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帝国のイーテ  作者: 平瓜 東
第三章 帝国アカデミー
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3-1 帝国の常識

クラールは緊張した表情で座っていた。なぜか周囲の視線が突き刺さっているように感じる。


(なんか目立ちすぎかも……)


今日からクラールはアルトラ帝国アカデミーの高等部に通うことになっていた。女子寮と編入の準備ができたとアスラに聞かされたのはつい先日のことだった。

魔法を専門的に学ぶ帝国アカデミーには附属の初・中・高等部が存在する。クラールはその高等部三年に編入することになった。

中途半端な時期の編入だが、アカデミーでは珍しいことではないという。才能のある人物を見つけては個別に編入試験を行うので毎年数名の編入生がいると聞かされた。ちなみにクラールはアスラの推薦により試験は免除された。

教室を見渡すと各国から生徒を集めているというだけあって一クラスの中だけでも髪色が違う生徒が複数名いるが、見渡す限りクラールと同じシュロン国の特徴である白い髪はいないようだった。


「あの白い髪……シュロン国だわ」

「ほんとね」

「白い髪は何色にでも染めやすいから(ウィッグ)にして売られるって話よ?」

「じゃあ、あの短い髪はお金がなくて売ったのかしら?」


クラールの髪色が珍しいらしくクラスの生徒たちがヒソヒソと何やら話しているのが聞こえてきて居心地が悪い。周囲に目を向けると、教室にいる黒髪の女子生徒たちは特に長い髪をしていた。

先日アスラの侍女のビビに帝国の常識を少し教えてもらったが、帝国の女性の中では長い黒髪が美しいとされているらしい。髪が短いのは髪を伸ばす途中の女児ぐらいだという。

他の生徒たちにクラールの髪について何か言われる可能性があることをビビが事前に教えてくれていたので、覚悟はしていたが本当にその通りになった。

クラールの髪は以前の人攫いたちとの戦闘の際に自分で短くしてしまって今は肩までしかないため、帝国出身の生徒たちから見ればそのように映ってしまうのだろう。文化の違いのため仕方のないとクラールは割り切ることにした。


「あの子、アスラ殿下の推薦で編入してきたって噂本当なの?」

「まさか……」

「でも見学の時にアスラ殿下と一緒にいたのを見たって聞いたわよ?」

「嘘ぉ……」


先ほどとは別のグループがヒソヒソとしている噂話も聞こえてくる。

編入前にここの卒業生のアスラに連れられて校舎を見て回った。教師たちは皆クラールの見学に同行したアスラを歓迎していた。呪いの件でアカデミーの研究施設によく顔を出していたらしく教師とも親しいようだ。お忍びでもなかったので、見学の時にかなり目立ってしまい一部の生徒の間で話題に上がっていた。

クラールはあちこちから聞こえる自分に関する話にどうしようかと思いながら小さく息を吐いた。

何か別のことを考えて気を紛らわせようかと窓の外に目を向けた時、隣の空席にどさっと荷物を置いて一人の女子生徒が座った。


「ねぇ」

「は、はいっ」


女子生徒がそのまま話しかけてきたのでクラールは驚いて返事をした。


「あなた名前は?」

「クラール・ケレス……です」

「ケレス?聞いたことがない家名ね」

「あ、家名がないので……村の名前から取ってケレスになっています」

「え?庶民なの?」

「はい」


クラールは庶民なので貴族と違って家名はない。呼び分ける時などで必要な場合、庶民には村の名前が使われる。クラールの場合は、【ケレス村のクラール】という意味でクラール・ケレスと名乗るようにビビに教わった。


「私はライリー・シエンナ。ライリーって呼んで。クラールはシュロン国出身なの?」

「はい」

「他国出身同士気軽に仲良くしましょ。うちは没落貴族だから身分なんて気にしないで」


そう言って明るく笑うライリーは指先で赤みがかった髪の毛先を弄っている。ライリーは帝国から海を渡って南に位置するスーザ国出身なのだという。

クラールは帝国に来て初めて年の近い同性と話したことに嬉しくなる。そもそも帝国で話した女性はビビだけなので女性と話す機会自体がほとんどなかった。

ライリーの明るい口調にクラールはすぐに打ち解け、砕けた話し方になるのにも時間はかからなかった。


「そういえば……」


突然声を顰めてライリーは内緒話をするように口元に手を当てた。


「クラールはアスラ殿下の推薦で入ったって本当?」

「一応そういうことになってて……」

「えー!!本当なんだ!もしかしてクラールって凄い人?」


クラールは違うとブンブン首を横に振った。

帝国に連れて来られて住む場所がないクラールが女子寮を使う為に入学したのだが、学費が払えないので推薦により学費を免除してもらっただけである。

学費云々の話の前からアスラは推薦していたようだが、それは帝国にクラールを連れてきたのがアスラのため責任を感じ面倒を見てくれているのだろう。

一時的に使わせてもらっていた帝国騎士団の宿舎にずっと住むわけにもいかず、他国出身のクラールが帝国で家を持てる訳もない。本当に帝国に永住することになるのかはわからないが帝国でクラールが暮らすには、帝国で仕事に就くか帝国出身の者と結婚するしかないらしい。これも先日ビビに教えてもらったことだ。いつまでもアスラに面倒をかけられないので、当面のクラールの目標は仕事を見つけて帝国で自活できるようになることだと決めたのだった。

