2-11 妖精イーテ
第一騎士団の訓練室内はヴェルメの魔法により猛烈な暑さになっていた。部屋中の窓を開けてアスラの魔法で風を通すと一気に涼しくなった。
「あんなにすごい魔法だったのに部屋の中は燃えてないですね」
「訓練室は様々な魔法に耐えられるように防御用魔道具で壁や柱を強化しているからな。そうじゃないとすぐ使い物にならなくなる」
指さされた柱や壁をよく見てみると魔道具が埋め込まれている。あれがなければヴェルメの魔法で大火事になっていたことだろう。
「ヴェルメ団長……室内にいたことを忘れてあの魔法をお使いになったのですか?」
「いや、つい……」
「殿下の機転がなければ大変なことになっていましたよ。自滅するつもりですか?」
部屋の中央で仰向けになっているヴェルメはカリスに心配されているというより責められている。
戦闘に夢中で業火を使ったらしいが、部屋で使う時は注意が必要な魔法なのだという。基本的には火属性の魔力を持っているのでヴェルメ本人は熱には強いらしいが、室内で使うと部屋の温度が上がりすぎてヴェルメ自身も倒れる可能性がある。
今仰向けになっているのはアスラに風魔法で叩きつけられたようだが大きな怪我はしていないようだ。
「あんまり調子に乗って大怪我でもしたら、魔法対決に参加できなくなりますよ?」
それは困ると言うヴェルメに、カリスのお説教が止まらない。
第一騎士団の中にはまだ他にも呪いを受けた者がいるが、魔力を封じられているので今日のこの魔法訓練には参加していない。その者たちの治療のためにも気合いを入れて訓練していたはずなのに、怪我をして魔法対決に出場できなければ本末転倒であるとカリスは心配しているのだろう。団長相手に遠慮がない。
彼らのやりとりを聞いていたアスラが、クラールに向かって、そういえばと声をかけた。
「さっき俺の火傷を治療してくれたが魔力は大丈夫か?」
「あれくらいならほとんど変わりませんから平気ですよ」
騎士団対抗の魔法対決で勝者が決まればきっとすぐに治療を行うことになるため、それまでに魔力を満タンにしておかなければならない。クラールの魔力はそう多くないので心配しているのだろう。
魔力の回復の仕方は、しっかり食事と睡眠を取ることだ。何もしなくても徐々に回復するが、食事と睡眠を取ると効率よく回復する。
「またパーチェの料理で回復してもらおう。今日の夜は食堂で慰労会だしちょうど良いだろう」
「慰労会?」
「魔獣討伐から帰還した第一騎士団を労おうということになっている。昨夜は皆入院していてできなかったから今夜になったんだ」
どこの騎士団も魔獣討伐から帰還すると慰労会が行われるという。もっと大規模な討伐や戦争に勝利した時などは王宮で凱旋パーティを行い、帝国全体がお祝いムードになるらしい。
「私は討伐に行っていないので慰労会に参加するのは場違いでは……」
アスラも討伐には行っていないが王子が騎士を労う為に参加するのは当然だ。しかしクラールはそうでは無い。
騎士でもない人間が参加すれば場がしらけてしまうかもしれないと口にすると、起き上がったヴェルメに聞こえたようでこっちを見ていた。
「は!?クラールは絶対来いよ!」
「第一騎士団のほとんどが今ここにいられるのはクラールのおかげなんだから」
「むしろ一番の功労者だろ」
「クラールがいなかったらまだうなされてたと思うと……」
「もう二度と剣は握れないと思ったからな」
ヴェルメから始まり皆口々にクラールに慰労会へ参加するように促している。そう思ってもらえているのはとても嬉しいが、皆の勢いにクラールは気圧されてしまった。結局『絶対来い』という第一騎士団の強い要望にそのまま頷いてしまったのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その晩、食堂にて慰労会が行われた。乾杯の音頭と共に一気に賑やかになり、皆酒を煽って食事に手を伸ばしている。
