【星と太陽編1】22:xx14年11月13日/11月14日
【xx14年11月13日】
入院して二週間近い日数が経った。
発作に苦しんでいた時から、厄介な病気だと言うことは理解していたし、
手術が難しいものだと言うことも把握はしていた。
しかし、入院してから、その認識は一段も二段も、甘かったのだと理解した。
入院する部屋は一般病棟とは違う、いわゆる無菌室と呼ばれる場所。
本来入院する場合は様々な準備や持ち物の指定があるが、
ましろの場合それは一切不要と言われた。
スマートフォンや財布も含めて、なにひとつだ。
中に入るまでに専用の入院着、下着も含めて着替え、徹底的に除菌され
マスクやヘアキャップ着用の元入室。
室内に入るまでにもかなりの時間がかかった。
室内はシンと耳が痛いほどの静けさだった。
ただ少し意外だったのは、全面真っ白い部屋かと思われたが、
意外にも床はフローリングのような模様になっており、
壁には黄緑色で木々のシルエットのイラストが描かれていた。
ベッドもイメージするようなパイプベッドではなく、
柔らかな曲線を描いたベッドで、その脇にある棚も木目のものだった。
ベッド近くにはめ殺しとはいえ窓も設置されており、
想像していたような無菌室のイメージとは違っていた。
しかしこの部屋での生活はましろの精神を削った。
仕方ないことだとよく理解している。
だから文句はひとつもない。
しかしそれでも、あらゆることが徹底的に管理され、
外界から完全に隔離され、どうしてもストレスというものはたまる。
唯一外界と繋がっていられると感じるのは、
一日に2回、合計たった30分程度の面会時間だけだ。
主に両親が顔を出してくれたが、
静や乃亜、隼人、翔、創、従弟の暁斗、それに学校の友人なども顔を出してくれた。
皆が皆、心配し、気遣い、励ましてくれる。
それがなければ、とっくに押しつぶされていたような気がする。
すべては明日の手術のため。
より一層続く明日のため。
そして、約束の日を迎えるためだ。
ましろはベッドの上に座って、窓の外を見る。
空は晴れている。
秋が深まり、青い色も深さを増した。
きっと大丈夫。
必ずうまくいく。
ましろはずっと自分に言い聞かせていた。
手術は明日の朝一、8:30から始まると言う。
大手術になるので、想定されている時間でも、5時間は最低かかると。
場所が心臓近くだから、骨も切開しなければならない。
その内容を聞いてぞっとしたのは
自分の気持ちが弱くなっているからではないと思いたい。
ぎゅっと震えそうになる手で、ベッドのシーツを掴んだ。
ピンポーン、という短い音。
面会の合図だ。
ましろはベッドから立ち上がって衝立の向こうに向かう。
分厚いガラスの向こうにいるその人の姿にほっと安堵を覚え、微笑んだ。
静は両親と同じくらいの頻度で顔を出してくれる。
それがどれだけ心強いか、彼は分かっているだろうか。
椅子に腰かけ、マイクの前に口元に寄せる。
マスクは取れないため、少しくぐもった声になるのはもう仕方ない。
「静、来てくれたんだ」
身体を起こしてマイクから身体を離す。
今度は静が同じようにマイクに口を近づけた。
「前日だからな。それに、頼まれごとがあった」
頼まれごと。
なにかあっただろうか。
あいにくこちらから何かを頼むということはあり得ない。
室内への持ち込みは一切禁止だ。
静は自身のスマートフォンを取り出した。
「乃亜が、お前にヴァイオリンを聞かせたいそうだ」
驚いて目を丸くした。
乃亜がそんなことを言うとは思わなかった。
自分の知る乃亜は、誰かになにかをしたい、と思っていても、
それをなかなか実行できない、遠慮してしまう、そんな子だ。
このしばらくで、それがなにか変わったのだろうか。
なんにしても、それはとても良いことだし、自分のため、というのが
本当にうれしかった。
「マイク越しだし、クリアではないだろうが、聞いてやってくれないか」
「……嬉しい。聞かせて」
静は頷いて、スマートフォンを操作する。
