1-5
クラールは三人分の茶を淹れてテーブルに置いた。
どこから取り出したのかロイが持参した茶葉をクラールに差し出して、お茶を飲みながら話をしましょうと言ったのでテーブルへ移動したのだ。
身分が違いすぎて三人で食卓を囲ってお茶を飲んでいるのは違和感があるのだが、お茶と一緒に出したナッツやドライフルーツをロイがモリモリ食べていて緊張感はどこかへ消えた。まるでリスのようだと見ていて少し面白い。
「ロイさん、お茶菓子の追加もありますよ」
ロイが帝国騎士団所属と聞いて様付けしようとしたがアスラ共々気を遣わなくて良いと言われた。アスラに殿下と呼ぶのも畏まった態度もやめてくれと言われてかなり困った。
二人は幼馴染らしく、帝国にいた時から堅苦しい関係ではないという。
ロイは嬉しそうに追加の菓子に手を伸ばしている。
「いやぁ、普段は気の利かない血の気の多いゴリラのような脳筋たちばかりを相手にしていますからねぇ。怪我が絶えないので落ち着いてお茶を飲む暇もないんですよ」
(ゴリラ……)
帝国騎士団のことだろうが酷い言われようである。毎日訓練をしている騎士たちは生傷が絶えないという。ロイは戦場に出ても前線に出る騎士ではなく回復魔法を使った後方支援をしているらしい。
毎日傷だらけの騎士達の治療にあたり仕事量が多く休みも殆どないという。
「そんな超多忙な私をここに呼んだこの人も同じですよ。どいつもこいつも治った側から剣を振り回し、また怪我をして帰ってきますからね。後先考えない脳筋ばかりで非常に困ります」
確かにアスラは目を覚ましてから全然休むことなく動き回って剣を振っていたことを思い出した。
そろそろロイの終わることのない愚痴を止めないとまた鉄拳が頭に入りそうだ。隣でアスラの拳が握られている。
「そういえばどうやってロイさんをここに呼んだんですか?」
クラールはロイの頭がまた犠牲にならないように、気になっていた質問をした。
通常遠くにいる人間と連絡を取るには手紙を出すのだが、クラールが眠っていたのは二日ほどなので帝国に手紙は届かないだろう。
「風魔法が戻ったから鳥を飛ばしたんだ。帝国は立地上、風魔法を使える者が鳥を飛ばす訓練を受けている」
アルトラ帝国の周辺は海で囲われている為、他国を行き来するのに船が必須である。その為他国との連絡手段として鳥を飛ばすことが多く、その扱いは風魔法を使える者が得意とするようだ。
「すごい……そんなことできるんですね」
「シュロン国からも帝国に向けて鳥を飛ばすこともよくありますよ」
クラールには遠くに住む知り合いなどはいないので、手紙を出す相手がいない。たまにオーリ街の店からポーションの追加発注の手紙が届くくらいで鳥を使うことなどないので知らなかった。
「帝国から鳥の扱いに長けた者が属国には配備されていますからね。定期的な連絡手段としてよく使われます。け、れ、ど!今回殿下は鳥に風魔法をかけてより早く手紙を届けようとしたので、私の部屋の外にある止まり木に勢いよく到着した鳥の風圧よって窓はバキバキに割れました」
「そうか、鳥が無事について良かったよ」
しれっとアスラが言ったのを横でロイは睨んで「鳥はね!」と返しているので、部屋が無事でなかったことをかなり恨んでいるらしい。想像したらすごい光景である。きっととんでもないスピードの鳥が飛んでいたことだろう。
ロイは手紙が届いた時、魔法の研究をしていたらしい。普段から多様な属性魔法を使う人達の治療にあたる彼は時間ができれば魔法の研究に没頭していて、その時は新しく買った魔法書を読み漁っていたという。窓が割れたこと以上に大切な研究時間をぶち壊されたことの方を恨んでいる気がする。
「手紙を読んでみると、転移魔法で今すぐここに来いと書かれていたので余程のことだろうと思い飛んできてみれば、ズタボロの殿下が女性を看病しているではありませんか。帰ろうかと思いましたよ」
「……すみません……」
自分のせいだとクラールは謝罪を口にした。
あの時逃げ切っていればアスラが酷い怪我を負うことはなかったかもしれない。呪いを奪ってからは意識がなかったのでどうしようもなかったが、よくよく考えてみれば呪いを取り出したものの怪我人にその後も戦わせてしまったのはかなり申し訳ない。
あの時は自分にはできることがそれしか思いつかなかったのだ。
「あなたが謝る必要はないですよ。この人はあれぐらいの怪我では死にません。しかし、しばらく見かけなかった殿下がこんな片田舎の村で女性と過ごしているなんて思いませんでしたけどねぇ」
「妙な言い方をするな」
「仕方ないでしょう。呪いが解けたということはてっきり呪いをかけた張本人を引っ捕まえていると思ったんですから。せっかくあれこれ解剖して調べ尽くしてやろうと色々道具を持ってきていたのに……」
ロイは魔法の研究をする中で呪いの研究もしていたので、呪いが解けたということはその研究もまた進むだろうと期待に胸を躍らせてここに来たようだ。
それが着いて早々、クラールの看病を命じられてさぞ肩を落としたことだろう。
見せられたケースの中に入っている道具はピカピカに磨かれている。一歩間違えば自分が解剖されていたのでは、とクラールは背筋がぞくりとする。
「ところで、こちらは貴方がずっと握りしめていた物です。魔力が戻った話は殿下からも聞いています。私はこれが関係していると思うのですが、これが何かお話しいただけますか?」
テーブルの上に置かれたのは布に包まれた魔力石だった。クラールがアスラの呪いを奪った時にできた物である。