今日のパーチェの料理は昨日よりも豪華で多い。テーブルいっぱいに載せられた料理の数々にどれから食べたら良いのか迷ってしまう。
とりあえず一番手前の皿から手を付けると、口いっぱいに魚介の味が広がった。
「美味しい……!」
「それはアクアパッツァだな」
「あくあ……?」
「アクアパッツァ」
帝国では定番の料理だと隣に座っているアスラが教えてくれた。こんなに美味しい物が定番の料理なのはさすが帝国だと感動してしまう。今日も未知の料理だらけで、口に入れるまでどんな味がするのかワクワクハラハラしてしまう。パーチェの料理はとても美味しいのだが、たまに辛い物があるので要注意だった。クラールは辛いものは得意ではないので昨日はパーチェが教えてくれたが、今日は厨房で忙しいらしい。
「パエリアは食べたか?」
アスラが口にした聞いたことのない料理に首を振ると、「美味いから食べてみろ」と言われた。
差し出されたお皿を受け取ると魚介がたくさん乗っていてとても美味しそうである。
「この黄色いのは何ですか?豆…?」
「米だな」
「コメ?」
「穀物だな。シュロン国では米を食べないから知らなくても当然か」
シュロン国の主食はパンなので、クラールは米を口にしたことがなかった。米は本来白いというがパエリアの米には味が付いているので黄色くなっていると教えてもらった。
慎重に一口食べてみると、初めて食べる米はパンとも豆とも違う今まで食べたことがない物だった。
「やっぱりクラールはシュロン国出身か!」
話が聞こえていたらしいヴェルメが「珍しい髪色だと思っていたんだ」と話に加わった。
国によって髪色が違うので混血などの例外はあるものの、髪色を見ればどこの国の出身かわかることは多い。実力主義の帝国騎士団は他国からも優秀な人材を集めているので騎士達の髪色は様々だ。
シュロン国の人間の髪色は色素が薄く、その中でもクラールの髪色は極端にその特徴があるのでわかりやすい。ほぼ白に近い色をしている。
シュロン国は小さな国で人口は多くない為、その貴重さから人身売買されることもある。アスラを襲った毒男がシュロン国の女を攫おうとした理由と同じだ。
シュロン国では『人攫いに捕まると髪を売り捌くために閉じ込められて髪が伸びると切られるのを禿げるまで繰り返される』という、子供が夜遅くまで遊んで人攫いに遭わないように親から聞かされるお決まりの話がある。子供を脅す怖い話だが実際にあり得ない話でもないのだ。
それほどシュロン国の髪色は珍しいとされるのだが、今のクラールにはアスラとヴェルメが髪やシュロン国の話をしていることなどどうでも良いほど米に衝撃を受けていた。
「……どうした?」
黙りこくっているクラールをアスラが心配そうに見つめていた。
「〜〜〜っ美味しいです!」
しばらく言葉が出てこないほど美味しかった。初めて食べるパエリアに、米に、感動していた。
あまりのおいしさに一口目を口に入れてからしばらく固まってしまっていた。
「こんなに美味しい食べ物はシュロン国にはなかったです!」
「お、おお……パエリア美味いよな」
興奮気味のクラールにアスラは気圧されているようだった。
スプーンで一口掬って口に入れるたびに米のうまさを噛み締めて味わっていると、アスラが「いっぱい食えよ」と笑っている。
あまりにも美味しそうに食べているのを見ていたヴェルメやカリスが、米を使った料理をクラールの近くにいくつか置いてくれた。
「わぁ……!こんなにも色々あるんですね!ありがとうございます!」
「クラールは米が好きなのか」
「今初めて食べて好きになりました!」
「こっちも美味いぞ!」
