9.夢見る少女
帰ってきた。
帰ってきてしまった。
私にとっての初めての事件は驚くほど短時間で、特に何か関わることもなく終わってしまった。
別に何かできるはずなんて意気込んでいたわけじゃないわ。でももう少し私にも何か特別な感情みたいなのが生まれるんじゃないかって期待もしていたのに。
終わってみれば、それはもうあっさりと。関わる隙もなく、行き帰りの案内をして村に帰ってきてしまった。こういうのを拍子抜けって言うんでしょうね。
魔物は……ちょっと怖かったわ。でもライナー様が倒してくれたし、死体も見えないように袋に入れて処理してくれた。
イケメンはそういう気遣いが出来るからイケメンなのかもしれない。
教会に帰って来てからライナー様はお婆ちゃんと話をしている。アスターおじ様も一緒にいるし、やっぱり精霊様のことを話してるのかな。
ライナー様が精霊様と何を話していたのかは知らない。姿は見えなかったし声も聞こえなかったもの。
正直ライナー様が精霊様と話しているところを見て初めて精霊様って本当にいるんだって思えたぐらい。不信心なのはわかってるけど、見えない相手を信じ続けるのは私には難しいみたい。
私もいつか不思議な力が使える様になれればいいのに。精霊様とお話できるかもだし。
アスターおじ様曰く、勇者様は普通の人だったらしい。なら今のところなんの才能もない私だって。なんて、思うくらいいいでしょ。
お婆ちゃんは十六歳、アスターおじ様は十一の時に旅をしていた。なら十四歳の私も十分旅に出たり不思議なことに遭遇してもおかしくないじゃない。
教会を出て村を散策する。
皆まだ少しそわそわしてるけど、いつもの暮らしに戻り始めているように思えた。
しばらく歩いてようやく見つけた目当ての人は、まだちょっと元気がない。
無理もないと言うか、元気に振舞われた方が心配になると言うか。とにかく。何と声を掛けたらいいか分かんないし隣に並ぶ。
壊れていた柵は応急手当として簡単に塞がれていた。
「森の魔物はライナー様が倒してくれたよ、ピーター」
牧場はもうほとんど片付けられていて、所々に草が折れていたり跡が残っているだけ。
いつもならぶつかってくる羊はもういない。あれだけ迷惑に思っていたのに、いざいなくなられるとどうしていいかわからなくなった。
「エリセは本当に村の外から来る人が好きだね」
ため息を吐くようにピーターが言った。
この前も同じようなことを言われたわね。別に村の人とか、村以外の人とか、関係ないわ。感じの悪い人はどこにでもいるだろうし、優しい人だっていっぱいいるじゃん。
どうして皆村に住んでいない人が嫌いなんだろう。
「ライナー様たちは悪い人じゃないよ」
「そうかな」
「そうだよ」
村の中とか外とか、皆何が見えてるんだろう。
そんなに中とか外とか決め付けて息苦しくないのかな。
私は外が見てみたい。
だって私の空は狭い。もう空を狭めに来る羊はいないのかもしれないけど、もっと広い空を見てみたい。
木々と背の低い民家しかない村の風景が嫌いなわけじゃない。でもそれだけだとなんだか寂しい。
不思議な力に目覚めたいって言うのも、知らない世界を見てみたいからなわけで。
何かしらの力や使命があれば、大手を振って村を出られるけど、そうなるとお婆ちゃんを置いていくことになるのが悩みの種で。
ロバートおじ様の言葉は本心じゃないってわかってはいるわ。やっぱりまだちょっともやもやしてるみたいだ。
「あの騎士さんがエリセにとっての王子様なんだ?」
「どうかな。でも素敵な人よ」
すぐそうやってからかうみたいに言う。
素敵な人に出会ってその人と恋をしたり色んな景色を見たりしたいじゃん。
それを話せば皆可笑しそうに笑って意地が悪い。王子様に憧れたり、夢見て何が悪いのよ。
