【一葉編】3:xx13年4月14日
ある日曜日。
乃亜は少し緊張を抱きながら、自室でスマートフォンを操作していた。
緊張をほぐすためだ。
しかしゲームをするような質でもなく、
むやみにネットサーフィンをしたりといったことにはあまり慣れていない。
乃亜は溜息を音もなく吐き出した。
ことの発端はつい2日ほど前のこと。
いつものように夕食を取っていたとき、兄から言われたのだ。
「乃亜、お前に会わせたい奴がいるんだが」
「会わせたい人……ですか?」
「ああ」
兄はどこか楽しそうにその人のことを説明しだした。
元々静は、小学校の途中から高校卒業までの間剣道場に通っていた。
詳しい話はそこまで聞いていないが、もともと心身ともに鍛えるためだったそうだが
辞めた今でも付き合いの続く友人もいるらしい。
会わせたいというのはその友人の一人とのこと。
「道場の師範の娘なんだが、お前の一つ上だ。
だから今は中学2年だな。
俺とは5つ差だが……なんというか、早熟していて、俺も色々、世話になった」
「え……兄さんが、ですか?」
思わず、というように声を上げると、兄は苦く笑った。
「お前の中で俺がどういう人物かは分からないが、
別に俺は完全無欠じゃないんだぞ。
まぁ、色々悩んだりとしたこともある。
そういう時に、……ま、兎も角、世話になった」
なにやら誤魔化しているような口ぶりに乃亜は小首をかしげる。
だが乃亜にとって、静はこれ以上ないほどに強くたくましい人だ。
そんな人が世話になったと言う人物。
しかも自分よりひとつだけ上の、女の子だという。
いよいよどんな人物か想像できない。
「お前も中学には友人も出来てるようだし、別に交友関係に不安はないんだ。
ただ、そいつのことを俺は信頼しているし、
きっといい友人になれると思う。
もちろん、お前が乗り気じゃないなら止めにする。どうする?」
「え、と……兄さんが、私に会わせたい、と、思ったんですよね……?」
「そうだな。
俺はお前とは6つ離れてるし、性別も違うからな。
身近に、歳の近い同性の友人が出来たらと思ったんだが」
「はい、その……そう、ですね。会ってみます……」
「無理はしなくていいんだぞ?」
「いえ、……緊張はどうしても、してしまうと思うので……。
兄さんも、その時に……」
「ああ、もちろん同席するから、安心していい」
「……なら、大丈夫です」
兄がいてくれるならばいくらも気が楽になる。
緊張はするだろうが、それでも兄が傍にいてくれるなら。
乃亜はなんとか最後には笑って頷くことが出来ていた。
そういったことがあって、今日。
兄の会わせたい人、とやらが訪問する日である。
やはり緊張する。
まったく知らない人と、この安心できる家の中で会うという。
学校に行くのはまた違った緊張感があった。
学校はそこに行くまでの道のりで、それなりに気持ちを整えることができるけれど
自宅の中という、ある意味で一番無防備な状態で会うというのは
なにか少し不安を感じてしまうのだ。
今、兄がその人を駅前まで迎えに行っている。
おそらくそう間もなく訪れる。
乃亜は結局殆ど気晴らしにもならなかったスマートフォンを両手で握り絞め、
もう一度ため息を吐き出した。
足音のようなものが聞こえ、顔を上げる。
そのあとすぐに、ドアの鍵が解錠される音がした。
「ただいま」
「お邪魔します」
思っていたよりも高い声が聞こえた。
乃亜は意を決して自室の扉を開ける。
静がリビングのドアを開けて入ってきたところだった。
「乃亜、ただいま」
「はい、おかえりなさい、兄さん」
「連れてきた。……ましろ」
後ろに目を向け、静が示した女の子、否、女性に乃亜は少し驚いた。
一つ上、という話だが本当だろうか。
すらりと女性にしては高い身長、肩ほどのまっすぐな黒髪は艶やかで
明るい琥珀色の瞳はどこか鋭くも優し気に笑っている。
弧を描いた唇は薄紅色。
モノトーンのチェック柄のハーフスリーブシャツの襟元から、
金色のペンダントが首元に揺れている。
「初めまして、雪見ましろです。
乃亜ちゃん、だったよね。よろしく」
「よ、よろしくお願いします……」
ましろは輝くような笑顔でにこりと笑う。
それに思わずどきりとしてしまった。
慌てて両手を重ね軽く頭を下げて挨拶を返した。
それにましろはちいさく笑ったようだったが、馬鹿にした様子はない。
「あ、静、これお土産」
「ああ、悪いな。せっかくだし、今出させてもらう」
「ウチの近所の和菓子屋さんのだから、緑茶がいいかな」
「分かった」
