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第九十八話 横顔

 気がつけば湖辺は見えなくなり、海辺の道へ舞い戻っていた。家があったはずの場所には、悠久の時を身に宿す大樹が腰を下ろしていた。


 ……今見たのは、神話の一幕の()()()光景などではない。


 この世界の始まりを告げる、掛け値なしの創世譚。


 ユキヤにはどう見えたのだろう。訊ねようとして隣を見ると、彼は魂が抜けたように呆然としていた。空に浮かぶ雲を掴んでしまったかのような、静かな驚きに浸っているようにも見える。


「ユキヤ?」

 呼びかけると、瞬きを数度繰り返してから私の方を向く。


「あ、ああ……ごめん。レティシアも見たか? 今の」

「うん。女の子と龍が水辺に居て、大規模な魔法を発動してた」


「あれほどの規模の魔法だと、世界の理を改変するレベルの効果があると思うんだよな……えっと? 確かこういう感じの紋章が……」

 彼は顎に手を当てて物思いに耽りだす。頭の中で魔方陣の構成を再現しているようだ。


 私は魔方陣を見て効果を考察できるほど魔法に習熟していないから、力にはなれなさそうだなぁ……。というかユキヤは紋章の配置を暗記してるってこと? どうなってるのそれ……。


「現代魔法の体系と乖離があるな……分析できる箇所がかなり少ない」

「……あれはずっと昔に起きた出来事って認識で合ってる?」


「ああ。それは間違いないと思う……」

 空中に文字を書くように手を動かしていたユキヤが、そっと顔を上げる。


「何か分かったの?」

「ちょっとだけな。……あの魔法は多分、【天秤】に干渉している」


「……天秤?」

「俺も詳しく知ってるわけじゃないんだけど……世界のバランスを取るための機構らしい。【天秤】っていう実物があるのか、それともシステムの呼称なのかすら判然としない」


 ()()


 初めて耳にする情報だ。世界のバランスって……世界の外部から干渉されている、みたいなことなんだろうか。


「正しい方向に世界を導くための安全機構――――俺はそう解釈してる。例外的な影響力を持つ正の力が生じれば、釣り合いを取るように負の力が生まれる」


 彼は自分の右手の甲に目をやってから、そっと呟く。


「ルールの外側で生み出された”剣聖”の力の対として――――万物を両断できる反転した権能が生じたみたいに」


 彼の言葉には隠しきれない悔恨が滲んでいた。それ以上の言葉が続くことはない。

 私はまだ、彼の傷に近づくことはできない。


 胸に走る痛みから目を背けて、彼の横顔を見つめる。

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