クラールはライリーにどう説明したら良いのか悩んでいた。そもそもどこまで話して良いのかわからない。

黙り込んでしまったクラールをライリーは頬杖をついて見ていた。


「ふーん……それなら気をつけた方がいいのかも」

「気をつけるって何に?」


さっきまでの表情と打って変わってライリーは真剣な顔をしている。


「ここにいる女子生徒の一部は、アスラ殿下目当てで入学してるの」

「どういう意味?」

「アスラ殿下のお妃様候補になるために入学してるってこと。アスラ殿下って婚約者がいないから同じアカデミーに通う女子生徒から選ぶ可能性が高いってずっと噂されていたのよ。今の陛下もアカデミー在学中に婚約者を選んだからその影響ね」

「へぇ……」


帝国では十六歳から結婚ができるが、貴族なら幼少期から親同士が決めた婚約者がいることも珍しいことではない。現在二十四歳のアスラが結婚していないことはクラールも不思議に思っていたがまさか婚約者もいないとは驚きだった。

クラールはてっきり一夫多妻制故に複数の婚約者がいて、正妻が決まらず未婚なのだと思っていた。


「でも結局アスラ殿下は婚約者を決めないままアカデミーを卒業したんだよね。歴代トップの成績でその年の推薦権を得たのにそれから二年間使っていなかったの。それが今になって突然その推薦権を使って女子生徒を編入させるなんて絶対何かあるって皆思ってるわけ」

「何かって?」

「クラールがアスラ殿下のお妃様候補なんじゃないかってこと」

「えっ!?」


驚いてクラールは思わず大きな声を出してしまい、ざわついて教室が静まり返ったので慌てて口を手で塞いだ。


「違う違う本当に違う」


クラールは全力で首を振った。まさかそんな風に話が飛躍しているとは思わなかった。

アスラが見学に付き添っていたことも相まってクラールがお妃様候補だと噂されているのだとライリーは言うがとんでもない間違いである。


「違うんだ?」

「そもそも身分が違いすぎるでしょ……」

「それもそっか」


ライリーに疑われているのかと思ったが、クラールの言葉にあっさり納得していた。庶民が王族と結婚するなどあり得ないとわかっているのだろう。


「女子生徒たちはアスラ殿下が卒業した今、殿下にお目にかかれる機会もほとんどないわけ。自分を売り込むチャンスもなく、このまま卒業すればすでに決められた婚約者と結婚することになるから必死なのね」

「婚約者がいるならその必要ないんじゃ……?」

「殿下と婚約して乗り換えるのよ」

「そんなことできるの!?」

「貴族なんてそんなものよ。より地位の高い者が望めば当然そうなるわ。この帝国で最上の地位を持つのは王族なんだから」


シュロン国の自宅でアスラと過ごしたり畑を手伝わせたり、帝国に来てからは食堂で一緒に食事をしていたことをクラールは思い出す。アスラが王族だという実感があまり持てなかったが、ライリーを通して聞くアスラはまるで天上の人の様に扱われている。

実際それが正しい認識なのだろう。


「アスラ…殿下のお妃様になりたい人がそれだけいるってこと……?」


クラールはいつものように『アスラさん』と言いかけ、また疑われるかもしれないと慌てて殿下と付け加えた。


「そうね。アスラ殿下の妃になれたらこの帝国で最も有力な貴族になれるもの。それに……今婚約者がいる子はまだ良いけど、親が自分の娘をアスラ殿下の妃にしたいが為に他の男と婚約させずにアカデミーに入れられた子もいるわ」

「そうなんだ……」


アスラに選ばれるためにあえて幼少期から婚約者を選ばなかった令嬢たちの卒業後はどうなるのだろうか。

親が決めた政略結婚なら政治的に都合の良い相手との結婚になる。その場合、二十も三十も歳上の相手と結婚する可能性だってあるだろう。今婚約者がいなければ、既に結婚している貴族の第二夫人以降になるのかもしれない。きっとそれは若い彼女たちにとって気が進まない話だろう。