そして聞こえてきた音。静がマイクに近づける。
とても美しい、ヴァイオリンの音だ。
【J.S.バッハ 管弦楽組曲第3番ニ長調 BWV1068 より ~G線上のアリア~】
ヴァイオリンの最も低い音であるG線のみで演奏されるこの編曲。
重低音ながらも、否、重低音だからこその深い奥行とそのあたたかさ。
ましろはその音色が、こころの深い部分に沁み込んでいくのを感じた。
決して眩しくない、強すぎない、あたたかい陽射しのようではないか。
明るい日の、優しい風にゆれる木々のさざめき、
緑の葉が太陽の輝きに透けて、青い空と緑と太陽の光が照らしてくる。
心地よい風は陰鬱とした心地を外へと解き放ってくれるかのようだ。
その風に目を閉じて瞳を開けると、あの夏の日につながっている。
蝉しぐれが五月蠅く、容赦のない真夏の陽射し。
木漏れ日の下で見た、まっすぐな、青緑の瞳。
分厚いガラス板の向こうにいる、この人の。
ましろはあふれてくる思いを抑えきれない。
彼に触れたい。手を伸ばした。
それはガラス板に阻まれる。
その向こうで、彼も同じように、手のひらを重ねてくれた。
ガラスの冷たい無機質な感触しかない。
見つめ合う瞳と、互いに求める手のひら、それでも同じ音色を聞いている。
乃亜が奏でるヴァイオリンが、心を確かにつなげてくれている。
「……好きだよ、静……」
マイク越しでなければ聞こえない。
マスクをつけているから唇が動いたことは伝わっていない。
けれど、抑えきれない思いは、約束の日を待たずに、言葉になった。
静は聞こえていない。伝わってはいない。
けれどそれでも、唇はなにかを紡いだ。
『好きだ』
勘違いかもしれない。けれど、三文字程度の唇の動き。
あたたかい熱を含んだ眼差しと、少し赤い頬。
ああ、やはりつながっている。
今このとき、自分たちは、あの真夏の日にいる。
ましろは涙がこぼれそうになるのを抑え、静に深く微笑み返した。
【xx14年11月14日】
間もなく8時半。
静はスマートフォンで時刻を確認する。
手術室近くの明るい個室に、自分とましろの両親、八雲と椿がそこにいた。
今日はましろの手術当日。
今日に至るまでいろいろなことがあった。
初めて発作が起きてから7ヵ月。
ましろの体調が思わしくないことにも気づかず、
自分の研究に邁進していた日々が嘘のようだ。
その裏でましろが苦しみ絶望へと押し入られていたなんて思いも寄らなかったし、
考えつく余裕もなかった。
だがそれはすべて言い訳だ。
当時のことを思い出すと自分自身に腹が立って仕方がない。
それでもそれがあったからこそ、
大島教授との繋がりもできたのだから皮肉なものだ。
安易に自己嫌悪もできやしない。
なんにせよ、今日という日を迎えることが出来て本当に良かった。
手のひらを見る。
昨日、最後の面会時間。
分厚いガラス板に遮られながらも、重なった手。
あのとき、乃亜のヴァイオリンに導かれ、
確かに自分たちの気持ちは通じ合った気がした。
ヘアキャップとマスクに覆われながらも、
隙間から見える琥珀の瞳が、確かな熱をもってこちらを見ていた。
それに溢れる思いを押さえきれず、呟いた2度目の告白。
きっと通じている。
どうかその思いが、ましろを支える一助となってほしい。
「失礼します。間もなく手術室に入られます」
看護士らしき人に声をかけられ、3人は顔を上げた。
八雲と椿が立ち上がり、半個室の外にでる。
静もその後に続いた。
ましろは車椅子に腰掛けた状態でやってきた。
「父さん、母さん、静……」
久しぶりにスピーカー越しでない声だった。
そんな長い時間はとれない。
「行っておいで、ましろ」
「お前は俺たちの子だ。負けやしない」
椿と八雲の短いながらも確かな言葉に、ましろは深く頷く。
二人は笑みさえ浮かべていた。
その視線がこちらに向く。
なにか声をかけてやれ、という意図なのだろうが、言葉はなかった。
ただ微笑んで頷く。
ましろも同様だった。
それをもってましろの車椅子は手術室へと向かっていく。
やがて、その扉は閉められた。