そのやりとりからして、二人が親しいのはよくわかる。
なにも気にすることなく、兄のことを名前で呼び、兄もそれを受け入れている。
剣道場での友人と言っていたから、そちらの流儀なのかもしれないが。
「乃亜ちゃん、うーん、もしよかったらだけど、乃亜って呼んでも大丈夫?」
「あ、はい。大丈夫です……」
「うん、ありがとう。私のこともましろでいいからね」
「えっ、いえ、でも、年上ですし、その……」
「いいのいいの。みんなにそう呼ばれてるし。
あ、でも、乃亜が嫌だったら、無理にじゃないよ」
ましろはごく普通な様子でそう言ってくる。
嫌というわけではない。ただいいのかという迷いがある。
ちらと助けを求めるようにキッチンにいる兄に目を向けると、
彼は優しい笑みで頷いていた。
「俺も、道場の皆もそう呼んでる」
「……じゃあ、ましろ……」
「うん、それでお願い。気楽に話しかけてくれたら嬉しいな」
「は、はい……」
きらきらとしている女性だ。少女といっても差し支えがないはずなのに、
どうしても一つしか違わないとは思えない。
兄が会わせたい、といった意図がまだ図りかねている。
乃亜は自宅なのに、なにか居心地の悪さを覚え始めていた。
「二人とも、テーブルにかけたらどうだ。
立ち話でもないだろう」
「ああ、そうだね。
乃亜、おいで、隣に座ろう?」
「あ……」
優しい手つきで手を取られる。
あたたかいが、すこし固い手だった。
ましろに促され、乃亜は普段自分が座る席へと腰かけさせられた。
言葉の通り、彼女も隣に腰かける。
「改めて自己紹介ね。
雪見ましろ。学年は乃亜のひとつ上。
早生まれだから、14歳になるのはまだだいぶ先なんだけどね。
乃亜は誕生日はいつ?」
「誕生日、ですか?1月です。1月20日……」
「ああ、乃亜の方がはやいね。
私は3月1日だから、一か月くらい、同い年になるんだ。
で、静から聞いてると思うけど、剣道場の道場の娘。私の父さんが師範で、母さんが師範代。
それ繋がりで、静とは知り合ったんだよ」
「……あの、ましろさ……ましろも、剣道、されてるんですか?」
「してるよ。これでも去年、全国4位に入ったんだから」
「えっ!」
思わず声を上げてしまった。とっさに口元を手で押さえるが、
ましろはくすりと笑った。
「どうもみんな同じ反応するんだよなぁ」
「す、すみません、でも、驚いて……とても、綺麗な方なので……つい……」
「ふふ、乃亜みたいに可愛い子にそういわれると嬉しいな」
「いえっ、私は、そんな……」
「ええ?可愛いよ、乃亜はとっても。ねぇ、静?」
「ああ。……もっと言ってやってくれ。俺が言っても信じないんだ」
「に、兄さんは、単に、私が妹だからで……」
「ほらな」
「あらら。でも本当に可愛い、いやどっちかといえば綺麗かな?
静も気をつけてやらないと。モテるよー乃亜は」
「考えないようにしていることを言うな……」
なにやらよくわからない話が進んでいる。
乃亜は口元をまごつかせ思わず視線を落とした。
「お茶が入った。ましろ、出してもいいか?」
「うん。乃亜、ここのお菓子、美味しいんだよ。私も大好きなんだ」
静がトレーに置いてキッチンからこちらにお茶を運んできた。
白いシンプルな取っ手のないカップが三つ。
それに緑茶が入れられている。
黒い平皿に乗せられているのは、5つの和菓子だった。
水まんじゅうに、みたらし団子、桜餅、
あんころ餅は漉し餡とずんだ餡が一つずつ。
静が乃亜とましろ、そして自身の手元に取り皿を並べる。
可愛らしい和菓子はどれもシンプルで馴染みのあるものだ。
けれどだからこそ惹かれる魅力がある。
「乃亜、どれが食べたい?」
「え……あ、いえ、私はどれでも。兄さんとましろで、先に選んでください」
どれも美味しそうだが、だからこそ二人に好きなものを先に選んでほしい。
乃亜はそう考えている通りに口にする。
静がなにかを口にしようとしたが、ましろが視線でそれを止めた。
「そうだなぁ、じゃあ、乃亜、私に食べてほしいって思うのはどれ?」
「えっ」
「私も乃亜に食べて欲しいと思うものを選ぶから」
まさかそういった返しが来るとは思わなかった。
乃亜は少し戸惑ってましろを見るが、彼女は穏やかに笑っている。
ましろのために選ぶ。
自分が選んで、困らせないだろうかという気持ちが頭をもたげるが
彼女はこちらの返事を待っている。
乃亜はしばし黙して、口を開いた。
「……それ、じゃ、桜餅……でしょうか」
「ありがとう、美味しいよね、桜餅」
嬉しそうにそう言ってくれた。
