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「ビビさんはアスラさんにずっと仕えているのですか?」
「はい。殿下が生まれた時からずっと。こーんな小さかったのですよ」
ポケットから取り出したハンカチで涙を拭いていたビビはふふっと笑って、手でアスラが赤ん坊だった頃の大きさを示している。ビビの見た目から二十代だと思ったが、アスラが生まれてからずっと仕えているということは年齢はもっと上らしい。そういえばアスラの年齢も知らないことにクラールは今更気がついた。
「アスラさんっておいくつなんですか?」
「殿下は今年二十四歳です」
クラールは今年十八歳になったばかりである。アスラと話しているともっと歳が近いかと思っていたので六つ上だと知って少し申し訳ない。
アスラの話で盛り上がっていると部屋の扉を叩く音が聞こえた。すぐさまビビが扉を開けに行くと、報告を終えたアスラが入ってきた。
「すまない待たせた」
「クラール様のお支度は済んでおります」
「ああ、ありがとう。クラール、帝国の服はどう……」
アスラはソファに座っているクラールを見るなり黙り込んでしまった。
クラールは何か問題があるのだろうかと考え、ソワソワして立ち上がった。
「……派手でしょうか?」
「いや、とてもよく似合っている」
アスラが上から下までじっくり見ていて余計恥ずかしい。シュロン国の服とは違い、今着ている帝国の服は裾が膝下丈であるため立ち上がると慣れない丈が気になる。
「シュロン国とはデザインが違うって本当ですね」
「ああ、シュロン国の服は帝国の昔の服を見ているようだったからな」
悪気なく放たれた言葉はクラールの心にまたグサリと刺さった。流行の最先端と片田舎の村娘の服を比べないでほしい。
話しているとビビが紅茶を準備し始めていたので、二人はソファに座った。
「そういえばロイさんは一緒じゃなかったんですか?」
「ロイは診療所に行ったよ。訓練で怪我人が出たらしい」
アスラの苦笑で、また不満を垂れていたのだろうと想像がつく。
この部屋に来るまでに回廊を歩いていると訓練している兵士たちを見かけた。攻撃魔法を使っていたので怪我人も出るだろうと気になっていた。
「クラールのこと、魔法のことを含めて陛下に報告して来た」
その言葉に背筋がピンッと伸びる。国王陛下がクラールの魔法についてどう思うだろうかと思うと不安になる。
村では散々恐れられてきた魔法だ。他国から来たクラールを危険と判断してそれこそ監禁される可能性だってあるのだ。もしそうなったらと考えると怖い。
「陛下はクラールの魔法を是非帝国で役立ててほしいと仰せだ」
「そう、ですか……」
その言葉に体の力が抜ける。ほっと胸を撫で下ろして紅茶に口をつけた。
帝国には代表的な魔力属性に限らず、希少と言われる闇属性や光属性など様々な魔力を持つものがいるという。クラールのような珍しい魔力を持つものにも柔軟な目で見ているのかもしれない。
帝国が属国を多く持ち、ここまで繁栄しているのは様々な理由があるのだが、その一つは魔法に対しての研究が進んでいるからである。
アスラがクラールを恐れないのは、研究のために希少な魔力を受け入れるこの国の姿勢を受け継いでいるのだろうと思う。やはり帝国はすごい国だと頷いて納得していると、だが、とアスラが続けたので身構え直した。
「陛下には、王宮内に住まわせることはできないと言われた」
クラール自身は自分がどこで暮らすことになるのかと思っていたが、常識的に考えて王宮内はあり得ないと思っていた。他国の一般庶民だからだ。よそ者が王宮に住むなんて陛下もその臣下も許さないのは当然だ。
しかし、アスラが申し訳なさそうに話すところを見ると本気で王宮内に部屋を用意しようとしていたようだ。あれはロイの冗談だと思っていたがそうではなかったらしい。
「俺の部屋なら使ってくれて構わないと思っていたんだが……」