「良かったのか、静」
「ええ。もう、伝わってますから」
「……そうか」
八雲はなにか少し諦めたような声色だった。
きっととっくに、ましろへの想いは知られてしまっているのだろう。
好意を抱いている女性の父親、とすると複雑であるのだが
それ以前に自分にとっては幼い頃から良く知る剣道の師範だ。
今更、このやたらと人の気持ちを悟るのがうまい師範相手に
誤魔化せるとも、隠せるとも思っていない。
半個室の待機室に戻り、それぞれが席に腰掛ける。
手術室側のアクリルの壁の上には時計がかけられていた。
デジタル時計には、08:34と表示されている。
「静、無理に残ってなくてもいいんだぞ。妹もいるだろう?」
「乃亜は学校ですので。
それに、傍にいてやってくれと頼まれましたから」
「そうか。ならいいが、無理はするなよ」
「そんな柔な根性してませんよ。これでも師範の門下です」
「はっ」
軽口をたたきあったことで、張り詰めていた空気が霧散した。
静は窓の外をみる。
ましろを信じる気持ちと不安、
万が一というどうしても払拭しきれない懸念が綯い交ぜになり、
いやな緊張が消えない。
それをあざ笑うような秋の美しい空が広がっていた。
12:30。
乃亜はスマートフォンを取り出し、
中学校の校舎裏にある花壇の一角で時刻を確認していた。
その表情は暗い。
午前の授業の合間にある休憩時間でも、友人たちに心配させてしまった。
顔色が良くない、保健室に行った方がいいのでは。
そんなことを言われたが、別段具合は悪くないのだ。
友人たちには大丈夫だと告げたが、どうしても食欲がなくて
心配する友人たちに断りを入れて、
少し外の空気を吸ってくると告げて出てきたのが今である。
時間としては昼休みだ。
校舎のほうから生徒たちの賑やかな声がする。
けれど今は、それを気にする気も起きない。
ましろの手術が始まって、もう4時間は経過しているはず。
静から聞いたのは、最低でも5時間はかかるという話なので
この時間に連絡が来ることはないはずだ。
分かっているが、どうしても幾度も、スマートフォンを見てしまう。
通知のない画面に映る自分の顔は悲痛そのもの。
友人たちにも心配をかけてしまって本当に申し訳ない。
兄からも、今日は学校を休んでいいと言われていた。
けれど、通わせてもらっているのだし、
いくらましろが心配だからと言っても、
そんな自分の弱さで学校を休むということは考えられなかった。
空を見上げる。
こちらの不安などお構いなしに、とても澄んだ美しい青空だ。
雲一つないほどに晴れた秋の空。
ざっと吹く風は乃亜の銀色に近い髪を揺らしていく。
「……ましろ」
思わず独り言ちた。
去年初めて出会ってから、ずっと親しくしてくれた友人。
眩しいほどの明るさで、けれど強い光ではない、
優しくそっと手を取ってくれるように、あたたかい光だ。
静との生活の、最初の一歩、背中を押してくれたのは彼女だ。
それ以降も、うまく言葉を紡げない、
躊躇う自分に焦ることなく、時にゆっくり、
時に的確に、時にそっと手を引いて、そうして、支えてくれていた。
そんな彼女が、今、命がけで戦っている。
絶対にましろなら大丈夫。
そう思いたいのに、どうしても万が一を考えてしまうのは
自分が弱いからだろうか。
ぎゅっとスマートフォンを持つ手に力がこもった。
その時、ヴヴ、と端末が震えた。
どきりとして画面を見ると、CORDの通知。
慌ててロックを解除してアプリを開く。
だがそれは静からの連絡ではなかった。
「……煉矢さん……」
何故。
そう思いつつ、チャットを開く。
『大丈夫か?』
端的なこちらを気遣う言葉に、視界が揺らぐ。
乃亜はぎゅっと目を閉じてにじんだ視界をごまかした。
『静から、今日が手術日だと聞いた』
それにいよいよ、涙腺が緩んだ。
指先で溢れてきた涙をぬぐう。
『ありがとうございます。大丈夫です』
それ以外になんと返事をしていいのか分からない。
『気晴らしがしたければ通話にするが、どうする?』
また視界が揺れる。
