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しばらくして応接室にやって来たロイはかなり疲弊した様子だった。訓練兵たちの治療にあたっていたという。
騎士団は全部で五つに分かれていて、その全ての怪我人が診療所に集まってくる。
ロイが数日帝国を空けている間に訓練で多数の怪我人が出たらしく、その対応に追われていたのだという。
重症者の全ての治療にあたったロイは中軽傷の患者の治療に行く途中で抜け出して来たらしい。
「ロイさんが抜け出したらまずいのでは?」
「私以外にも数名、回復魔法士はおりますので問題無いでしょう」
クラールとアスラが囲ったテーブルに近づいたロイがソファに座るとすぐさま、ビビが紅茶を差し出している。
いつから紅茶の準備に取り掛かっていたのか気づいていなかったがビビはとても気がきく侍女のようだ。
ロイが紅茶を飲んで一息ついたところで、アスラが時計を見て口を開いた。
「そろそろ第一騎士団が戻ってくるぞ」
「ええ、遠征から帰って来て重症者がいないことを願うばかりですね」
「無理だろうな。第一騎士団が中級魔獣の群れと遭遇したと聞いた」
ロイは大きなため息をついている。
魔獣は一匹でも討伐は難しい。昔ケレス村付近に下級魔獣が出た時は、近隣の村から男たちが総出で討伐に行き被害者が多く出た。
中級以上になると物理的な攻撃に加えて、状態異常を起こす魔力を放つことが多い。それが群れを成していれば、たとえ帝国騎士団といえど討伐は困難を極めるだろう。その場で死人が出てもおかしくはない。幸いなことに死人が出ている報告は上がってないという。
ロイは疲れを回復させるためなのかテーブル置かれた菓子にひたすら手を伸ばしている。
「帝国では魔獣の出現が多いんですか?」
「ああ。海の魔獣の討伐は定期的に行わないと、船が出せなくなるからな」
帝国は海に囲まれているため、船で他国渡って輸出入が行われている。海の魔獣によって海路が塞がれると物流が止まってしまうので定期的な討伐が必要なのだという。
帝国で作られる様々な商品は他国の貴族からの需要が高く、得られる利益は莫大である。そして帝国も他国からの輸入品で賄っている物が届かないのは大問題なのだ。安全な海路の確保は最重要事項であり、海を管理している帝国の義務である。
海の魔獣を見たことがないクラールは想像しただけで身震いした。
しばらくして部屋の外から何やら声が聞こえてくる。
「ーーロイさま!ロイ様ーー!!」
すごい速さで走ってきて扉をドンドンと叩いている。
菓子を食べる手が一瞬止まったかと思ったが、すぐに再開して次の菓子を口に入れている。
アスラが目配せしビビが扉を開けに行くと、一人の男がロイを見つけるなり飛び込んできて胸元に掴みかかっている。
「ロイ様!!!」
「おやおや、スオウどうしたのです?」
「どうしたじゃありませんよ!!遠征から戻って来た第一騎士団の治療をお願いします!!中軽傷の患者の対応に当たっていると思っていたのに、突然消えてどこに行ったのか探し回ったじゃないですか!!!」
スオウと呼ばれた男はクラールと同い年ぐらいだろうか。額に汗、目には涙を浮かべて首を絞めかねないほど必死に掴みかかり文句を言っている。アスラの前で文句を垂れ流していたロイと少し似ているが、皮肉や嫌味がなく本当に必死に見える。
本気で連れ戻そうとしているのを見るとロイはサボりの常習犯なのだろうと確信した。
「落ち着いてください。殿下とお客様の前ですよ」
ロイの冷静な言葉に一瞬時が止まったのかと思ったがスオウは掴みかかっていた手を外してアスラとクラールに慌てて頭を下げた。
「申し訳ございません!」
「構わん。第一騎士団の状況は?」
ひらりと手を挙げてアスラに頭を上げるように指示されたスオウの顔からは涙は消えていたが緊張しているようだ。顔がこわばったまま状況説明を始めた。
「第一騎士団は海上での魔獣討伐で、重症者が多数出ています。同乗していた回復魔法士によって全員命は取り留めて帰還していますが、状態異常を受けた騎士たちは目を覚ましておりません。」
診療所に運ばれた多くは回復魔法をかけてもうなされて苦しんでいるため深刻な状況だという。
状態異常はそれだけ厄介なものである。
「麻痺か眠りか……あるいはその両方ですねぇ」
「半数近くに状態異常が出ています。ですので早くお戻りください。ロイ様」
魔法による状態異常の治療をするには専用の薬草から魔力石を取り出したポーションを飲ませる。
しかし専用の薬草は稀少の為、ない場合は回復魔法をかけ続けて自身の回復力に任せることしかできない。回復力が足りないと状態異常は治らないので、眠った者が目を覚ますことはないという。
クラールは自分の魔力の特性故に状態異常については多少理解しているので事の深刻さに青い顔をしていたのだが、その横で治療に呼ばれている本人は悠長に紅茶を飲み干している。
わなわなと震えているスオウの握りしめた手からパキパキと骨の音がしてロイの態度にキレているのがわかる。
「ロイ様!!!」
「わかっていますよ。私はただここで紅茶を飲んでいたわけではありません」
どう見てもダラダラ紅茶を飲んで菓子を食べていたと、ロイ以外のこの場にいる者は内心突っ込んでいた。
ロイはキレているスオウを制し、クラールに向かってにっこり笑いかけた。
「クラールはこの状況をどう思いますか?」
話に入っていなかったクラールは唐突に問いかけられた意味がわからず首を傾げた。他国から来た自分がこのまま話を聞いていて良いものかとは思いつつも、外に出るタイミングも掴めず黙っていたのだがまさか話を振られるとは思わなかった。
「第一騎士団は半数近くが状態異常を起こしています。本来なら有事の際に殿下を一番近くでお守りするのは第一騎士団です」
話が全く見えず曖昧な返事をしたクラールは、ロイの意図をはかりかねている。なぜ自分に聞くのか。
ちらりとアスラに視線を向けたが呆れた顔をしているので余計に意味がわからなかった。
「つまり第一騎士団が機能していないと殿下の身に危険が及びかねないのですよ。これは殿下にとっても大変なことだと思いませんか?」
「そ、そうです……ね……そう思います……」
「大変な状況の私たちにクラールはもちろん手を貸してくれますよね?帝国に来る前に選びましたよね?」
ロイの圧がすごい。帝国に来る前の会話で「監禁よりは移住がいいですよね?」と聞かれたことを思い出す。物騒な選択肢を思い出して嫌な汗が背中を流れる。ロイは無理矢理連れて行かれたくなければ、自主的に手伝えと言っているのだ。クラールがコクコクと力強く頷くとロイは満足そうに立ち上がった。
「では殿下を救ったその力を、殿下を守る第一騎士団を救うためにも使ってくれますよね?」
やっと意味がわかった時には、有無を言わさぬ笑顔で差し出された手に恐る恐る手を伸ばすしかなかった。
アルトラ帝国に来る前もこうやって口車に乗せられたのだと思い出した。