それに乃亜は安堵と共にふっと口元に笑みが浮かぶ。
喜んでくれた。
それが嬉しかった。
「じゃあ、乃亜には、水まんじゅうね」
「はい、嬉しいです……」
「よかった!じゃあ、水まんじゅうと桜餅、半分こにしようか」
「え?」
「乃亜は私の為に美味しそうって思ったものを選んでくれたんだよね。
私も乃亜のために美味しそうだなと思うものを選んだよ。
だから、お互いに、一番おいしそうだなって思ったもの、シェアしよう。
そうすれば、互いの一番が食べられるでしょ?」
驚く中でましろは少し悪戯めいた表情で片目を閉じる。
そのまま言うが早く、桜餅を半分に分けた。
そしてひとつを乃亜の取り皿に転がす。
乃亜は目を丸めていたが、ややあって頬に熱が集まるのを抑えきれない。
こんな風に誰かと食べ物を分け合ったのは初めてだ。
自分が一番おいしそうとおもったものを相手に。
そしてそれを半分ずつに分けることで、自分もそれをいただける。
そんな風に考えたことなどない。
いいのだろうか。
自分がそんな風に美味しそうと考えたものを食べても。
けれど隣で微笑むましろに、それを咎めるような様子はない。
胸がどきどきする。
膝の上に置いた両手を握りしめ、こみあがる感情を抑えきれず、笑みを浮かべていた。
「乃亜、水まんじゅう分けるなら、ナイフを持ってこようか?」
はっとして顔を上げた。
静がどこか嬉しそうにこちらを見ている。
一人で喜んでいる場合ではない。乃亜は立ち上がった。
「あっ、いえ、私、持ってきます!」
「レンジ下の引き出しにフルーツナイフがあるぞ」
「はい……!」
ダイニングテーブルからキッチンへ回る乃亜の様子を、
静とましろはどこか微笑ましく見つめていた。
その後、言葉の通り、二人で和菓子を分け合って食べた。
ましろの言う通り、お菓子は大変に絶品だった。
そのおいしさと和菓子の甘さのおかげだろうか。
そのあとは緊張も幾分も解け、ましろ、それに静も含めて色々と話をすることができた。
静とましろの剣道時代の話も面白く聞けた。
また、自分も最近の中学での話や、図書館に寄って借りた本などの話をした。
そして時間は瞬く間に過ぎて、16:00頃。
彼女の自宅はここから駅で20分ほど行ったところらしい。
門限があるわけではないが、夕飯に時間に遅れるわけにはいかないから、と
帰り支度をすすめた。
「乃亜、CORDアプリの連絡先、交換しようよ」
「え、いいんですか……?」
「もちろん。今度、一緒に出掛けよう?
買い物とかじゃなくて、隣の駅近くに、広い公園があるんだ。
ピクニックみたいに、一緒にお弁当持ち寄って、そこで食べるの。
どう?」
「!」
友達から遊びに行こうと誘われたことは初めてではない。
けれど行き先は、カラオケであったり、町への買い物だったりと
乃亜としてはあまり心惹かれず、むしろ、少し苦手な類だった。
無理に付き合って、逆に友達の気分を悪くさせるのは嫌だったため
当たり障りない形で断っていたのだ。
しかし、今のましろの提案。
そして相手はましろということ。
乃亜はちらと静を見る。
「いいんじゃないか?弁当なら作ってやる」
「あ……」
そうだ、また手間をかけてしまう。
乃亜は行きたいと感じた気持ちがしおれていくのを感じた。
しかし後ろから両肩にぽん、とましろが手を乗せてくれた。
「だめだよ、静。お互いに自分で作ったの、食べるんだから」
「は?」
「え……っ」
「ね、どう?私も自分の作って来るから、乃亜も。
ちょっと失敗してても、それはそれで、笑い話になるよ」
肩越しにましろを見ると、首を軽くもたげて微笑まれた。
先ほどしおれていった気持ちが再び花開いていく。
乃亜は両手を組んで、静に言う。
両肩を優しくつかんだましろの手が、背を押してくれている。
「あの、兄さん、私、作ります。
作りたいです、だから、あの……教えて、くれませんか…お料理……っ」
それはそれで、また別の負担をかけるかもしれない。
そうも思ったが、大丈夫、と両肩に触れる手が言ってくれている気がした。
静は少し驚いたようだったが、ややあって笑って頷いた。
「ああ、いいぞ。初めてだろうし、簡単なものから始めような」
「っ、はい!」
「ふふ、乃亜のお弁当楽しみだな。私も頑張ろっと」
「私も、ましろのお弁当、楽しみです……!」
乃亜は湧き上がる気持ちのままに笑う。
心の奥深くに押し込めていたなにかが、ぽっと、水面に浮きあがってきた気がした。
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