声をあげた。

呆れた声を思わず上げたのは静だ。

話している人物はましろの親友である隼人の話。


隼人のことは乃亜も話だけは時折ましろから聞いている。

昔からましろの実家である剣道場に通っており、

今は同じ高校の剣道部で頭角を現している青年だ。


今聞いているのは彼の期末テストでの失敗談。

ましろの高校の剣道部は全国クラスの強豪だ。

インターハイがある夏は当然それに燃えているわけだったが

期末テストで赤点があると個人戦には出られない。

そういった独自のルールがあるらしく、

部員は皆期末テストをやる気十分に挑んでいたのだ。

彼ももちろん同様らしく、ましろに協力を仰いだりなどしていたらしい。

その過程も面白かったが、オチがひどかった。


名前欄の未記入。


すなわちどれだけ成績が良くてもそれは0点と同義である。

隼人は滝のような汗をかいて返却時に担任に土下座したらしい。


昔から知っている静が呆れるのも無理はない。


 「もう部活でも笑い種だったもの。

  顧問もなにを馬鹿なことをって怒りたいけど

  あまりにも馬鹿すぎて半笑いでトレーニング2倍を言い渡してた」

 「今時いるんだな、名前を書き忘れる奴……」

 「隼人だからしょうがないの」


聊か呆れた様子の煉矢のつぶやきに、ばっさりとましろが言い切った。

そこを言い切るましろもどうなのだろう、と苦笑いを浮かべてしまう。


 「でも私もあんまり人のこと言えないんだよね。

  英語の成績、結構あやしいからさ」

 「そうでしたか?そういっても、ましろも成績いいでしょう?」

 「リーディングならね。私があやしいのはスピーキングの方。

  2年になって、本格的になってきたから、そっちがねぇ」

 「そういえば、私の学校も、9月に英語集中期間がありますね」

 「なにそれ?」

 「私もまだ説明だけ聞いた話ですが……、

  共通言語として英語のみの時間ができるそうです。

  私の学校は英語教育に特に力を入れているようなので……」

 「うわ……っ」


ましろの口から若干引いたような声が漏れ出た。

それに乃亜はくすりと笑う。


 「私立と公立だし結構違いもありそうだよね。

  あとミッション系だし、なんか変わったこととか他にないの?」

 「そうですね……終業式が礼拝堂で行われたり、

  文化祭がクリスマス時期の12月だったり……でしょうか」


後部座席での穏やかな会話は途切れず続く。

当初は少し車内に気まずさがあるのではと少し乃亜は不安だったが

ましろがこうして適宜話題をふってくれていることでそれは杞憂に終わりそうだった。


乃亜の控えめながらも笑う声は運転席や助手席の二人の心にも安心感を与える。

そろそろ出発して一時間ほど。

車はサービスエリアへと進行方向を変えた。


サービスエリアではトイレ休憩のあと、施設の二階にあるカフェでゆっくりとお茶をした。

遠くに見える景色、青々とした夏の緑の木々とともに、雄大な富士山が姿を見せていたのだ。

普段は遠くからしか見ることのかなわないそれだが、

今はそれよりも多少近く見ることが出来る。

日本の誇る名峰は、こうしてながめていると確かに心に訴えかけてくるものがある。

夏の空の青、山の肌の青、木々の青、

それらの景色を心に焼き付けるように乃亜は静かに見つめ続けていた。


そうしてサービスエリアでの休憩後、出発して間もなく。

乃亜は落ち着いたのかうたた寝を始めていた。

鎮痛剤の影響もあるのだろう。

窓に寄りかかりながら静かな寝息をたてている。


 「……乃亜は寝たか?」


起こさないように小さく煉矢が尋ねると、ましろも頷いて答えた。


 「痛み止めの影響もあるんだろうけど、緊張がほぐれたんだよ」

 「……緊張か」


本来このメンバーであれば、乃亜が緊張するようなことはない。

しかし今はそうではないのだと、静は溜め息混じりに呟く。

ましろもそれには苦笑いを浮かべるしかない。


 「悪いな、ましろ。色々気を使わせている」

