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【星と太陽編1】12:xx14年4月16日

街灯がポツポツと、区間ごとに道を照らしている。

4月となり少し前に比べればいくらもあたたかくなったが、それでもこうして日が沈むと少し冷える。

空を見上げると月がぽつんと夜空に浮かび、吹きぬく風は冷たさを感じる。

だが冬の乾燥した風ではなく、すこし湿度をもったそれ。

濡れた土と葉の香り。

午前中まで雨が降っていたから仕方がないのかもしれない。


時刻は19:30を過ぎている。

日が落ちて時間が経過しているとはいえ、道行く人がまったくいないわけではない。

丁度勤め先から帰る人がそれなりにいる時間帯であるからかもしれない。


背中にはヴァイオリンケース、肩には楽譜などをしまったトートバック。

制服ではなく私服で歩く乃亜は、今はヴァイオリン教室の帰りである。

少し前にヴァイオリン教室を週に2回に増やしたのだ。

土曜日の夕方からのみだったそれを、水曜日の夜にも通うことにした。

1月の誕生日以降、もう少しヴァイオリンに触れる時間が作りたいと感じていたのと

兄からそうしてみてはどうかと以前から勧められてもいた。

学校が終わったら一度自宅へ戻り、着替えをしてから家を出るのは少しだけ慌ただしいが

そこまで苦なスケジュールでもない。


新年度が始まり、乃亜は中学2年になった。

昨年の今頃と比べて、自分の心持は随分と変わったと思う。

少なくとも、去年の今頃は、日が落ちて暗くなってから

一人で帰るといったことはできなかったように思う。


ひとりで帰るようになったのは2月くらいからだ。

最初はどこか緊張していた隣駅の喧騒にも慣れた。

一人で帰れると思うからといって、兄をなんとか説得しそのようにしたのだ。

なにか確かな自信があったわけではない。

一番大きな理由は、新年度から、兄が極端に忙しくなることを知っていたからだ。


まだ冬休み中であるはずの兄が、大学へ足しげく通い、

夜も遅くまで起きているような気配があった。

尋ねてもあまりはっきりとした答えをくれないことに疑問を抱き、

こっそり、同じ大学に通っている煉矢に兄の状況をCORDで尋ねた。


 『静は自身の研究をかなり評価されてるから、

  異例の速さで学会で論文の発表を強く勧められている』


聞かされたそれに、最初は漠然としかわからなかった。

もう少し詳細を尋ねれば、


 『直近では5月に予稿、まぁ、研究内容の概要のようなものだが、その作成締め切りがある。

  これがないと次に進めないが、全編英語で、かつ、そもそも簡単な内容じゃないからな。

  研究データの精査や教授の添削、修正、まぁ、休み返上で大学に通ってるのはそのためだ。

  さしものあいつも、身体はひとつしかない』


と答えが返ってきた。

最初尋ねた時、煉矢もあまり話したがらなかった理由が分かった。

自分に気を遣わせないようにしているのだ。


静は変わらず、愛情を注いでくれている。

離れていた時間の分、否、それ以上の分を思い切り。

再会してから以降、それがどれだけありがたく嬉しかったか分からない。

ここで共に暮らすようになってなおのこと。

おかげでこうして一人で帰れるくらいにまで、自分の精神状態は落ち着いている。


しかしそれにずっとすがっていてはいけないと、最近よく思うようになった。

何も返せない子供の自分であるが、せめて出来ることはしたい。

それが昨年1年を経て感じていることだ。


まずはヴァイオリン教室との行き来くらいはひとりでしなければ。

本当にささやかなものだと思うが、

帰りの迎えがないだけでも、少しは軽くなっていると信じたい。


