1-4
クラールが目を覚ますと見慣れた天井があった。
(家に帰ってきたんだ……)
魔法を使った後のことはほとんど記憶ないにないが、うっすらアスラが魔法を使うところが見えた気がする。
正直夢かもしれないと思ったが、こうして無事に生きているということはアスラが助けてくれたのだろう。
あまりの痛みで意識を失ったが今は大丈夫なようだ。どれぐらい眠っていたのだろうかと視線を動かすと、視界の端で何かが揺れていることに気づく。そこにいたのは知らない男だった。
ベッドの横に置いた椅子で眠っているその男は銀髪が印象的で、アスラが着ていた服についていたものと同じ紋章がローブについている。
クラールが体を起こすと眠っていた男が目を覚ました。
「ああ、起きましたか」
「……えっと、どちらさま……?」
「痛むところはありますか?」
クラールの言葉は全く聞いていないのか、男はクラールの腕を持ち上げたり顔を触ったりしている。
さっきまで眠っていたのが嘘のようにテキパキと体を確認している。
「さて、これで私の仕事は終わりですね。あー、やっと解放される。突然知らない場所に呼びつけられたかと思ったら血走った目で訳のわからない話をして、眠っているあなたが目を覚ますまでついていろと……起きなかったらどうしようかと思いましたよ」
男は不満を一気に捲し立ててやれやれと首を振っている。クラールにずっと回復魔法をかけていたのだと言う。
「ありがとうございました。すみません。ご迷惑をおかけしてしまったみたいで……」
「いえ。そもそもポーションを飲んだと言っていましたし、ほとんどの傷は私が来た時には治っていました。迷惑なのは、私をここに呼び寄せた張本人ですよ。そっちの方がズタボロで酷い有様でしたからね」
「あ、あの、アスラさんは……?」
男がずっと不満を口にしていて止まらないので、どのタイミングで口を挟もうか悩んだ結果おずおずと質問した。
「ああ、あのズタボロ馬鹿ですか?畑の世話をしていますよ。この状況で畑の世話とは……いやぁ、本当に脳筋馬鹿は困りましたねぇ」
「おい。だれが脳筋馬鹿だ」
部屋の入り口に畑の世話を終えたらしいアスラが立っている。野菜を入れた籠を手にしているので収穫してきたようだ。
オーリ街へ行く直前に、そろそろ収穫しないといけないと話をしていたので代わりにやってくれたのだろう。
「そんなの一人しかいないじゃないですか」
銀髪の男はアスラのいる方を振り向いて言ったが、その瞬間鉄拳を喰らって鈍い音が鳴った頭を抑えている。
近くのテーブルに籠を置いたアスラは何事もなかったかのようにクラールに向き直った。
「目を覚まして良かった」
「今すごい音がしましたけど……」
「これのことは気にしなくて大丈夫だ。もう自分で回復魔法をかけている」
「これ」扱いされた男は殴られた頭に回復魔法をかけているが、目尻に涙が浮かんでいて相当痛かったのだろうと察する。
そんな彼をアスラは全く気にすることなくクラールの怪我が治ったのか腕や足を見ている。
「クラールの怪我は完全に治ったのか?」
「治っていますよ。私がずっと回復魔法をかけていたんですから。私がこの女性の上から下まで全身に回復魔法をかけていたのを見ていたでしょう?」
「骨も治っているか?」
「そんなに気になるなら、服を捲ってご自身で見るなり触るなりして確かめればよろしいかと」
とんでもない発言をした男に再び鉄拳が入ったのは言うまでもない。
クラールは自分の体を触って背中や肋に痛みがないことを確認した。
「クラール痛むところはないか?」
「おかげさまでこの通りすっかり治っています」
クルクルと腕を回して完治していることをアピールする。目に見えない怪我は治っているのか分かりにくいが、あの時の痛みは完全に消えている。
「アスラさんもあの時怪我をしていましたよね?」
「俺は問題ない」
先ほど散々な言われようだったので少し心配したが問題ないようだ。殴られた跡があるようだが見る限り元気そうである。このくらいならポーションですぐに治りそうだと頷く。
「それは良かったです。ところで、こちらの方は?」
アスラにこれ扱いされていた男はまだ鉄拳を喰らった頭を押さえている。2度目の鉄拳もかなりの音がしていたので痛むのだろう。
「こいつはロイ。回復魔法が使えるから呼んだ」
「帝国騎士団所属、回復魔法士のロイ・ベルターです」
「ていこくきしだん……………?帝国騎士団!?」
クラールが普段耳にしない言葉に理解が落ち着いていないことを察したのか、首から下げている身分証を目の前に差し出した。
身分証であるこの銀のプレートにはロイの名前と、帝国騎士団であることが魔力を込めた文字で記載されているので間違いない。魔力を込めた文字で偽りを書くことはできないからだ。
帝国騎士団は世界の中心と言われるアルトラ帝国の精鋭たちである。クラールの住むこのシュロン国も、隣国のムロア国も、アルトラ帝国の属国である。一つ一つは独立した国として存在しているが、アルトラ帝国の監視下にある。
普通ならこんな片田舎の村にいるような人ではない。
「なんで帝国騎士団の方がここに……?」
「あなたの怪我を治すために、殿下が私を呼んだからですね」
時が止まったような気がした。
ロイは今、なんと言ったのか。
自分に回復魔法をかけてくれたのはロイなのは理解できる。その後の殿下とは何か?誰か?帝国騎士団の回復魔法士を自由に呼べるとなると帝国の高位の人物ーーつまり王族である。クラールにはそんな人物と交流はない。
ここにいるのは自分とアスラとロイの三人。しかしアスラはリース国から来たと話していた。では殿下とは?