なんてこと言い出すのかとクラールは思ったが、大真面目な顔をしているのでアスラは本気で言っているらしい。近くに待機しているビビをちらりと見ると、なぜかよくわからないが口元を抑えて喜んでいるように見える。
「アスラさん、それは流石に……無理なことというか……噂が立ったらまずいのでは……」
「陛下にも言われたよ。妃にするつもりか、と」
とんでもないこと言わないでください、とクラールは額を抑えた。周りからどんな目で見られるのか考えただけで寿命が縮みそうだった。
アスラにそんなつもりはなかっただろうし考えもしていなかったのだろうが、ケレス村でクラールの自宅にアスラを泊めるのと王宮にクラールを泊めるのを同列に考えてはいけない。
クラールの反応が予想外だったのか、少し不機嫌そうにアスラは腕を組んでいる。
「ーーしばらくは騎士団の宿舎の空き部屋に泊まって貰えるだろうか。準備が出来次第、女子寮の部屋を使えるように手配するから」
「女子寮なんてあるんですか?」
「ああ、アカデミーの女子寮だがな」
「アカデミー?」
「魔法を専門に扱う学校のことだ」
女子寮を使うにはアカデミーに所属している必要があるらしい。帝国に限らず、他国からも優秀な魔法士が通っているという。
シュロン国にも学校はあるが一番長くても十五歳までしか通えない。それも魔法ではなくて字や歴史、計算など一般的な教養を身につける貴族の子女のための場所である。ちなみにケレス村には学校自体がなかったので、子供の頃は週に一度開かれる村長の塾に通っていた。あとはほとんど本で学ぶか、父親から習っていた。
「私がそのアカデミーに通うってことですか?」
「そうだな」
「でも私、今年もう十八歳ですよ」
「アカデミーは二十二歳まで通えるから問題ない」
帝国は優秀な人材の育成に力を入れているのだから他国よりも長い期間をかけるのも当然だと納得する。
魔法を専門に学ぶアカデミーでは研究も行われているというので、アカデミーに通うことでクラールの魔法についても研究が行われることになるのだという。
寮があるのありがたいが一つ問題があった。
「私、アカデミーに通えるようなお金持ってないです……」
シュロン国の学校も十五歳まで通うとなるとかなりの学費が必要な為、通えるのは貴族の子女だけである。具体的な金額は知らないがとても庶民が払える額ではないのだ。実際ケレス村から学校に通える者は誰もいなかった。大きな土地を持つ村長の息子ですら学校には行っていなかったのだから学費は相当な額だと想像していた。それが帝国のアカデミーともなれば学費は一層高いだろう。
金銭的な問題から通うのは不可能だと訴えたクラールにアスラは子供のように口元をにんまりとさせている。
「推薦された者は学費も寮費もかからない」
「スイ、セン……?」
優秀な魔法士を育成するアカデミーに費用がかからないとはどういうことなのか、想定していない言葉が出てきてクラールは間抜けな声を出す。
水栓、水仙、垂線……などと自分の知っている言葉を当てはめてとようやくそれが「推薦」であると気づいた。
「アカデミーの卒業試験でその年の最高得点を出した者には一度だけ推薦権が与えられるんだ。その者に推薦された者は学費がかからないと決まっている」
「……どなたが私を推薦したんですか?」
「俺」
自身の顔を指さして楽しそうに答えたアスラに驚愕してティーカップを持つ手が震える。
いつもの服、いつものカップなら確実に手を滑らせて落として割っていただろう。高価な服を汚すわけにも、高価なティーカップを落とすわけにはいかないので手に力が入っている結果手元がブルブルと震えていた。
「アカデミーは卒業したが、推薦できる相手がいなくてずっと使っていなかったんだ」
アスラの笑顔が眩しい。
帝国での居住の話から随分と飛躍していて頭が痛い。寮に住むためのアカデミーへの入学なのに第一王子の推薦なんてあまりにも荷が重すぎる。
まだ入学していないのにすでにクラールの心は折れそうだった。