 「なに言ってるの。私も楽しんでるんだから気にしないで」


ましろは小さく肩をすくめ自身も窓の外を眺め始めた。

幸い渋滞に巻き込まれることなく進めそうである。


 「……、乃亜は、お前の家では……いや、やっぱりいい」

 「なに?」

 「……なんでもない」


静はそれ以上はなにも言わない。

ましろは後ろの席で静を見つめていたが、

なにも言わないことを受け、再び視線を外へと向けた。

煉矢は短くため息をはいたが、それは車の音に消され、静には届かなかった。





到着したのは16時近かった。

高速道路はさほど混んでいなかったが、この地域は関東きっての観光名所だ。

一般道はそれなりに混んでおり、それを抜けるのに多少時間を要した。


自然豊かな山の中腹に設けられたらその施設は、いくつかのコテージが立ち並ぶ宿泊施設だ。

宿泊についてはすべて棟がわけられ、一つ一つが離れて独立している。

駐車場にて車を駐車させ、荷物を抱えてまずは管理棟へ向かう。

管理棟にはレストランが併設されており、予約なしでも食事が楽しめるらしい。

今日の夕食はそこでとる予定にしているので予約できるか確認し、17:30からであればとのことだったのでそのように予約だけ済ませた。


指定されたコテージへの道は幸いなことに綺麗に舗装されていた。

舗装された道意外はほぼ手付かずの自然の林。

流れる風は心地よく涼しい。


たどり着いたコテージはログハウス風の外装だった。

入り口の左側には小さなデッキになっており、ウッドチェアが1台とテーブルが置かれている。

静が管理棟で預かった鍵で解錠し、ドアを開ける。

エアコンをあらかじめつけていてくれたらしく、涼しい空気が四人を迎え入れた。


 「わ、広い……!」


思わずというようにましろが言ったのも無理はない。

玄関から入ると広々としたリビングダイニングだった。

手前のリビングには3人掛けのベージュのソファに、民族風のラグやクッションがならび、

その前に丸いローテーブルが2つ並んでいる。

ソファの前にはテレビ台に乗った大きなテレビ。

その横には暖炉が設置されていた。

この時期に使うことはないが、冬場であったら充分に暖をとれそうな趣だ。

ソファの向こうにはダイニングテーブルとチェアがならび、

6人は楽に食事をとれそうな広さである。

更にリビングの左側には広いバルコニーに出れる窓が設置されており、

バルコニーにはバーベキュー設備や、テーブルと椅子が並んでいた。

全体を通して明るい木の調度品、デザインで統一されており、

木の香りが気分を落ち着かせてくれる。

リビングダイニングの反対側にはキッチンやトイレ、

バスルームや洗面台などがまとまっているようだが、

リビングに接する形で一室寝室が備えられていると室内図で確認している。


 「天井が高いですね……」

 「吹き抜けっていいよね、広く感じてさ。

  さて、部屋だけど、乃亜と私は一緒でいいよね」

 「あ、はい。ましろさえよければ……」

 「じゃあそうしよう。静たちは上の二部屋でいいでしょ?」

 「ああ、それでいい」


そうして早々に部屋割りが決まり、

乃亜とましろは1階の寝室へ荷物を持って向かい、

静と煉矢もまた、階段をあがってそれぞれの部屋に向かった。


それぞれ荷解きをし、室内やバルコニーなどで休息をとり

時刻がそろそろ夕食の時間に近づいた。

手荷物だけもって管理棟に併設されているレストランに四人そろって向かう。

風は先ほどよりも涼しくなってきていた。

まだいくらか明るいが、舗装された管理棟への道は

ぽつぽつと街灯が等間隔に並び道を照らしていた。


管理棟に併設されたレストランの入り口側の壁はガラス張りになったおり、

中の落ち着いた雰囲気の室をよく見渡せる。

高い天井にはファンが回り、むき出しの梁と高い天井が室内を広く感じさせる。

橙色の明かりが灯り、四人は奥まった一席に通された。


 「乃亜は好き嫌いってあるっけ」

 「いえ、特にないです。ましろは?」

 「苦手なものはないわけじゃないけど、