今は少し困る。泣いているところなど見せられない。
見せられないのに、なぜか、自分の指は「はい」と短く返事をしていた。
ややあって、CORDの着信通知。
「こんにちわ、煉矢さん……」
『ああ、こんにちわ。久しぶりだな』
「お電話では、そうですね」
彼が留学してから、メッセージのやりとりをすることはあったが、
こうして声を聴いたのは本当に久しぶりだ。
その声に心が揺れる。
ましろのことで、不安一色だったのに、それがすこし軽くなった気分だ。
乃亜はひとつ息を吐き出した。
『外か?』
「はい、学校です。今は昼休みなので……」
『……休んでもよかったんじゃないのか?』
「兄さんも、そういってくれましたが……私の都合で休むわけにはいかないので……」
『都合とは言うが……まぁ、お前ならそうか……』
電話口で呆れたような、苦笑いを浮かべられたような溜息が聞こえた。
乃亜は首をかしげた。
『静はどうしたんだ?』
「現地に行っています。
……きっと、ましろも、兄さんには傍にいてほしいと思います。
それに、兄さんも、傍にいたいと思うので……」
『……知ってるのか?』
少し驚いたような声色だ。
その言葉からして、煉矢も知っているらしい。
当然と言われれば当然だろう。
長い友人関係だ。そういった相談をしていてもおかしくはない。
「ましろに聞きました」
『……まさかお前に知られているとは思ってもみないだろうな』
「でも、元から仲がいい様子でしたから、
私、とっくに付き合っていると思ってました……」
『隠そうともしてなかったのか、あいつは』
呆れたように言った言葉に笑ってしまった。
先月、ましろと電話した時のことを思い出す。
静から告白され、それに応える日のために、負けない。
そうはっきりと言い切った声は、本当に強い声だった。
そんな彼女が今、命を懸けている。
またじわりと視界が揺れた。
ぐい、と目元を少し強引に拭った。今泣いていても仕方ない。
『乃亜?』
「いえ、なんでも、ないです……」
『……いい、泣いてしまえ。時間ならまだ少しあるだろう』
「……っ」
『誰かと繋がっているだけで、安心することもある。
俺でよければ付き合う』
「煉、矢さん……」
本当に、この人は優しい。
乃亜はその言葉にあふれる涙をこらえきれず、必死に袖口で拭う。
唇を噛み締め、声を漏らさないようになんとか耐える。
ただか細い嗚咽と吐息。
それを電話口の向こうで聞きながら煉矢は目を伏せる。
せめて自宅であれば声をあげて泣けるだろうに。
「乃亜」
『っ、はい……』
「ヴァイオリンの演奏は、届けたのか?」
『はい……兄さんに、お願い、しました……」
少し前に、少しでもましろの力になりたい。
けれどなにかものを贈りたくても、そういったことはできない。
無菌室はあらゆる持ち込みが禁止だ。
そうメッセージのやり取りで話をしていた。
なら、ヴァイオリンの演奏はどうかと提案したのだ。
クリアな音質は難しいかもしれないが、
それでも、それなら届けられるからと。
「曲は、G線上のアリア、だったな」
『はい……』
「ViewTubeで俺も聞いた。
素人の感想だが、優しい、祈るような旋律だと感じた。
……きっと、お前の思いも届く」
『っ、は、い……っ』
「だから、大丈夫だ」
『……ありが、とう、ございます……っ、煉矢さん……』
少し声色が落ち着いたように聞こえる。それに少し安堵した。
そのために言ったわけではない。素直な自分の感想だ。
ちらと正面のパソコンの画面を見る。
日本時間を表示されたWebブラウザの画面は12:48。
残り僅かであろう昼休みの時間。
それまでに乃亜がもう少し落ち着いてくれればいいが。
そんなことを思いながら、窓の外を見る。
こちらはもう夜だ。しかし空はつながっている。
煉矢はましろという少女を知らない。
ただ話は静や乃亜からよく聞いている。
とくに静からは、中学高校と話を聞いていた。
自分たちよりずっと年下であるはずなのに、物事の本質を突くようなことを言う。
