1-6
二人のやりとりをしばらく黙って聞いていたロイは魔力石を触って光に翳してみたり、叩いたり興味津々といった様子だった。
「奪った魔力を使うことはできないのですか?」
「魔力石のままでは使えません。薬草からとれる回復の魔力石と同じように魔力を加えて加熱すればポーションを作り出すことはできます。たとえば毒の魔力石から作ったポーションを飲んだ人は毒の影響を受けます」
「なるほど……それはとても研究し甲斐がありますねえ」
ロイは何を考えているのかニヤリと笑っている。
「ロイ……お前……」
「殿下だって他の方の呪いもどうにかしようと思っているでしょう?」
「それはそうだが……」
アスラは諌めるようにロイを見ているが、そのロイの視線は魔力石とクラールを交互に見ている。
目の前の魔力石はクラールからすれば何度見ても禍々しい色をした石であまり触りたい見た目ではないが、ロイの興味は止まらなかった。
アスラは腕を組んで何やら考え始めた。
「そういえばアスラさんの他にも呪いを受けた方がいると仰っていましたね」
「ああ、騎士団に所属する数名が呪いで魔法が使えない」
本来アスラが森へ向かっていた目的は呪いをかけた人物を探していたからなのだが、その前に人攫いの連中を見つけて戦闘になり毒を受けて倒れてしまったのだ。
それがなければ呪いをかけた張本人を探し出し、捕まえて帝国に連れて行き呪いを解かせる算段だったようだ。呪いは本人に解かせる方法が一般的に知られている。より強い呪いを使う手もあるが、呪いの魔法を使える人間自体ごく稀なので難しい。
呪いをかけた人物は見つかっていないが、そもそも本当に森にいたのかも不明である。クラールによって呪いは取り出されているので結果的には良かったのだろう。
捉え方によってはクラールの魔法も呪いの一つのようなものかも知れない。
そう思うとこの魔法はなるべく人に使うべきではないのだと改めて心に決めたのだ。
「クラール。帝国でその魔法を使ってくれないだろうか?」
「……」
たった今、使わないと心に決めたことを頼まれてしまった。
アスラと同じように呪いで魔力が封じられた者たちの呪いも取り出してほしいということだ。
クラールは悪意を持ってこの魔法を使い本人が持つ本来の魔力まで奪おうなどとは微塵も思っていないが、そう思われる可能性があるのは否定できない。誰もがアスラのようにこの魔法に抵抗がないとは限らないからだ。
「ダメか?」
「いや、その……」
アスラの頼みに躊躇っていると、隣のロイがわざとらしく伏し目がちにため息をついた。
「……突然帝国を空けて出てきた私は帝国に帰れば、ここで起きたことの報告をする義務があります。殿下の魔力が戻ったことはすぐに周囲に知られることでしょう。なにせ私の部屋の窓を盛大に割った原因なのですから。たとえ、あなたの魔法を伏せて話をしたところで必ずバレます。そうなれば黙っていた私もアスラも罰せられるでしょう。帝国の罰はとても恐ろしいのです……」
「っ!!!」
クラールが勢いよく立ち上がったので派手な音を立てて椅子が倒れた。
ここにロイを呼んだのはアスラだが、ロイがここに来る原因となったのはクラールである。帝国の罰とはどれぐらいのものだろうか。自分のせいで、二人が酷い目に遭うのは考えたくない。
ロイは目元を押さえている。それ程、帝国の罰は恐ろしいのだろうかと想像して頭を振った。
「クラールが帝国に対して協力的な姿勢でいてくれると大変ありがたいのですが……」
「……わかりました。呪いを受けている方が望むなら協力したいと思います」
「殿下!聞きましたか?そうですよねぇ!ああ、クラールが優しい人でよかった!」
つい先程の涙を流しているかのような振る舞いから打って変わって、ロイはクラールの手を握ってブンブン振っている。
「どのみち……クラールの存在を陛下が知ればここに放置しておくことは危険だと判断し、帝国へ連れて行くことになっただろうがな」
ボソリと呟いたアスラはため息をついて視線を逸らしている。
つまり、クラールがどんな返答をしようがいずれは帝国に行くことになるということだ。
「まぁ、そうですけどね。無理矢理連れて行くより、自主的に来ていただく方がいいでしょう?クラールだって帝国に監禁よりは移住の方がいいですよね?」
完全にロイの口車に乗せられてしまったことにようやく気づいて、ぎこちなく頷いた。協力しないと返答していたら恐ろしいことになっていたかもしれない。
ケレス村で恐れられていたこの魔力は村の中でしか周知されていなかったし、クラール自身隠して生活をしていた。しかしもう存在は帝国の人間である二人に知られてしまった。アスラやロイがこの魔法をどう思っているかは別として、帝国として考えた時には脅威と判断されたということだ。
二人が帝国に帰ってから国王に報告をすれば強制連行。それなら自ら帝国に行き移住する方が自由がある。