いつのまにかクラールのいるテーブルはかなり賑やかになっていた。米だけでなく皆がおすすめの料理を色々教えてくれるのでテーブルはいっぱいになっている。パーチェの作る料理はやはりどれもこれも絶品だった。
「これは出来立てだって」
「わぁぁ……とうもろこし!大好きです!」
出来上がったばかりのとうもろこしを使った料理をカリスが取ってきてくれたらしく目の前に置いてくれた。とうもろこしはシュロン国でもよく食べられる食材だが、そのまま焼くか茹でるぐらいしかなかった。それがパーチェの手にかかると絶品の料理に大変身している。食べやすいように切られたとうもろこしには味付けがされているらしくひと口齧ると素材の甘みと香ばしい味が広がった。
「米とかとうもろこしとか穀物ばっかりだな」
ビールを煽ったカリスの言葉にクラールは自分の周りに置かれた皿を見て「ほんとだ……」と呟いた。何も気にせず勧められるものを食べていたが本当に穀物しかない。
「穀物ばっかり食べてると本当にイーテみたいだな」
飲み切ったビールのジョッキを机に置いて陽気に笑っているカリスのその言葉に心臓が大きく跳ねクラールの動きは一瞬止まった。
周囲にいた騎士の何人かは知らないようで首を傾げている。
「イーテ……ですか……?」
クラールが聞き返すとカリスは大きく頷いた。
「他国出身のクラールは知らないか。帝国には『窓辺に穀物を置くと、それを食べに来た妖精イーテが病を持ち帰る』っていう有名な言い伝えがあるんだよ」
イーテと聞くと思わず村で散々言われてきた魔獣のことかと身構えてしまったが、騎士達が話すのは以前アスラが教えてくれた話と同じだった。
「さっき向こうの席で話してたんだよ。クラールの魔法は妖精イーテが起こす奇跡みたいだって」
「帝国出身のやつはその話をよくするよな」
「俺は風邪ひいた時にとうもろこしを置いたなぁ」
「うちは米だったよ」
他国出身の者はあまり知らないようだったが、帝国出身の騎士達は皆口々に窓辺に何かの穀物を置いた話で盛り上がっている。
米、とうもろこし、麦、豆など備える物にそれぞれ違いはあれど好物とされる穀物を窓辺に置くと妖精イーテが病を持ち帰る、というのが帝国出身の騎士たちの共通認識らしい。それは不治の病すらも治すイーテの奇跡といわれる話なのだと。
ヴェルメはイーテの話を知らなかったようで、しばらく黙っていたが、顎に手を当てて何かを思い出したように呟いた。
「そういえば俺の故郷では妖精っていえば美しい白い髪をしていると言うなぁ……クラールにピッタリだな」
ニカッと明るく笑うヴェルメはクラールの色素の薄い白い髪をワシャワシャと撫で回した。
「クラール、俺たちを助けてくれてありがとうな。また今度ぶっ倒れた時もよろしく頼むな」
「まだ呪いが解けてないやつらのことも早く助けてやってくれよな」
ヴェルメに続いてカリスがそう言った。
(ここにいる人たちは、私の魔法を恐れないどころか必要としてくれてるんだ……)
騎士達は最初こそ不思議そうにクラールの魔法を見ていたが、それでも一度も怖がったり、気持ち悪がったりしなかったのだ。クラールは自分の魔法が騎士達に受け入れられていることを実感した。
人前で魔法を使うことを躊躇い、怖がらせてしまうことをずっと恐れていたクラールは自分の魔法を必要としてくれる彼らが望むなら何度でも手を貸したい、そう思うようになっていた。
クラールはグシャグシャになった髪を手櫛で直し、「はい」と彼らに笑顔を向けた。
それを見たヴェルメはよしと力強く拳を握って立ち上がった。
「それにはまず今度の魔法対決に勝たないとな!」
そう言い彼らはまた酒を注いで、「絶対勝つぞ」と気合の入った乾杯をしている。
「あっ、でも怪我はしないでくださいね」
慌てて付け加えたクラールのその言葉に騎士達は皆笑っていたのだった。