  食べられないわけじゃないから気にしないでいいよ」

 「ちなみに何が苦手なんです?」

 「こんにゃく。食感がねぇ……」

 「意外だな。そういう好き嫌いはないかと思っていたが」

 「そう?煉矢さんはあるの、好き嫌い」

 「いや、ないな」

 「煉矢は昔から好きも嫌いもないというか、

  こだわりがなかったな……相変わらずか」


メニュー表を確認しながら会話を進め、

乃亜は右手でも食べやすいキノコ中心のリゾットを選んだ。

ましろは地元でとれた野菜のグリルが添えられたポークグリル、

静は同じく野菜のグリルと共にルッコラがあしらわれたタリアタータ、

煉矢は魚介と地元野菜を使ったアクアパッツァ風のリングイネをそれぞれ注文する。

前菜として特産らしい根菜を中心としたバーニャカウダも頼んだ。


 「さっきは嫌いなものって聞いたけど、

  乃亜、好きなものってあるの?食べ物」

 「そう、ですね……あんなり意識したことないです……」

 「って言ってるけど、静、どう?」


水を向けられ、静は少し驚いたようだ。

煉矢は白ワインのグラスを傾けながら、ちらとましろを見た。

仕掛けたな、とつい内心独り言ちた。

乃亜はどこか心配そうに視線を向けている。


 「……どちらかと言うと、麺類が好きだと思うが」

 「!」

 「へぇ、そうなんだ」

 「麺類とは広いな。種類は問わずか?」

 「え……あ、いえ……その、自分では……よく……」


はす向かいに座る乃亜に声をかける。

こうして直接声をかけるのは久しぶりだ。

乃亜は視線をさ迷わせ。少し頬を染める。

それに思わず目を細めた。


 「麺類はなんでも喜んでた?」

 「そうだな……強いて言うなら、蕎麦か」

 「っ、そ、そう、ですか……?」

 「ああ。自分でもよく作るだろう?」

 「……、言われて、みれば……」


乃亜自身意識はしていなかった。

しかし確かに、兄と分担して昼食を作ったりするにあたり、

その確率は高かったかもしれない。

そんな気づかれるほど繰り返し作っていたのかと思うと恥ずかしく、

乃亜は目を伏せ、その羞恥に耐える。


だがそんな乃亜を見つめる三人の視線は優しい。


食事は恙なく終えた。

ましろが話を振ったことをきっかけに、気まずさもなくね

穏やかに食事の時間は過ぎていった。

いずれもとても美味しかったのも幸いだった。


暗くなった道を行き、コテージに一度戻った後、

少し間を開けてから、ましろと乃亜は入浴のため外に出て行った。

コテージ内にもバスルームはあるものの、

温泉が引かれた大浴場が施設内に用意されていた。

ましろも一緒にいるのであれば静たちもなにも心配はない。


二人が出かけていったのを見送り、

コテージ内には静と煉矢の二人になった。


 「で、なにを考えてる」


煉矢は自室に戻っていた静に声をかける。

ノックも挨拶もない。静は苦い顔をして親友の暴挙をにらんだ。


 「お前な……親しき仲にもという言葉を思い出せ」

 「のんびりと雑談などしてたら乃亜達が戻って来る」

 「ノックくらい誤差だろうが……」


静は腹の底から溜息を吐き出し、部屋から出た。

部屋の前、吹き抜けに沿った二階の廊下には一人掛けのソファが二つ、

ローテーブルと共に並んでいた。

そのひとつにどさりと腰かけた。

煉矢は壁に寄り掛かったまま、こちらが話すのをまつらしい。


 「何を考えているもなにも……乃亜のことに決まっている」

 「そんなことは俺もましろも察してる。

  というか、乃亜もそうだろうな。

  ……その上で、何を考えているんだと聞いてるんだ、こっちは」

 「………」


静は両手を開いた足の間で組む。

ふとした瞬間、どうしても思い出してしまう。

激痛に倒れ、床にうずくまる姿。

ヴァイオリンを奪った時の、乃亜の絶望に染まった顔。

暗い顔で自室に戻る横顔と背中。


 「……俺は乃亜があんなに苦しんでいると気付けなかった」

 「……」

 「そんな俺に、乃亜にしてやれることがあるのか?