ほかになにか、出来ることはないだろうか。

まだまだ子供の自分にも、なにか。


乃亜は小さく息を吐き出してマンションのエントランスに入る。

マンションのオートロックを解除キーを入力することで開ける。

この時間帯、すでに兄は帰っているはずだ。

今日は、少し昔通っていた剣道場に呼ばれていると言っていた。


兄は小学生から高校卒業まで剣道に通っていた。

それもただ通っていたのではなく、剣道の大会では、小学校6年生で優勝、

中学では3連覇、高校でも3連覇という、耳を疑う成績を残したらしい。

が、それも大学進学と共にすっぱり引退したと。

それを聞いたときは、自分と共に暮らすようになったからだという申し訳ない気持ち以上に、

我が兄ながら出来すぎやしないかと閉口してしまった。


道場はましろの家で、彼女の父と母が教えていると。

家では穏やかだが、道場内では非常に厳しい二人だといつか話していた。

兄としても小学生の頃から馴染みのある人たちだ。

それもあり、ごくたまにだが、剣道場に顔を出し、後輩の指導に手を貸しているらしい。


忙しい中、と思わないまでもないが、

兄にとってはきっと良いリフレッシュする時間のなのだろうと思う。


エレベータで5階へ上がり、もう慣れた足取りで角部屋である自宅へ向かう。

鍵を取り出して開錠、ドアを開けると、廊下は暗いが

リビングの方から明かりが差し込んでいた。


 「ただいま帰りました。

  ……?」


普段であれば、おかえり、と返って来る返事がない。

乃亜は首を傾げ、後ろ手にドアを閉め鍵をかける。

靴を脱ぐなかで気づいたが、やけに静かだ。

兄が戻っているのなら、夕食の支度をしていてもおかしくない。

しかし何の物音もしなかった。


一瞬、まだ兄は帰っていなくて、自分が電気を消し忘れたのかと思ったが

視線を下ろせば、玄関先には兄の靴があった。


おそるおそる廊下を進み、リビングへのドアをゆっくり開ける。


正面のリビングにあるソファには誰もいない。

が、視界の中、キッチンカウンターの向こうに人の背中が見えた。


 「兄さん……?」

 「……ん、あ、乃亜?」


ダイニングテーブルに両肘をついて、こちらに顔を上げた静がいた。

少しホッとする。

しかし、すぐにその安堵は立ち消えた。

静はひどく疲れたような顔をしていたからだ。


 「あの、どうかしたんですか……?」

 「ああ、いや……」


普段の兄らしくない。

言葉を濁し、まるでうまく頭が回っていないように視線をさまよわせている。

リビングのソファの脇にトートバックとヴァイオリンケースを置き、

乃亜は兄の元に歩み寄った。


 「具合が悪いなら、お部屋で……」

 「いや、そういうわけじゃない。大丈夫だ。

  ……と、お前が帰ってきたということは、もうそんな時間か。

  悪いな、夕食の支度もまだなんだ」

 「そんなの、気にしないでいいですから。

  それより、本当に大丈夫ですか?とても、疲れた顔をされてます」

 「……」


あからさまに無理に笑おうとしている。

それくらいわかるくらいには一緒にいる。

ただ心配が募りそう尋ねれば、静は目元をゆがめ、

ちらとテーブルの上に置かれた自身のスマートフォンを見た。

ディスプレイは黒い画面のままだ。


静はひとつ息を吐き出し、言った。


 「ましろが倒れた」

 「………え……」


思い出される明るい太陽のような笑顔が、一瞬でモノクロに変わった。





同日。17:00頃。


静はましろの実家であり、かつて自分も通っていた道場に足を運んでいた。

小学生の時に初めてその門をたたき、以降、高校を卒業するまで通い続けた。

体力づくりや心身ともに鍛える目的で通っていたが

