3-4 優秀なノヴァ
教室の前からずっと無言でクラールの手を掴んでいたノヴァがやっと手を離したのは校舎から出て少し歩いたところにある庭園に来てからだった。
花と緑に囲まれた庭園をゆっくり眺められるように、テーブルや椅子が置かれている。庭園は皆が登校に使う入り口とは真反対にあるので、周囲には誰もいないようだった。はぁ、とため息を吐いたノヴァが振り返って口を開いた。
「ここなら人も来ないだろ。まったく、お前はあんな人前で何やってんだ」
「すみません……」
「俺に謝ってどうすんだよ」
パシッとノヴァに肩を叩かれたモイセスはクラールに向き直った。
「クラール様申し訳ございませんでした」
「い、いえ……」
「驚かせて悪かったな。こいつの故郷のスーザ国ではアレが最大の感謝の表し方なんだよ」
「そうでしたか……」
ノヴァの説明のおかげで、モイセスが膝をついてクラールの手を自分の額に当てた行為は感謝の意を示していたのだとようやく理解した。クラールがモイセスに視線を移すと、今度は深く頭を下げた。
「先日、兄が大変お世話になったようで石化を解いていただいたと伺いました。ありがとうございました」
「あぁ、あの時の第五騎士団の!」
第五騎士団の重症患者達のことをクラールは思い出す。石化していた騎士は数名いたのでどの騎士かわからないがあの中の誰かだろうとぼんやり顔を浮かべた。治療の際に名前を聞いたりはしていなかったので、誰が誰だかはわからない。モイセスに似た人がいたような気がするようなしないような、とはっきりは思い出せない。
「……お兄さんはその後お元気にされていますか?」
「はい!以前はかなりの重症だと聞いておりましたが、クラール様のおかげで元気になったようです」
クラールは第五騎士団の重症者だった彼らとその後顔を合わせていなかったのだが、モイセスの話を聞く限り後遺症もないようだ。元気に過ごしているなら良かったとクラールは笑顔を向けた。
「直接お礼をお伝えできるなんて思いもしませんでした。ノヴァに編入生の方が兄の治療をしてくださった方だと教えていただき、昨日教室に伺ったのですがご不在でしたので……朝ならお会いできるかと思いお待ちしておりました」
昨日はちょうどクラールが帰った後すぐに来たようで、クラールのクラスの生徒に不在だと言われてしまって肩を落としていたようだ。
わざわざ兄の治療の礼を言いにくるなど律儀な人だとクラールはモイセスを見て目を細めた。きっと兄弟仲が良いのだろう。
「そうだったんですね。二回も来ていただいてすみません」
「いえこちらこそ、突然押しかけて困らせてしまい申し訳ございませんでした」
「悪かったな。どうしても礼を言いたかったらしくて」
ノヴァもまさかモイセスがあんなことをするとは思っていなかったようだ。クラールはノヴァにもぺこりと頭を下げた。
「気にしないでください。それより庭園まで連れてきてくださってありがとうございました」
「いや、あのまま周囲の生徒に騒がれるのは面倒だったからな」
モイセスはクラールの顔を知らないのでノヴァが教えるためにあの場にいたらしいが、結局ノヴァから聞いていた特徴で声をかけてきたようだった。
人前であんなことをされて焦ってしまいよく考えていなかったが、ふとノヴァはこんなところにいて良いのだろうかと気になった。
「ノヴァさんはここへは騎士団のお仕事ですか?」
騎士団には各所警備の仕事があると聞いていたので、アカデミーでも警備があるのだろうかと思いクラールは尋ねた。
「今日は休みだから授業を受けにきたんだ。試験も近いしな」
「…………授業を?」
ノヴァをよく見るとモイセスやクラスの男子生徒と同じ制服を着ていることに今更気がついた。
「え、ノヴァさんって……もしかして」
「ここの生徒ですよ」
「えええええ!!」
「そんなに驚くことないだろ」
確かにノヴァを初めて見たとき、他の騎士団長と比べるとより若く見えていたので自分と同じぐらいか少し下だろうと思っていた。アカデミーに通っていてもおかしくはないのだが騎士団長を務める彼がまさか学生だとは思わなかった。
(え?え?え?本当にそんなことある?)