「アスラ殿下は卒業してからもたまにアカデミーに顔を出していたから、彼女たちはなんとか取り入ろうと躍起になっていたのよね。それが最近ぱったりこられなくなって……」

「あー……」


それは呪いの研究の為にアカデミーに顔を出す必要がなくなったからだ。クラールがアスラの呪いを解いたことで、貴族のご令嬢にそんな影響が出ていたとは思わず視線を泳がせた。


「で、久しぶりにアカデミーに来たと思ったら、女子生徒を推薦で編入させて見学にまで付き添ってたって話なんだから大事件よ」

「へぇ……」

「へぇ……ってあなたのことなんだけど」


あまりに無縁の話すぎて呆けた返事をしているクラールにライリーがピシャリと言った。


「アスラ殿下目当てで入学した女子生徒からしたら推薦で入ったクラールのことが面白くないってことよ。自分たちはこのアカデミーでアスラ殿下に取り入ろうとしていたのに、ぽっと出の編入生が現れたんだから敵意丸出しにもなるわよね」


そう言ってライリーはチラッと周囲でヒソヒソと話していた女子のグループに目をやり、やれやれと肩をすくめた。彼女たちの目がクラールを睨みつけているのはそういうことなのかと納得した。どうしたものかと考えて、結局いずれ誤解が解けることを祈るしかないと諦めた。


「ライリーもアスラ殿下のお妃様候補になる為に来たの?」

「私はアスラ殿下目当てじゃないわ。アスラ殿下のお妃様候補に上がれるのは中級、上級貴族ぐらいだもの」

「じゃあどうして?」

「私の目的はここに通っている各国から集められた将来有望な男子たち。卒業までに彼らに見染められればそのまま結婚の可能性もあるんだから」


グッと拳を握ったライリーは絶対に卒業までに相手を見つけようと意気込んでいる。


「クラールも婚約者がいないなら、卒業までに相手探し頑張ろ!」


例え庶民でも下級貴族に見染められれば第三夫人ぐらいにはなれるかもしれないよ、とライリーが教えてくれた。中級以上の貴族は庶民を相手にすることなどほとんどないため、下級貴族を指定したのだろう。

結婚なんて考えていなかったクラールは遠い話だと思いながらライリーの話を聞いていた。

シュロン国の片田舎の村で村民達に恐れられていたクラールは、生きる為にただひたすら薬草とポーションを作っていくのだと思っていた。それが今やとんでもない場所まで来てしまった。ふとオーリ街の店主は元気だろうかと気になる。あの店に卸していたポーションはクラールが帝国に来てから作れていない。その代わりにアスラの計らいで、帝国産のポーションを格安で卸すことになったのできっと店主は喜んでいるだろう。

クラールが思いを馳せている間にライリーの話はどんどん進んでいくので、ハッとして真面目に話を聞いた。


「男子生徒は魔法の実力で入学している人も多いから庶民もいるわ。中でも優秀な生徒は帝国騎士団からお声がかかって入団する可能性も高いの。帝国騎士の夫人になれたら最高じゃない?」


ライリーはキラキラとした目をして騎士たちを想像しているようだ。

少し前にも帝国騎士団に所属しているのは貴族ばかりではないと教えてもらったことをクラールは思い出した。実力主義の帝国らしく庶民でも実力さえあれば騎士になれるという。


「男子生徒は、ってことは女子は違うの?」

「そうね。そもそも女子が魔法で優秀になっても活躍できる場なんて帝国でもほとんどないもの。他国のことは詳しく知らないけど、スーザ国では女は結婚して家庭に入るのが常識だし……だからこそ、ここで将来有望な男子を見つけていずれ結婚するために入学したの。アスラ殿下がお目当てじゃない貴族令嬢は皆そんな感じよ。優秀な人材と繋がりを持つ為、とかね」


つまり貴族の令嬢にとってアカデミーは婚活する一種の社交の場ということである。男子生徒ほど厳しい試験もなく、貴族の地位やお金を使って入学している令嬢がほとんどだという。

出世のために地位を欲する男子もいるので双方にとっても悪い話ではない。

クラールはアカデミーを卒業して自活できれば良いと思っていたがなかなか難しいのかもしれないと思った。卒業するまでに計画を立てておかないと路頭に迷ってしまいそうだ。卒業して定職に就けないのなら住む場所がないのでシュロン国の実家に帰らせてもらえるだろうかと思いながら、自分の将来がかなり厳しいことを知ってクラールは落ち込んだ。



「私には無理かも……」

「まだ時間はあるから大丈夫よ。それにこの高等部からアカデミーに進学できれば女子でも魔法で仕事に就ける可能性はあるわ」

「ほんと!?」

「ええ、でもよほど優秀じゃないとアカデミーまでいけずに高等部で卒業よ」


そうなんだ、と小さく呟いたクラールはとにかくここで頑張るしかないと気合を入れてその日登校初日を終えたのだった。




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