クラールの頭の中を様々な疑問がぐるぐると巡っていて、先ほどから何をどう聞けば良いのか分からない。思考が渋滞を起こしていてしばらく言葉が出てこなかった。
「…………殿下って誰のことですか……?」
考えた結果わからないので質問をすることにしたのだが、呆れた顔をしたロイがアスラを指し示している。確かにロイをここに呼んだ張本人はアスラだと先程やりとりをしていたのを思い出す。
だが、アスラ=殿下とは結びつかないのだ。
クラールは考えすぎて頭から煙が出そうだった。
「何も話してないんですか?」
困惑して黙り込んでいると見かねたロイがアスラに問うている。アスラは視線を逸らし、話すタイミングがなかっただけだと、言い訳をしている。
「アスラさんってリース国の方じゃないんですか……?」
「あぁ、ここに来る前はしばらくリース国で仕事をしていたんだ。生まれは帝国だ」
確かにその話をした時、クラールは「どこから来たのか?」という質問をしたのだ。アスラは出身の意味で答えたわけではなく、『(直前にいた)リース国から(ムロア国を通りシュロン国に)来た』という話だったらしい。つまりアスラは帝国の人間だということだ。騙していたつもりはなかったようだが、結果的に勘違いが起こってしまった。
クラールは一旦自分の中で情報を整理することにした。アスラは帝国の人間で、ここに帝国騎士団のロイを呼んだのは殿下で、その殿下とはアスラのことである。
「つまり、アスラさんが……帝国の……王族……?」
一つ一つ確認して声に出す。人間あまりにも想定外の言葉は理解に時間がかかるのだ。
大きなため息を吐いたロイが補足を口にした。
「そうですね。この方はアルトラ帝国の第一王子です」
「ダイイチ……オウジ……?」
「アルトラ帝国現王シルベスター様のご長男です」
クラールは口元を抑えて、アスラとロイを交互に見ている。アスラは気まずそうな顔で頷いた。
「第一王子!!!!?アスラさんが!!?」
口にした言葉が頭の中で一致した瞬間、体中の血がさぁっと引いていくのがわかった。
言われてみればアスラとロイの胸元にある紋章がアルトラ帝国の物だと今更気づく。
街へ行った際、帝国からの荷物にはこの紋章が押されているのを見たことがある。帝国の荷物と関わることなどほとんどないので失念していた。
それに気づいた時自分の行いが頭の中にすごい勢いで蘇った。帝国の王子に畑を手伝わせ、家の周りを修繕させ、街への道中荷車を引かせるなどとんでもない扱いをしている。死刑とまではいかなくても鞭打ちくらいは覚悟しなくてはいけないかもしれない。場合によっては村ごと滅びてもおかしくない。とにかく謝罪だと、慌ててベッドから飛び降りて床に膝をつく。
「申し訳ございません!大変なご無礼をーー」
頭を下げようとした時、クラールの額は大きな手に押さえられて阻まれる。
「そんなことはしなくていい」
「そういうわけには……」
「クラール、こっちを向いてくれ」
アスラはクラールの前に膝をついて、額を押さえていた大きな手を頬に移す。床にめり込むように向けていた視線をおずおずと上に向けると目が合って恥ずかしくなる。また視線を床に戻そうとしたがアスラの大きな手がそれを許さなかった。
「クラールは俺の命を助けてくれた。手当てをして食事をくれて、呪いを解いてくれた。本当に感謝している」
「いえ、そんな……勝手なことをしてしまいました。本当は私の魔法のことを伝えて、了承を得てからにするつもりだったのです。あの時はただ必死で……」
頬に触れる手から風の魔力を感じるので呪いを全て取り出せたことを確信する。
アスラにかけられた呪いを奪ったことまでしか記憶にないが、うっすら見た風魔法はアスラのもので間違いないのだ。
そういえば人前で魔法を使ってしまったことを思い出す。見られていては問題があるかもしれない。
「あの時の人攫いたちは、どうなりましたか?」
「ほとんどは捕らえてシュロン国の役人に引き渡した。一部逃げた者がいるがいずれ捕まるだろう。毒魔法の男は死んだ」
死んだと聞くと何とも言えない気持ちになるが、クラールの魔法が見えているとしたら距離的にあの大男ぐらいなので少しほっとしてしまった。
そもそもあの大男が死んでいなければ、クラールが無事なはずはない。こうして生きているのはアスラが倒してくれたおかげである。アスラには感謝してもしきれない。
「助けていただきありがとうございました」
「礼を言うのは俺の方なんだがな」
「……そんなところで二人して膝ついてないで、座ったらどうです?」
二人の世界で話をしていたのを眺めていたロイは、椅子の片側を浮かせて揺らしながらニヤニヤと面白そうにしている。
クラールからすれば帝国の王子相手にこの態度でいられるロイが一番謎である。