第九十話 陽炎
「――――この扉の先で、父が待っています」
レティシアに導かれてたどり着いたのは、何度も叩いた扉の前だった。
迷いを断ち切るために、俺は幾度もガイシュ様の考えを仰いだ。時には議論になることもあったけれど――――彼から与えられた回答が答えでなかったとしても、議論の中で見えてくる物が必ずあった。
だから俺は、尊敬の念を抱かざるを得ないのだ。
彼は神なんかではない。
全能ならばこれほどの畏敬の念は抱かない。
間違いもする人の身でありながら、どこまでも正解を求めて思考を重ねるその姿に――――俺は光を見た。
人間として目指すべき場所を、鮮やかに照らす光を。
「私はここで待っていましょうか?」
「いや……付いてきてくれ。込み入った話があるわけでもないから」
……一度目は確か、弱音を吐くところをレティシアに見られたくなくて部屋の外で待ってもらっていた気がする。過去の自分が恥ずかしい。ほんとに。見栄張るな。
扉に力をかける。
「――――は?」
扉の先は瘴気に染まっていた。悪意を煮詰めたような、醜悪極まる魔力が蠢いているのが見える。
魔呪汚染。
「杖を貸してくれ、レティシアッ!」
手渡された杖に魔力を込める。
「【燃え上がれ】!」
ファレイヴィスの神聖なる炎が王の間を包み込んだ。
瘴気を纏った存在以外には外傷を与えない魔法だ。だから内部の状態は保存される。
……なにが起きたのかを分析しなければならない。
「レティシア、近くに居てくれ……」
王の間がこんな惨状になることなんて――――前回は一度もなかった。
歯車が狂っている。世界の運命が軋んでいる。
俺の時間遡行の影響なのか……?
「ユキヤ……これって……」
「……探りに行こう。付いてきてくれ……」
王の間に足を踏み入れると、華炎龍の炎でも浄化しきれずに残った魔呪が漂っているのが見えた。真昼だというのに陽光が微塵も差しておらず、薄闇が息を潜めるようにわだかまっていた。
ファレイヴィスの炎で消せないとなると――――汚染の強度が段違いに高まっていそうだ。
「レティシア。もし頭の中にノイズが響いてきても耳を傾けるなよ……。耐えられないようだったらすぐに言ってくれ」
「……うん。わかった」
レティシアから借りた杖の先に光球を灯し、一歩ずつ慎重に進んでいく。ここは既に俺の知っている世界ではない。想定外の事象が起こると考えた方が良い……。
その瞬間だった。
足下に輝く何かが映る。
それは――――黄金によって彩られた装飾具だった。
理解するのを脳が拒む。しかしどのような考え方をしてもそれは。
「これ、お父様の――――」
レティシアが身を震わせながら呟く。
やはりそうか……。
「……この腕輪は、お父様が特に大事にしていた物です。身体から外すところなんて見たことが――――」
「ガイシュ様の身に何かが起こったのだと考えた方がいい。想定したくはないが――――覚悟は、しておくべきだ」
運命の渦中にあって、その流れをねじ曲げてしまうほどの能力を持つ賢人。彼が何の抵抗もできなかったとは思えないが……。
歩の進みが鈍くなっていくのが分かる。緊張の高まりとは裏腹に、脚が重くなっていく。現実を直視することを身体が怖がっている。
事実は時に苦悩を生むことになる。知るべきでない事実というものがこの世には存在している。
しかし――――俺は知らなければならない。俺にはその責任がある。未来を託された者として、現実と真っ向から向き合わなければならない。
王座があるはずの場所に辿り着く。
そこにあったのは奇怪な祭壇だった。
中央には六角形の石柱が重々しくそびえており、それを取り囲むように灯籠が置かれている。灯籠から投げかけられる明かりは、艶やかと言えるほどの妖しさを内包していた。
灯籠が照らすのは祭壇だけ。その周囲の闇を晴らすことは一切ない。
「これは……なんだ?」
石柱に刻み込まれた文字が、陽炎のように揺らめく。