目を丸くして声を失っているクラールにモイセスが笑いを堪えて震えていたのが不満だったのか、ノヴァはモイセスの脚を蹴っている。
「っ……クラスは違いますが、同じ三年ですよ」
モイセスは笑いを堪えているのか、ノヴァに蹴られた脚の痛みを堪えているのか震えながらそう言った。
「そうなんですか!?えぇぇ……騎士のお仕事もしながら勉強するのは大変ですよね!?」
「騎士団の仕事が休みの時しか来てないけどな。ここは魔法に特化してるから騎士として役に立つことも多い」
すごいとクラールは口の中で小さく呟いた。
優秀な魔法士を多く輩出しているアカデミーではかなり高度な魔法を学べるという。様々な魔法を研究しているアカデミーに通うことは騎士であるノヴァにとってメリットがあるのだろう。働きながら勉強もしているとなるとかなり忙しいはずだ。若くして団長になったのは魔法士としての才能がある以上にノヴァ自身がきっと努力家なのだろう。
(騎士団長で学生……学生で騎士団長……えぇぇ……たぶん、よっぽど優秀な人なんだ……)
「まぁ、何かあればA組まで来ると良い。といっても、仕事が優先で登校してないことも多いから俺が不在ならモイセスに伝えてくれ」
「いえ……そこまでお気遣い頂くわけには……」
「クラールには第五騎士団の治療をしてもらったからな。そのお礼だとでも思ってくれ。それに、初日から俺たちのクラスまで【アスラ殿下が推薦した編入生】の話題広まるぐらい噂になっている。気をつけたほうがいい」
「友人にも同じことを言われました……それどうにかなりませんか……」
「もう広まってるから、諦めるしかないな」
クラールは昨日女子生徒に散々ヒソヒソされたことを思い出してゲンナリした。気をつけたほうがいいと言われても何に気をつければ良いのかわからないので困る。
視線の端では何やらモイセスが意外そうに少し驚いた顔をしていた。
「……ノヴァが女性とこんな風に話しているのを初めて見ました」
「は!?」
「そうなんですか?」
「ノヴァとはアカデミーで知り合って数年経ちますが、まともに女性と話しているところはほとんど見たことがありません」
「そんなことはないだろ……たぶん」
ノヴァは否定したがその言葉には自信がなさそうだ。
「いつも女子生徒に対してうんざりした顔をしていますよ。話しかけられてもあっちいけ、と言わんばかりにあしらっていますし」
「そういえばさっきも女子生徒が黄色い声を上げていましたね」
「ノヴァはこの若さで騎士団長ですからね。ご令嬢たちのターゲットですよ」
ノヴァは女子生徒に人気があるらしく、校内はどこへ行ってもいつもあの調子らしい。特に他クラスに行くことは珍しいので普段ノヴァを見ることのない女子生徒たちは大騒ぎになるのだという。
(あれ、もしかして……)
クラールはふと、昨日の食堂での女子生徒たちの反応を思い出す。
「昨日、私のクラスに来られた時もさっきと同じような感じでしたか?」
「ええ、そうですね。特に教室の前でノヴァに声をかけられた女子生徒は卒倒していましたよ」
「別に俺だけのせいじゃないだろ。その後モイセスが呼び止めた女子生徒も同じようなものだったんだし」
「まぁ結局話にならなくて男子生徒に聞きましたからね」
モイセスとノヴァの答えを聞いて、内心そういうことかとクラールは納得した。
昨日食堂にいた下級貴族のご令嬢である女子生徒は優秀な男子生徒を目的にここに入学しているとライリーが言っていた。その優秀な男子生徒の中にノヴァやモイセスがいるのだろう。昨日は教室でヒソヒソと言われて居心地が悪かったため、クラールはライリーと放課後になって早々に教室を出たのでいなかった。クラールが不在だったことで、居場所を聞かれた女子生徒二名が犠牲になっているのだから生徒達の間で話題になったのだろう。教室の前だったので帰り際の他のクラスの生徒達もそれを見ていたし、寮内でも噂話が好きな女子生徒達が話したとしたら学年の違う生徒がたまたま聞いて広まっていたとしてもおかしくはない。
昨日の食堂での視線についてわかったのはスッキリしたが、事情を知らない令嬢の間でまた妙な噂になっていたのだろうと思うと気が重い。
「どうした?」
「いえ……お二人は先に戻ってください。私は授業が始まるギリギリまでここにいます。昨日はアスラさんとのことでかなり視線が痛かったので……」
肩を落としているクラールに、ああ……と二人は憐れむような目を向けている。女子生徒の人気が高い二人はクラールとは違う種類の熱い視線を普段から味わっているのだろう。
二人が見送った後クラールは教室のある校舎をしばらく眺めていた。




