第七十三話 ~剛拳視点~
蝶が花にとまるように、風が頬を撫でるように。
自然に柔らかく男の肩を押してやった。
「――――ぁがッ」
すると何故か男が宿の外に向けて吹き飛んでいく。
あらら……ちょっと体勢を崩そうとしたくらいだったのにな……。
宿の外に出て、尻餅をつく男に近寄った。
「ひ、ひぃ…………」
歩み寄る度に情けない声が漏れる。
「すまなかったな。ちょっと小突いてやるくらいのつもりだったんだが」
「化け物……ッ!」
「化け物とは失礼だな。お前の鍛錬が足りてねぇだけだろ?」
屈んで男と目線を合わせる。
「せっかく良い体格してんのに……精神がこんなお粗末じゃ勿体ねぇよ」
男は立ち上がることもせず後ずさりを続ける。
「体格っていう才能を与えられたんだからさ、それを磨くべきだ。宝の持ち腐れにならねぇようにな」
遠い昔の苦い記憶を思い出す。
技術とか戦略とか心構えとか、そんなみみっちいことは学ぶ必要がない――――そんな風に驕っていた俺の性根を、師匠が叩き直してくれたあの日。
きっとあの日に、俺は生まれ直したんだ。
「お前の人生だから、やりたくなけりゃ別に鍛錬なんかしなくたっていいけどさ……。でも一個だけ覚えておけ」
あの日師匠が気づかせてくれたことを口にする。
「才能にあぐらをかいてる奴に、努力の美しさは理解できない。お前はこの宿のことを貶したが――――精一杯この宿を切り盛りしてる主人と娘さんの努力は、何よりも美しい」
膝を手のひらで軽く叩き、立ち上がる。
「努力してねぇ奴が穢していいような場所じゃねぇんだよ、ここは……わかったか?」
自分でも語気が強まっているのを感じる。
俺、相当頭にきてるらしいな。
「延々とつまんねぇ説教して悪かった。じゃあな」
男を置いて宿から離れる。
宿に迷惑かけちまったなこりゃ……主人とマリーに顔合わせづれぇ……。
かなり盛大な反省をしながら道を歩き始めた時だった。
「――――ゼクルさんっ」
宿からマリーが飛び出してくる。
「ご、ごめんなマリー……ちょっと頭に血が上って」
俺の方に駆け寄ってくる少女は、全くその速度を緩めず――――俺の胸の中に飛び込んでくる。
「ど、どうした……?」
なにが起きているのかさっぱり判らん。
「……ありがとっ」
腕の中で俺を見上げる瞳が可愛らしかった。
よかった。笑顔になってくれて。
「私たちの宿を褒めてくれて――――すっごく嬉しかった」
上気した頬が緩み、無上の微笑みを形作る。
「……よかったよ」
マリーの頭を優しく撫でる。
優しく澄み渡る青空が、彼女らの未来を包んでいくことを願った。