「クラール、大丈夫か?」
「……私、アルトラ帝国にどれぐらい住むことになりますか?」
青い顔をしているとアスラは心配してくれているが、ロイは当たり前と言わんばかりの顔で「永住ですよ」と横から言ってくる。帝国に行くのは呪いを取り出す期間の話だと思ったがそうではないのだ。
ずっとこの村にいた自分が帝国に行くことになるなど考えもしなかったクラールは、これからを想像して放心してしまう。もう返す言葉が何も出なくなってしまった。
とんでもないことを引き受けたのだと気づいた時には、帝国に行く準備が進められていたのだった。
気が変わる前に今すぐ帝国に行きましょう、と意気込んでいたロイだが荷物の準備ぐらいさせてやれというアスラの言葉に渋々頷いた。
クラールの荷物はそう多くない。シュロン国の服はアルトラ帝国とはデザインが違うそうで、帝国に着いてから用意することになった。
そうなると持って行く物はバッグ一つに収まった。バックを持って玄関に向かうとアスラが待っていた。
「帝国まではどうやって行くんですか?」
「転移魔法だ」
クラールは荷造りをしながら、帝国までどれぐらい時間がかかるのかと考えていた。船だったらかなりの長旅だろうが、転移魔法で行くとなれば一瞬らしい。
「どなたが使えるんですか?」
「ロイがここに来た時に、転移魔法を使える者と一緒に来ている。あそこにいるユアンがそうだ」
ロイと一緒に来た転移魔法を使えるというユアンは家の外で護衛をしていたらしい。王子がいるのだから護衛がいるのは当然といえば当然だ。
(全然気づかなかった……あの人だけずっと外にいたんだ……)
アスラに名前を呼ばれたユアンが会釈をする。
護衛なので仕方がないのだが、一人だけお茶も飲めずずっと外に立っていたのかとクラールは少し申し訳なくなった。ふと思い立ってバッグのポケットから小さな包みを取り出した。
「ユアンさん、これよかったら……」
船の中で食べるおやつにしようと思って包んだナッツやドライフルーツが入った袋をユアンに手渡した。ユアンは会釈をしただけだったが、表情は少しだけ嬉しそうに見える。ロイはよく喋るがユアンは寡黙な人のようだ。
ユアンは出発を急かすロイに呼ばれて行ってしまう。
その様子を少し後ろから見ていたアスラが思い出したように話し出した。
「そういえば、髪を元に戻すのは回復魔法でも無理だとロイに言われた」
「髪はまたすぐ伸びるから大丈夫です。それにあんなに長かったから尚更イーテなんて言われてたんです。今は寧ろ軽くなって良いかなって」
クラールの腰まであった長い髪は肩まで短くなっている。あまりにザンバラだったので準備の間に少し整えたのだ。
「ああ、そのイーテというのも気になっていたんだ」
「イーテはこの国の迷信です。私がまだ幼い頃、近所の子どもたちと遊んでいた時に誤って魔力を奪ってしまったことがあって……それから私は村の人たちに【イーテ】と恐れられてきたんです」
クラールは過去に何度も言われてきた魔獣の話をする。イーテはその長い毛で人間を縊り殺して魔力を奪ってしまうという。この国の子供達は悪いことをすればイーテに食べられてしまうと教えられるのだと。
「なるほどな。国によって違う伝わり方をしているのか。帝国では、イーテは人々の病を治す妖精として伝わっている」
「そうなんですか?」
「ああ、家の窓辺に少量の穀物を置くとイーテがやって来て病を持ち帰ると信じられている」
同じ名前でも魔獣と妖精では随分扱いが違うものだ。
だから子どもたちが「イーテ」と言った時にアスラは不思議な顔をしていたのだと合点がいく。
きっと子供達の言葉が矛盾して聞こえていたことだろう。
「妖精なんて可愛いお話ですね。アスラさんも窓辺に穀物を置いたことがありますか?」
「ああ、何度も置いたよ。妖精なんて信じてなかったけどな」
クラールは、その光景を想像すると微笑ましかった。
「でもまさか本当に現れるとは思わなかったよ」
「見たことあるんですか?」
迷信が現実になるなんてことがあるのかとクラールは驚いた。魔獣は遠慮したいが妖精なら会ってみたいかもしれないと目を輝かせている。
クラールが顔を上げた時にふわりと揺れたその髪にアスラはそっと口付けた。何が起きたのかわからず動揺して顔を赤くしたクラールの反応にアスラは笑顔を向けている。
「……クラールには帝国の妖精イーテになってほしい」
「帝国の……?」
「ああ、その魔法で俺を救ってくれたように。帝国でもその力を使ってほしい」
アスラはクラールに向かって手を差し出した。
人に恐怖を与えるこの魔法が人を救う魔法になればいい。クラール自身もずっとこの魔法を恐れていた。それでも母はいつか誰かのために使ってほしいと言っていた。その言葉の意味が今やっとわかった気がした。
クラールは頷きその手を取った。