【漣編】25:xx15年7月4日
Sound Palette Fes'15は都内の某区で開催される音楽イベントだ。
区内の総合庁舎と共に作られたホールとその敷地内の広場を活用したこのイベントは
音楽を楽しむ、身近に接することを主な目的としたイベントとして
毎年区民はもちろんのこと、周辺地域や各地から多くの来場者が訪れている。
メインホールとサブホール、広場、そして施設内のカフェが
主なイベントスペースとなっており、
サブホールではピアノやヴァイオリン、フルート、ギターなどの
楽器の体験会が常時行われ、
広場では野外パフォーマンスとして、
路上ライブなどがタイムスケジュールを組まれ行われる。
また、施設内のカフェはその期間中ジャズバンドの生演奏が楽しめる。
そしてメインイベントは、一昨年から行われるようになった、
メインホールで開催されるヴァイオリンのコンクールである。
出場者は都内に住む中高生のみに限定され、コンクールとしては小規模なものだ。
特徴的なのは、格式高いコンクールのように、クラシックの課題曲ではなく
基本的には自由曲、曲も、クラシックだけでなく、洋楽やJ-POPSのカバーなど
どういった曲でも問題ないというものだ。
これはこのコンクールが、あくまで「音楽を楽しむ」「音楽を身近に」という
主題となっているイベントのいちプログラムであることを示している。
そのため、普段はコンクールなどには積極的に出場しないような
あくまで趣味として楽しむために演奏しているという人も申し込みをすることがあるらしい。
ただそれでも年々出場者希望者は増えており、
今年は事前に予備審査が行われるという。
乃亜は自室でチラシを見ながら、水野から受けたこれらの説明を思い出していた。
そしてさらに、合わせて告げられた言葉も。
『コンクールと言うよりも、お祭りに近いかもしれないわ。
もちろん、コンクールなのだから、しっかりとした審査員の方もいるし
毎年多くのお客さんも観覧しにくるから、そこはきちんとしているけれど』
『もし自分のヴァイオリンが人からどう見られているか、それに興味があったら、
こういった形で知るのもいいと思うのよ』
『もし興味があったら、ぜひ声をかけて。
申し込み締め切りは来月のお盆くらいだから、興味があったら今月中に声をかけて』
『……これはプレッシャーになるかもしれないけど』
『あなたのヴァイオリンは、人に聴かせてこそ、真価を発揮すると思う。
出来たら……いえ、あなたが決めることよね。
ただ、申し込まないってなっても、それは気にしないで。
これはあくまで私の提案で、あなたが否というなら、ちゃんとおしまいにするから』
そういった水野の言葉が頭の中で回る。
コンクールへの出場。
自分の中でそれは去年、静と共にいったガラコンサートのステージだ。
勿論、あの時ほどの規模のものではないだろう。
それでも今の自分が一番想像できるのはそれである。
上位出場の人たちは、皆輝いていた。
堂々と自分の演奏に自信をもって、華やかに、背筋を伸ばして、ヴァイオリンを奏でていた。
あまりにも自分とは違う。
あんな素晴らしい演奏は自分にはできない。
そもそも立つ資格すらないのではないだろうか。
そう思うのに、自分の中のなにかが揺れている。
あの時と同じだ。
輝くステージから感じられる虹のように輝く清流。
その向こうに手を伸ばして、その向こうの世界を見てみたい。
けれどそう思ったところで、乃亜は眉をしかめ、唇の裏を噛む。
「乃亜、どうしたの?」
はっとして顔を上げた。
ましろが不思議そうな様子でこちらを見ていた。
「ごめんね、ノックしたんだけど、返事なかったからさ」
「あ……いえ、すみません。ちょっと考え事をしていて」
乃亜は反射的に笑みを作った。
条件反射のように作られた笑みに、ましろは首をかしげる。
そしてその視線は、乃亜の手の中のチラシに落ちた。
「どうしたの、これ」
「ヴァイオリン教室の先生から、頂いたんです」