  してやれるどころが、俺は乃亜を苦しませて追い込んで絶望させた。

  そうして乃亜が助けを求めたのは薬師先生だ」


あの時、朝起きて、乃亜がいなかったときの衝撃、絶望と後悔と言ったらなかった。

思い出すだけでも恐ろしい。

幼い時、ぼろぼろだった乃亜を見つけ、

なにがなんでも守ろうと深く深く誓ったはずなのに。

今はどうだ。

あの地獄と乃亜が言う場所と同じように追い込んで、家を出るまでに傷つけた。


静は組んだ両手を額にあてがった。


 「乃亜をすくい上げたのは薬師先生だ。

  今日の乃亜をみただろう?家にいたときはあんなに笑っていなかった。

  笑えるようになったのはましろのおかげだ。

  じゃあ俺はなんだ?

  俺が出来ることはなんだ。出来たのは追い込み傷つけたことだけだ。

  そんな俺が……、……俺は、乃亜の家族でいて、いいのか?」


考え続けていたことがついに口から言葉となって吐き出された。

愛する妹のために出来ることがわからない。

三年ともに暮らして、一番近くにいたはずなのに、なも思い浮かばない。

下手なことをして、また傷つけるような気がした。


組んだ両手を額に押し付け、肩を落とす静。

煉矢はその赤裸々な言葉に、音なく息を吐き出した。


 「静、俺はお前が、施設にいた乃亜を引き取って暮らせるようになる為に

  どれだけ努力していたかを知ってる。

  足繁く乃亜の元に通っていたのもな」

 「……」

 「今以上に周囲に対して不安を抱いていたであろう当時の乃亜が、

  施設から出ることを決めたのは、他でもない、そんなお前が手を差し伸べたからだ」


ぴくり、と身体を揺らす。煉矢はそのまま続けた。


 「乃亜自身が安らげる場所だったはずの施設ではなく、お前を選んだんだぞ。

  そんなお前が家族でないなら、乃亜に家族など出来やしない」

 「……っだが」

 「だがもなにもない。それともなんだ。

  乃亜を捨てて、家族であることを止めるのか?」

 「バカを言うな!!」


激昂した静の声はコテージ内に響き渡った。

顔をあげ、煉矢を射殺さんばかりに睨みつけるが、

ごく変わった様子なく、煉矢は冷静に静をみている。

静は声を荒げた気まずさにソファに座り直し、

もう一度両手を組んで額にそれを押し当てた。


 「……そんなことは有り得ない。考えられない。

  乃亜は俺の、たったひとりの家族で、妹で、宝だ。

  そんなあいつを手放して、捨てるなど、絶対にない」

 「ならそれをきちんと乃亜に伝えてやれ」


はっと、顔が上がる。

煉矢はやっとまともな表情になってきた親友にため息をはいた。


 「乃亜はお前と家族でいるために家に戻ったんだろう。

  なのに今の状況。乃亜がお前との距離感をはかりかねて気まずさを感じてるのは、

  お前のその不安まみれの顔のせいでお前の気持ちが見えんからだ。

  ちゃんと伝えて、安心させてやれ」


それはあまりにも当然のことに違いなかった。

静は煉矢の言葉に、己の不明を今度こそ嘆く。

まったく本当になにをしているのだ、自分は。

呆れかえり、片手で頭を抱えて深々とため息を吐き出した。


ようやく理解をしたかと煉矢もまたため息を吐きそうになった。

乃亜の今日の様子、静との間にある圧倒的な気まずさ。

今こそ、過保護とシスコンを総動員して乃亜に寄り添ってやれと

今日何度感じたかわからない。


そもそも静の独白は、煉矢にとってひどく刺さった。

気付けなかったのは自分も同じ。

追い込んだのも同じだ。

自分こそ、乃亜との接し方に迷いがある。

静とは違い、自分はあくまで他人なのだ。


だからこそ正直静の態度には内心苛立った。


   ___俺と違い、大事だということも、抱き締めることも、傍で寄り添うこともできる。

      ……俺がしたいことを全部出来るくせにな。


 「……、本当にお前には、借りばかり増える」


絞り出した言葉は幾度も聞いた言葉だった。

こちらの気持ちも知らないで告げるそれに、今度こそ煉矢ははっきりとため息を吐いた。


 「だから俺は貸してるつもりはないと……、

  ……いや、そうだな、今回ばかりは貸しだ」


せいぜい貸し付けてやる。

いつか静の宝をもらい受けるためにも。



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★毎週木曜11:30・日曜19:00頃更新予定★

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★アルファポリスでも連載中★

https://www.alphapolis.co.jp/novel/598640359/12970664

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