それは決して厳しいばかりではなく、時にそれを理解したうえで
優しく包み込むようなあたたかい人だと。
会ったことのない相手だが、親友の思い人だ。
人知れず、煉矢も手術の成功を祈った。
15:05。
静は先ほどから、時間をつぶすために持ってきていたノートパソコンの
キーボードをたたく手が、止まり続けていることに気付いていた。
想定される時間は5時間。
手術開始は8:30からだったのだから、
それから換算すればとうに終わっていてもおかしくない。
勿論、その5時間と言うのもあくまで推定時間であり、
前後することはあると言われていた。
しかし予定していた時間が過ぎてもなんの音沙汰もない。
明らかに14:00を過ぎたくらいから、気持ちは落ち着かなくなった。
朝方感じていたいやな緊張が再び体を支配する。
ソファに腰かけている椿もどこか落ち着かない様子を見せている。
隣に座る八雲は、椿の肩を引き寄せ、両手を握る椿を落ち着かせようとしていた。
さすがというのか、八雲の焦りは見えない。
一方で、師範代である椿のあのような様子は静も見たことがない。
普段道場で、冷静沈着そのものと言う様子で
厳しく門下生に静かな視線を送る椿であっても、
娘の一大事だ、そうもしていられないのだろう。無理もない。
ちらと壁のデジタル時計をもう一度見る。
15:07。
その時だった。
ポン、と低い電子音がした。
それに三人は一斉に立ち上がる。
手術室の近くにある、手術中を示すランプが消灯したのだ。
「師範……っ」
「ああ、終わったようだな」
ほう、と深く椿が息を吐き出した。
だがまだ完全に安心はできない。
固唾をのんで待っていると、手術室の扉が開いた。
執刀医を務めた大島医師は、朗らかな笑みを浮かべていた。
「大変お疲れ様でした。
手術は成功です。ましろさんを苦しめていた腫瘍は取り除くことが出来ました」
「……っ、ありがとうございました……!」
「ありがとうございました……!」
八雲と椿が深く息を吐いて礼をする。
静もまた深く息を吐き出した。
「途中、危ない時もありました。
しかし、ましろさん自身の生命力に助けられました。
生きたいという思いが、ましろさん自身が、明日をつかみ取ったのです。
これからリハビリも続きますが、きっと大丈夫です。
本当に強い、立派な娘さんですね」
「いえ、先生方、皆さんのご助力あったからこそです。
本当にありがとうございました」
「いえ、それが医師の務めですから。
ましろさんは予定通りICUに移動しました。
意識がはっきりするのは明日になるかと思います」
「わかりました」
他いくつか手術中の状況を大島医師は説明し、ややあって退出していった。
自分たちも退出しなければならない。
だが、どっと体が重くなった。思わず深く椅子に腰かけてしまった。
そんな時間に、八雲が声をかける。
「静、お前がきっかけを作ってくれたことで
すべてが好転した。ありがとう」
「師範……いえ、俺はただ繋いだだけです。
今日まで戦い抜いたのは、師範たちやましろ自身の力ですよ」
「それは否定しない。
だが、きっかけは間違いなくお前だ。胸を張れ。
ましろを救ったのは、お前だ」
その言葉は胸を熱くさせた。
今更泣くような歳でもないというのに、困った師範だ。
膝に両腕の肘を乗せ、目元を組んだ両手で隠した。
救った?
救えたのか?
自分が?
それをそのまま鵜呑みにはできない。
だが、これで少しは、彼女に返せただろうか。
支えてくれた彼女に。
愛する人に。
静は万感の思いを抱きながら、
涙をこらえるように、唇の裏を噛んだ。
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★毎週木曜11:30・日曜19:00頃更新予定★
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★アルファポリスでも連載中★
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