アスラをチラリと見ると不思議そうな顔で魔力石を見ている。クラールは立ち上がり、引き出しからもう一つの魔力石を取り出して座り直した。手の中の魔力石を見つめて、アスラがここを発つ前に話そうと決めていたことを話し始める。
「私が手に持っているのは、アスラさんが森で倒れた時に受けていた毒の魔力石です。そしてそちらは呪いの魔力石です。魔力石自体には人に害を与える効果はありませんので触れても問題ありません」
薬草から取り出した回復の魔力石に触れても効果がないように毒や呪いの魔力石を触っても何も起こることはない。見た目が禍々しい色をしているのであえて触りたいとも思わないだけだ。
布に包んでいたということは直接触って安全な物なのかわからなかったのだろう。クラールは呪いの魔力石を包んでいる布を外し、毒の魔力石と並べて二人の前に置いた。
「私は……他人の魔力を魔力石にして取り出すことができます。要は魔力を奪う魔法です。アスラさんが森で倒れていた原因が毒だと気づいた時は、解毒をしたのではなく魔法で毒の魔力を取り出したのです」
魔力石を触って見つめているアスラは不思議そうな顔をしている。こんな魔法の話をされれば誰だって困るだろう。
多様な魔法があるとはいえ、まさかあるはずがないと信じられない物もあるだろう。クラールだって例えば【時を戻す魔法】などがあっても信じられない。
「あの毒はポーションで治ったわけではなかったということか」
「はい。専用の薬草からポーションを作れば治せることもありますが、かなりの専門知識が必要で私にはできません」
それを知っているのは薬草の研究をしている専門家だろう。クラールにはそんな知識はないので、魔法を使って取り出したのだ。
「アスラさん、本当にごめんなさい」
「なんだ?いきなり」
「本当は人の魔力を奪うなんて、本人の許可なく勝手にして良いわけがありません……。たとえそれが魔法で毒や呪いを受けていたからだとしても。それを奪えるということは、その方自身の魔力も奪えるということなのです」
クラールがずっと気にしているのは、自分がやろうと思えばアスラの風の魔力だって奪うことができると明かしているということだ。
今回は毒や呪いだけを取り出したが、捉え方によってはクラールはとても脅威に感じるはずだ。
アスラに限らずこの話を聞いているロイも同様に、きっとクラールの魔法を恐ろしいと思うだろう。
「昔から人前では使わないようにと両親に言われていました。毒を取り出した時は周りに誰もいなかったし、アスラさんも気を失っていたので使ってしまいましたけど……。呪いの時はアスラさんや他にも周りの目があるとわかっていたのに……ごめんなさい」
あの大男や他の周りにいた者たちに見えたとしても、クラールが何をしたかなどわからないはずだが絶対とは言い切れない。
クラールは頭を下げて、テーブルの下でぎゅっと手を握っていた。
こんな魔法を使うことを気持ち悪く思われただろうか、村の人たちのようにクラールを恐ろしい魔獣【イーテ】のようだと思ったかもしれない。
「本当ならアスラさんがここを発つ直前に話して、許可を取ってから呪いを取り出すつもりでした。そうすれば、もし私のことが恐ろしくなってもすぐにここを離れれば良いだけですから……」
この話をすればどんな反応をされるだろうか、怖がられるか気持ち悪がられるか、それ以前にアスラは王族だ。自分の本来の魔力を奪う可能性のあるクラールを脅威だと思えば、牢に閉じ込めることも殺すことも容易いだろう。
考えるほど、アスラの言葉を聞くのが怖くてしかたなかった。
「クラール、頭を上げてほしい」
アスラの声はとても優しかった。何度も村で言われてきた冷たい言葉を浴びせられるのではないかと思っていたのに。
畑を手伝ってくれた時、一緒に食事をした時、オーリ街への道中、二人で話をした時と変わらない声だった。
「……俺はクラールの魔法のおかげで生きている。魔法を使ってくれなければあの毒で死んでいただろう。風の魔力が戻ったときは、数年ぶりに自由を取り戻せた気がしたんだ」
「アスラさん……」
「俺はその魔法のことを聞いたからと言ってクラールを怖いとは思わない。俺にとっては変わらず恩人だ。本当に感謝している」
お礼を言われると思っていなかったクラールはアスラの言葉に次々と涙が溢れて何度も何度も手で拭った。
涙が止まらないクラールにアスラは手を伸ばして頭を指で軽く弾く。少し痛くて思わず頭を抑えて顔を上げた。
「大体、俺がクラール相手に怯えると思っているのか?考えてみろ。体格差すごいぞ」
「体格差って……」
クラールよりもアスラはかなり大きい。腕だってクラールの倍以上太いし、背も高い、脚も鍛えているだろうから蹴られたらひとたまりもない。
まともにやり合ったら勝てる可能性などないだろう。
クラールがその気になれば風の魔力は取れるが、その後はどう考えても負ける。
ロイが『脳筋』と言っていたことを思い出して吹き出した。
「確かに、魔力を奪っても結局負けちゃいますね」
「だろ?だから魔法のこともクラール自身のことも怖いと思うことは絶対にない。俺は鍛えているからな」
ずっとこの魔法のことを話してどう思われるか考えていたが、体格差を引き合いに出されるのは盲点だった。
アスラは何も変わらないのだ。それがクラールには嬉しくてたまらなかった。
自分が気にしていたこともアスラの前では馬鹿馬鹿しい話だったのかもしれない。いつの間にか涙は止まっていた。