「見てもいい?」
「ええ、どうぞ」
別段隠すようなものでもない。
乃亜はそれをましろに手渡した。
「……、へぇ、楽しそうなイベントだね。
ジャズの生演奏とか聞いてみたいな。
……あ、ヴァイオリンのコンクールもあるんだ」
「みたいです」
「出てみたらって言われた?」
相変わらず鋭い。
乃亜は曖昧に笑う。
「二人ともどうした?」
静が不思議そうに部屋に顔を出した。
ましろはああ、と声を上げた。
「そうだった。乃亜、夕飯だよ。今日はオムライス」
「ありがとうございます。楽しみです」
ましろは乃亜にチラシを返し、踵を返す。
乃亜はどこかほっとしてチラシをベッドに置き、ましろのあとを追った。
ダイニングにはすでに夕食が並んでいた。
白い丸皿にトマトソースのかかったオムライスとココットに乗ったサラダが並び、
その脇には玉ねぎとキャベツのコンソメスープ。
ダイニングテーブルの中央のバスケットの中には、
ローズマリーの練り込まれたフォカッチャが四角に切られ並ぶ。
今日出掛けていた時に買ってきたらしい。
いただきます、と三人それぞれ挨拶をして乃亜はスープから頂く。
薄い桃色のスープカップからは湯気が漂う。
玉ねぎとキャベツの甘みがコンソメスープに馴染み、ほっと安心する味だった。
「今日はどちらに行かれていたんですか?」
「プラネタリウム。久しぶりに見たけど、楽しかったよ」
「いいですね。私、行ったことがないので」
「なら今度、一緒に行こっか。テスト終わったら夏休みだし」
「どうせ行くならもう少し後にした方がいいんじゃないか?
月内は上映プログラムが同じだったぞ」
「それなら変わった後のほうがいいですね。ましろも楽しめます」
「じゃあ、テスト終わりは別のところに行こう。
乃亜とも久しく、一緒に出掛けてないし、乃亜の可愛い服も見に行きたいもの」
「ああ、それは俺からも頼む」
「任せて」
「いえ、それは別に……」
なにかとましろは色々と服を選びたがる。
特段それを求めていない乃亜は
毎度それにだけは困ってしまうが、何分兄が後押しをするものだから止められない。
二人は今日あったことを楽しげに話す。
ひとしきり楽しんだあとに一度、ましろの自宅に寄り、
学校の教科書やノートをもってこちらにきたらしい。
デート中によかったのかと尋ねれば、
家でデートも出来て勉強も出来るんだから一石二鳥だと笑った。
大変にましろらしい回答にこちらも笑ってしまった。
オムライスは中はバターライスだった。
シンプルな味付けだがその分、かかっているトマトソースととてもよく合う。
またフォカッチャもローズマリーとオリーブオイルの風味が重なり美味しい。
談笑しながら三人で食べる食事は、普段よりも少しだけ賑やかで楽しかった。
食事が終わり一息着いた頃、時間に気づいた静がダイニングチェアから腰を上げた。
「ましろ、そろそろ送っていく。
車を回すから、少し待っていてくれ」
「わかった。ありがとう」
「乃亜、戸締まり頼むな」
「はい。行ってらっしゃい、兄さん」
ましろと乃亜はリビングのソファにすわり、
それぞれ試験勉強をしていた手を止め、静を見送る。
玄関ドアが閉まるのを聞き届け、
ましろはトートバックに教科書やノートをかたづけ始めた。
「ねぇ乃亜」
「はい?」
「やりたいと思ったことはやっていいんだよ」
息を呑んだ。
ましろを見る目が大きくなる。
彼女は穏やかに微笑んでいた。
「私なんて、去年あんなことがあってさ、
生きてるだけでもありがたいことだよね。
母さんたちにも、静や乃亜、友達にもたくさん心配かけた。
でも、今ははやく剣道がしたくて仕方ない。
静といろんなことがしたいし、乃亜とも遊びに行きたいもの」
荷物を入れ終えたトートバックをソファたてかけ、
ましろはそっと乃亜の両手を取った。
すっかり健康的にあたたかな手だった。
「自分がやりたいこと、目指したいこと、欲しいと思うこと、
それは、誰にだってあって、悪いことじゃないよ」
「……ましろ……」
