91.今に至る証
あの後、何事もなかったように犬はアーサーさんにすり寄って尻尾を振り一通り撫でられると満足したように私のすぐ傍の地面にずぷりと入っていった。
ねぇ、なんの説明もなく知らないことするのやめてってば。そこ私の影が落ちてるだけで何もないよね? 踏み固められて固くなった土しかないよね? 今までそんなのしたことなかったじゃん。
ただでさえ混乱しているのに、これ以上は私呑み込めないわよ? 本当に不思議な生態してるわね。
今まで見えていなかったはずのマレーさんに犬が見えてたのはなんで? 犬は任意で人に姿を見せることが出来るの?
アーサーさんはそういう品種だと思えばいいと言っていたけど、それにしたって程度があると思うのよ。
混乱する私に後日会う約束だけを取り付けて、アーサーさんは休むように言った。正直その申し出は有り難い。頭はパンクしそうだし、食べ合わせを失敗したみたいにお腹が重い。げっそりって感じ。
大人しく部屋に戻る途中で会ったケイティに顔が真っ青だと言われて、自分でも参ってたんだなぁと実感した。まぁ、うん。ごめん、心配かけて。
それが数日前のことだ。
あれから、マレーさんの姿はどこにもいない。
働いている商店にも顔を出しておらず、家にも帰っていない様で。商店のおじさんや、事情を聴いたマレーさんと親しかった人たちにも何か知らないかと声をかけられた。
けれど私は答えられなかった。マレーさんが言っていたことを話すと私についても話さなきゃいけないし、私の産まれについて話すとお婆ちゃんが日記の中に隠していた話もしなきゃいけない気がして。
最後に会った時はいつもと変わらなかった。体調が悪くて部屋に戻ってしまったので、その後のことはわからないと。嘘を付いた。
実際、何人かがケイティに付き添われながらフラフラしてる私を見ていたらしく、その言い分が通ってしまった。
王都の街を警備している騎士の方にも報告は上げられたらしいけど、事件性はあるかは不明。聞き込みはするがあまり期待はしないようにと商店の人は言われたらしい。
何があったのかと皆が心配する中で、一人何も言えずに閉口する。こんなにたくさんの人に心配されているのに、マレーさんも自分の抱えていたものを話せなかったんだなぁ。
あの人は約束の地に行ったんだろう。
そこに何があるのか、何をするのか。私は知らない。何も知らないままでと願われていた私は、多分本当に知らないままでいた方がいいんだと思う。
下手に知ってしまおうものなら、戻れなくなる。自分が魔王の受け皿であると知ってしまったように、ずっと、抱え隠していかなければいけなくなる。
約束の地がどこにあって、そこで何をすれば魔王が復活するのか。知ればきっと必要以上に過敏になって、苦しくなってしまう気がする。今でさえ時々苦しくなってしまうのに、もっと息が出来なくなってしまう。
そう言うのもあって、皆私に教えないようにしてくれていたのかも、なんて改めて思った。
教えないようにするのは優しさだ。だからと言って、教えてくれるのが悪いことではないはず。
数日前会う約束を取り付けたアーサーさんが、何か苦いものを呑み込んだような真剣な顔をして大きく深呼吸をした。
疑問は、いっぱいある。
アーサーさんについても、犬やヴァイオレットとの関係も。でもある程度答えてくれるつもりがあるから、あの時次に会う約束をしてくれたんだろう。そしてそれが今で、ぎりぎりまでどう話すかを悩みぬいて、アーサーさんは私の隣にいる。
広場ではなく公園のベンチにいつかと同じように二人並んで座る。いつもならアーサーさんに飛びついている犬も何かを察しているのか足元で大人しく伏せていた。
「もうわかっているとは思うが、俺はあの「悲劇の乙女」なんて呼ばれてるヴァイオレット・キスリングの血縁者なんだよ」
ごめん。その呼び名は知らない。
とにかく魔王討伐隊の唯一の犠牲者ってことでいいんだよね? そして家を出たアーサーさんのお爺さんの姉。それが、私も知っているあのヴァイオレットだったと。
アーサーさんはヴァイオレットが家を出て見た物を知るために、各地を周る旅を始めた。そして、実際にヴァイオレットに会えた。
「聖女に話を聞きに行こうと思ったんだが、手前の森を突っ切ろうとした時急に現れてな」
「誰に対しても突然現れる奴だったんだ」
彼の語るヴァイオレットは自分の知るのと何ら変わらない態度で少しだけ安心する。
アーサーさんの前に現れたヴァイオレットは、精霊様の森に入らないように警告したり、キスリング家の人間であると告げればそれとなく歓迎してくれたらしい。森の中でずっと一人で暮らしていたみたいだけど、やっぱり人と話すのに飢えていたのかな。
「色々聞いたよ。あの人が守りたかったものとか、成せなかったとことか」
ぽつぽつと、思い出すように。ひとつずつ丁寧に言葉を取り出すアーサーさんの声を聞きながら、規則的に上下する犬のおなかを眺める。
一見して穏やかな、けれど世界を守った人たちの半数が居なくなった後の世界。この世界は、その人たちの守りたかった形を取れているんだろうか。
「旅をしていた頃の自由さはもうない。自分の世界はもう閉じている。それでも、大切だったもののかけらがここにあるのだと、言っていた」
そうじゃなくても。
抱えて、守っていくべきなんだろう。
「だからあの人の代わりにもっと世界を見ようと思った」
「これからも、変わらない?」
「ん。そうだな」
少しだけさみしそうに笑うアーサーさんにつられて口角が上がる。
結局最後まで、……死んでからもよくわかんない奴だったけど、悪い奴ではなかった。
なんというか、自分の中で完結している人だったけど、ヴァイオレットなりに守ろうとしていたんだって充分伝わった。
まぁ、それはそれとして私に「幸せになれ」と言ったのは許さないでおこうと思う。
だってずるじゃない。一方的に言われても困る。残された方は恨み言を言いながら生きていくしか許されない。
「近いうちにまた王都を出ようと思ってんだ」
多分、アーサーさんにも同じように言ったんだろうなぁ。あの犬耳女。
出なきゃ適当を自称するこの人がこんなやりきれなさが隠しきれない顔をするわけがない。
優しさには色んな形があって、上手く受け取れないことだってある。ヴァイオレットにしてみれば優しさからくる言葉だったとしても、その優しさや世界の穏やかさはヴァイオレットの犠牲の上に成り立っているのだと思うと、上手く笑えなくなる。
「何かあればキスリングの家を頼ればいい」
今は弟さんが家督を継いだと言うヴァイオレットの生家は、きっとこれからも続いていくんだろう。アーサーさんの弟さんだしきっといい人に違いない。
きっと助けてくれるんだろうけど、出来るだけそうならない方が良いもわかってる。
「犬もいるしな。きっと力になってくれる」
いつも優しい人たちに守られている。
いつか私もそういう人になれたらと思いながら、静かに頷いた。
受け取って、返して。出来ないことを諦めて。上手く消化しきれないやりきれなさを抱えて生きていく。
きっと皆そうだ。
私も、アーサーさんも。ヴァイオレットもそうだったはず。
どんな思いでアイツが私たちを送り出したのかはわからないけど、最後に笑顔を向けてくれたのだけは本当だもの。ヴァイオレットから受け取ったものも抱えて、分け与えて、そうして生きていく。
目の前で寝息を立てるぬくもりに視線を落とす。
この犬の存在がヴァイオレットがあの森にいた証だ。