気が付いたときは学校とは違う、同じ高みを目指すような

気の良い友人も何人かできた。


高校卒業と同時に引退したあとも、時折こうして顔を出している。

それは期待をかけてくれていた師範たちに、

家庭の事情とはいえすっぱりと引退したことに対する申し訳なさがきっかけだった。

師範たち、つまり、ましろの両親はきちんと理解はしてくれているし

大学進学と共に妹を引き取って二人で暮らすという、

おおよその事情も把握してくれている。

しかしそれでも、小学校の時から通い、

なにくれと気にしてくれていた二人に対する恩義も感じていた。


それに日々研究のことで頭を回している中で、

こうしてたまにそれ以外のことを考えられる時間は静にとって貴重だ。

決して剣道が嫌いで引退したわけではないのである。


 「静、暇なら打ち合いの相手してくれって!」


既定の回数の素振りを終えたらしい一人の少年が声を上げた。

変声したばかりなのか少し高い声の、紺瑠璃のような髪の色の彼は

褐色の瞳を輝かせ、気安い様子でこちらに声をかけてくる。


 「馬鹿言え、俺は部外者だぞ、隼人」

 「ほぼ身内みたいなもんじゃんかよ。

  ましろは翔に見てもらってるしさー」


達城隼人たつき はやと

静と同じように小学生からこの道場に通う、ましろと同じ年の少年だ。

誰にでも友好的に接し、ましろとも親しく、学校も同じだが

二人の間にあるのは明確な友情だ。


 「型を見るだけならまだしも、打ち合いはしない。

  そもそもそんなことをしてみろ、師範の雷が落ちるぞ」

 「う……そりゃ、まぁ……」


とっさに青ざめた隼人に笑いがこみあがる。

この道場に通うものは誰しも、それこそましろも含めて、

師範の怖さ、否、恐ろしさはよく知っている。

間違ったことは決して言わない、とても厳しいが尊敬できる、

しかし、間違ったことをこちらがすれば、

とてもいい笑顔で、えげつないほどの正論を武器に、精神を攻撃してくる。

そして限界をギリギリ越えられるかどうか、というような

練習を剛速球で上げてくる。

静をはじめ、ここに通う全員は一度や二度は受けたことがあるものだ。


 「隼人、お前の番だ。ちょっと来い」


少し離れたところで静とあまり変わらないくらいの青年が隼人を呼ぶ。

雲鍾うんしょう かける

彼もまた、静と同じこの道場に長く通っていた青年で、静よりひとつ年上だ。

静がここに通い始めるより少し早く通いだし、

この道場での基本的なことを教えてくれたのは彼である。

世話好きで面倒見がよく、静も彼にはよく世話になった記憶がある。

とても強い剣道家だったが、オーバーワークがたたり、去年、引退せざるを得なくなった。

その時はかなり落ち込んでいたが、持ち前の前向きさで吹っ切れ、

今は大学でスポーツインストラクターになるべく様々なことを学んでいる。

今日もまた、その知識や剣道での経験を生かして、後進の育成を手伝っているようだ。

たまに顔を出す自分とは異なり、翔はたびたびここに顔を出しては、

師範たちの手伝いをしているらしい。


翔に呼ばれ隼人は嬉しそうに駆けだした。


 「へいへいっと!待ってたぜ!」

 「待つくらいなら素振りくらいしてろよ……」

 「してたって!ましろ、あとで相手してくれよ!」

 「分かった分かった」


隼人と入れ替わる形でこちらに来たましろに、静は目元を細める。

いくらも伸びた艶やかな濡れ羽色の髪を頭の後ろで留め、

壁際に置いた荷物からタオルを取り出して汗を拭く。

道着姿の彼女はとても凛々しく、普段の様子も相まって、

一層、その美しさが際立っているように見えた。


 「今日、来て大丈夫だったの?」

 「なにがだ?」

 「最近忙しくなってきたんでしょ?

