第八十二話 遡行
ゼクルの身体から鮮血が迸る。
俺を庇って前に立ったのだ。
「ゼ、クル――――」
倒れゆく彼は、俺の身体を後方に突き飛ばした。男から距離が取れるように。
「【我が祈りを聞き入れよ。善なる魂は遡及の流れに乗せられ、原初を刻む場所へと至る――――】」
シルヴィアの唱えている魔法は……治癒魔法か?
でも……ゼクルもメギアも……もう。
詠唱を警戒したのか、影塗りの男の剣がシルヴィアに向けられる。
「【守護せよ】ッ!」
リーシャがシルヴィアの周囲に結界を発動する。
男の剣を受けて削れた結界の欠片が、空に溶けるように消えていく。
「…………ッ!」
リーシャの杖を握る手が震え、結界の限界が近いことが見て取れた。
「【――――彼の者を救い給え】」
結界が砕け散るのと同時に、シルヴィアの詠唱が完結する。
そして。
シルヴィアが杖を向けていたのは――――俺だった。
どうして。
治癒魔法なんて必要ないのに――――どうして、そんな……。
そう思った瞬間だった。
剣聖によって授けられた感覚が、シルヴィアの杖から放たれた魔法の異常性を捉えた。
世界を糸のように滑っていく流れ――――時の流れが、彼女の杖から迸っているのだ。
「シルヴィア…………」
シルヴィアは俺に向けて微笑んだ。
彼女の身体から血液が飛び散る。
聖女の魔法が俺を包んでいく。
あらゆる事物と逆向きを目指す激流が、俺の意識を押し流していく。
そう、か…………。
治癒魔法の本質は――――逆行。
時間遡行。
身体が極小の粒子にまで分解され、世界に溶けていくような感覚が俺を貫いた。
曖昧にぼやけて霞む視界の中で――――リーシャの穏やかな瞳が俺を見つめていた気がした。
激流に呑まれて、絶対的であるはずの時の流れを遡る。
――――俺に、託してくれたんだ。
メギアもゼクルもシルヴィアも――――リーシャも。
俺のことを信じて。
拡散していた意識が収束し、地面に降り立った。
『――――ふむ。客人か』
俺の前に悠然と佇んでいたのは――――華炎龍ファレイヴィス。
「ファレイ、ヴィス…………」
『どうやら……興味深い状況に身を置いているようだな。賢者よ』
「この世界に……影に呑まれたような剣士が居る。ソイツが、レスカディアとメギアを殺しに来る……」
『……お前は未来を見たのか?』
俺は深く頷いた。項垂れるように。
『なるほど……時間遡行が起きているのか……。だから斯様な現象が起こるわけだ』
「……何のことだ?」
『イリエスの王城を包む炎――――アレは私の炎だ』