ましろの言っている言葉は分かる。理解もできる。
けれど、心の中で、なにかがそれを受け取ることをためらっている。
思わず目を伏せた。
膝に置いた手をましろが掬うように取っている。
ずっと剣道をやっていたその手だが、この一年、すこしやわらかくなったようだった。
しかし彼女は再びそれを手にするために日々努力をしている。
それは決して悪いことではない。
むしろ彼女の輝きを一層強めている。
なにかを求めて、努力する人は輝いていると乃亜は思う。
だからこそ、兄である静も、ましろも、強く尊敬しているのだ。
「乃亜」
はっとして顔を上げる。
「乃亜の心を見れるのは、乃亜だけ。
見たものを消すのも、掬い上げるのもね」
「……はい」
かろうじて、微笑むことはできたらしい。
ましろも少し切なそうな顔をしてそっと頭を撫でてくれた。
「それじゃ、私帰るね。また連絡するよ」
「はい。私も連絡しますね」
「待ってる。じゃあね」
ましろはそう言って、荷物をもって玄関へと向かう。
乃亜も後を追い、ドアを開けて手を振る彼女に、同じく手を振って別れた。
一人になった家の中で、乃亜は目を伏せる。
玄関の鍵を施錠し、廊下の壁に背中をつけ、先ほどのましろの言葉を反芻する。
「……やりたい、なんて」
そんな大それたことは思えない。
乃亜は自室へと踵を返す。
電気をつけて自室に入り、ドアを後ろ手に閉める。
ベッドの上に置かれたままのチラシが否応なく目に入った。
それを手に取り、改めて眺める。
ヴァイオリンを奏でる。
あの輝くようなステージで。
そこに手を伸ばしてみたい、その先を見てみたい、とそう思ったのは確かだ。
けれどそれを考えると、どうしても、頭の中であのころの情景が思い浮かぶ。
あれはまだ、本当に小さな頃。
綺麗な花が咲いていると思った。
他愛のない、コンクリートの隙間から生えたタンポポだ。
タンポポの黄色い色がきれいだと思った。
そしてすでに咲き終わった綿毛に手を伸ばした。
それは、その時より前の、兄と暮らしているとき、
煉矢も含めて三人で公園に行った思い出があったからだ。
咲き終えたタンポポの綿毛を摘んで、渡してくれて、息を吹きかけてごらんと言われて。
ふわりと風に富んでいく綿毛が綺麗だった。
兄も、赤いお兄ちゃんも笑っていて。
それがとても楽しかったから。
だからその時の思い出に背中を押されて、手を伸ばした。
しかし、直後、頭に衝撃が走った。
こめかみから張り倒され、地面に転がった。
あまりのことに顔を上げると、にんまりと笑った大きな男が笑う。
" 今は鬼ごっこ中だろう?悪い子だなぁ "
腕を強くつかまれ、無理やり起き上がらせられて、
引きずるように連れていかれて、そして。
「っ!!」
乃亜はそこで頭を抱えた。
しゃがみ込み、両手で頭を抑え込み、歯を噛みしめ、きつく目を閉じた。
違う、あれはもう終わったこと、あれは過去のこと、もう終わったこと。
ここは違う。
ここはあの場所じゃない。
ここは、
ここは。
" 大丈夫か? "
優しい声に導かれ、きつく閉じた瞳を開けた。
明るい、兄が用意してくれた自分の部屋の景色が見える。
それに深く深く、安堵して、身体から力が抜けた。
床に手を下ろし、膝をついて、項垂れる。
その視界には、フローリングに落ちたチラシがあった。
色とりどりのデザインで、見るからに楽しそうな雰囲気が漂っている。
乃亜はそれを見て、笑う。
「……遠い、世界………」
ガラコンサートの時と同じことを、泣きそうな笑みで、呟いていた。
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★毎週木曜11:30・日曜19:00頃更新予定★
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★アルファポリスでも連載中★
https://www.alphapolis.co.jp/novel/598640359/12970664