  乃亜が心配してたよ」


苦笑いを浮かべるしかない。

静は肩をすくめた。


 「忙しいのは確かだが、気分転換したいときもある。

  ……というか、乃亜に気付かれてたか」

 「結構鋭い方だと思うけど。

  色々、余裕が出てきたってことでしょ」

 「ああ……そうだな」


本当にその通りなのだと思う。

一年前に共に暮らし始めたときを考えると、乃亜は一層明るくなった。

中学も問題なく過ごしているようだし、

習い事としてヴァイオリンを始めたのもきっとよかったのだろう。

そして隣で少し休憩をしているましろの存在。


静の身近にいて、心から信頼がおける、乃亜と歳の近い、等の条件に

ぴったりと当てはまる彼女は、当初静が想像していたよりも

はるかに乃亜にとって良い影響があったようだ。

心の深いところまで優しい光で満たしてくれる。

自分にも幾度も覚えがあるが、乃亜にとってもきっとそうだったのだろう。

ましろ自身も乃亜のことをとても気に入っているようだった。


知り合って間もないくらいの頃から、

乃亜とましろはよく一緒に出掛けたりしているようだった。

それを聞いて、ましろに、自分の妹だからと気を使ってやしないかと尋ねた。

杞憂だとは思ったが、乃亜の事情もおおよそ把握しているだけに

念のため確認しておきたかった。

しかし返ってきた返事というと、


 『私がそんなことで時間つくるわけないでしょ』


という、なんとも彼女らしいものだった。

要はましろも乃亜のことを気に入って、楽しんでいるのだと。

更に。


 『むしろそう思われてるとしたらだいぶ心外なんだけど』


と、機嫌を損ねてしまった。

これには素直に謝罪して、機嫌を戻してもらったが。


 「静」


声をかけられ振り向く。

となりのましろが緊張したように背筋が伸びた。

この道場の主である師範、ましろの父、八雲である。


 「どうだ、基礎練の様子は」

 「特に大きな気がかりはないように思いますね。

  新年度ですから、多少のゆるみはあるかもしれませんが」

 「そのようだな」


師範が道場に姿を見せた瞬間から道場の中に漂う空気がピンと張り詰めた。

彼は別段厳しい顔つきをしているわけではない。

むしろ口元に笑みさえ浮かべている。

しかしその琥珀の瞳は、獲物を狙う猛禽類のように鋭く厳しい。


今の時間は基礎練習と休憩を交互に取りながらの時間だ。

休憩の時間に多少雑談を取っていても、度が過ぎなければ咎められるわけではない。

しかしそれでも、自然と誰もが口を噤んでいた。


 「翔、基礎錬はひとしきり終わったか?」

 「はい」

 「よし、二人一組になって追い込み。

  ましろ、お前は隼人と組め」

 「はい」


分かっていたようにましろは隼人と組みになる。

ましろは強い。

おそらくこの道場に通っている同世代の同性の中で抜きんでている。

そのため同性では相手ができない。

いつも白羽の矢がささるのは隼人だ。

もちろん、どうしても男女比が出ることはあるだろうが、

それでも練習の中では、二人はいつも組み、切磋琢磨していた。

互いに互いを良きライバルとして、友人として、親友として、高め合っていた。


生徒たちがそれぞれ準備を手早く行い、二人一組になって向きあう。

師範がいる時、生徒たちの動きは著しく早い。


 「はじめ!」


師範の声が響く。

パン、パンという竹刀の音が響く中、静は、ましろと隼人の動きを見ていた。

今攻めているのは隼人の方。

ましろの足さばきはとても流麗だ。一方で隼人は一撃が重い。

やがて5分ほどそれが続き、交代、と師範が短く告げ、すぐに再開がされた。

今度はましろが攻める方。

激しい全身運動は全員の体力を容赦なく奪っているだろう。

先ほどよりも多少ブレを感じさせるが仕方ない。


だが、その時ましろに妙な動きが見えた。

隼人が下がったのについていかない。それどころか足を止めた。

身体が折れ曲がった。明らかに様子がおかしい。

膝が曲がった、竹刀を持ったまま、両手で身体の中心を抑え込んでいる。


 「っ、ましろ!!」


ぐらりと彼女の身体が、崩れ落ちた。



新章開始。

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★毎週木曜11:30・日曜19:00頃更新予定★

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★アルファポリスでも連載中★

https://www.alphapolis.co.jp/novel/598640359/12970664

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