第五十六話 ある少年の幻影
女神の騎士が戦争に参加したその日、拮抗状態にあった戦況は一変した。
風のように気まぐれに、烈火のように荒々しく。
月を背に戦場を駆ける少年は、どこまでも自由だった。
あらゆるしがらみから解放され、無心に剣を振る彼を――――人は剣聖と呼んだ。
「ラファヴィー! お前、今日も絶好調だったな!」
後方から攻撃魔法を放って魔物を倒していた魔術師が、少年に話しかけてくる。
「その名で呼ぶな。俺は既に家を捨てた。俺にはただ一人の主がいるだけだ」
「お前の女神様への忠誠心は見上げたものだよ、ほんと。あの胡散臭い神官なんかよりずっと敬虔じゃねぇか」
「あんな奴と一緒にするな……」
大陸西半分に留まっていた女神領は、今や大陸の八割まで広がっていた。
それも全て、少年が魔王軍を蹴散らしていることが要因である。
資源が豊富な大陸東側にまで領土を広げたことで、民の生活水準は劇的に向上した。民の多くは戦場で鬼神の如き活躍を見せる少年を、英雄だと讃えていた。
少年自身はその名声に一切の興味を持たなかったが。
「今日の進軍はここまでとする。軽傷者は何人か居るものの、本日も犠牲者はゼロ。……ラファヴィー。お前のお蔭だ」
軍を指揮する”賢者”が少年の肩を叩く。
女神軍はその吉報に湧き、少年の家名を連呼し始める。
「その名で呼ぶなと言っているだろうが……」
「明日から進軍する領域は、魔呪汚染が一層進行しているとの情報が届いている。気を引き締めるように」
以上、と言って賢者は集まりを解散した。
「よぉ~し宴会だ宴会! 剣聖! こっち来い!」
「酒は好きじゃないんだが……」
「女神様の教えにも、酒は適量楽しむのがいいって書いてあったぞ……うお! 飲んだ! お前女神様好きすぎるだろ!」
「……大して美味くないな」
少年も巻き込まれた宴は続き、夜は更けていく。
深夜。
軍の兵士のほとんどが酔い潰れ、机や壁にもたれかかって眠った。
少年はそっと席を離れ、正気を保っていそうな男の元へと移動した。
「……おお。珍しいじゃないか。お前が自分から俺のところに来るなんて」
賢者は少年を見て片眉を上げた。
「まともそうな人間がお前しか居なかったんだ……」
「みんなぶっつぶれてるもんなぁ……全く、平和ぼけしてんじゃないか?」
宴会場の惨状を見れば答えは明白だった。
「お前……疲れてないか?」
「……は? なんだ急に」
「女神軍は今、お前に頼り切っている。相当な負担がお前にかかっているはずだ」
「……疲れは感じてない。あと、俺は女神様のために戦っているんだ。お前達のためじゃない」
「はは……。なるほど。お前の信仰心はほんとに大したもんだよ」
賢者はジョッキを呷り、一息つく。
「ま、大丈夫だったらいいんだ。けど……辛くなったらすぐ言えよ? すぐに作戦を練り直すから」
「…………ふん」
微笑みかける賢者に、少年は鼻を鳴らして応答した。