ライナー様は王子様じゃないし白馬にも乗ってない。でもかっこいいし優しいし素敵な人だわ。
「王子様ってそんなにいいもの?」
「別に、ただ王子様に会いたいわけじゃないのよ? ただ王子様に会えれば何か素敵なことを体験できそうじゃない」
この村の中にいたら経験出来ないような、そんな素敵でわくわくするようなことに出会いたい。
アスターおじ様が話してくれる王都のお話も、小さい頃お婆ちゃんが話してくれた旅の話も。それがいつか自分の身に起こるならどんなに心が躍るか。
恋をしたり、冒険をしたり。そんな夢を見るのはやっぱり子供っぽいって思うのかな。
「いつかものすごい力を手に入れて偉業を達成してやるんだから」
「はは、エリセならその内本当にできそうだね」
「またそうやって子ども扱い。二つしか違わないのに」
「エリセは僕の可愛い妹分だよ」
ピーターがやっと笑ってくれた。
子ども扱いには不満があるけど、まぁ今回は許してあげよう。
「いつか本当に何かを成し遂げるために村を出て行っちゃたりして」
「その時は一緒に来る?」
夢を語るのにも笑われる覚悟がいるのなら、笑われないような場所に行けばいい。こんな小さな村にいるから笑われるのなら、外に出てしまえばいい。
そうすれば何かしらの素敵な何かが起こるかもしれない。私の狭い空が広がっていくかもしれない。
アスターおじ様はどこも同じだって言う。それが本当だとしてもきっとこの村よりは目まぐるしいはずだわ。
確かに今日みたいな良くないこともたくさんあるかもしれない。でもきっともっと楽しかったり嬉しかったり、素敵なこともあると思うの。
お婆ちゃんはこの村で普通に生きてほしいって思ってるみたいだけど、それだけじゃ退屈だと思わない?
外の世界に行ってみたい。でもお婆ちゃんと離れたいわけじゃなくて。そういう矛盾も全部ひっくるめて、解決できる魔法みたいな方法はないのかしら。
「ピーターは村の外に出たくないの?」
「どうだろうね、俺はずっとこの村で生きてくんだと思ってたよ」
なんとなく聞いてみたら、ピーターは困ったように笑った。
私ももしかしたら自分もピーターの様に生きていくのかもしれない。それはそれとして叶うなら村の外に出たい。素敵な何かに出会いたい。
そういうものへ引き合わしてくれるのが王子様や勇者様だと思うのよ。……やっぱり私に王子様や勇者様が現れるのはもうちょっと後なのかな。
「そういうもの?」
「そうだと思うよ」
きっと村の外で生きていくって選択肢がないみたい。ピーターにはピーターの理由があるんだろうな。なんかもやもやする。
何をどうやったらそうなれるんだろう。そう言う風な生き方を求められているけど、そうはなりたくない。
自分ではそんなつもりなかったのに、全部顔に出てたみたいでピーターに困ったように笑われた。否定こそしないが私の考えには納得してないって感じらしい。
いつもなら掃除をしたり村の皆の頼まれごとを熟したりしている時間をのんびり過ごす。魔物も倒されて、村に平和が戻ってこれで一件落着。
の、はずだったんだけど。
「何かあったのかな」
離れたところで誰かが騒いでいる声がする。
少し背伸びして通りを見れば何人かが教会の方に走って行くのが見えた。
え、本当に何があったの?
「父さん!」
「ああ、お前たち無事だったか」
こちらを見つけて駆け寄ってきてくれたロバートおじ様はなんだかとっても顔色が悪い。
朝よりは落ち着いてるみたいだけど、それとは別で何か焦っているみたい。
「エリセ。お前を疑うわけじゃないが、あの騎士は本当に魔物を殺したんだよな」
「うん。えっと、袋の中は見た?」
「ああ、それはな……」
確かにあの魔物はライナー様が倒してくれた。姿が変わったかもしれないらしくて念のためにって袋に入れて回収していたし、多分死んでる。と思う。
なんと説明すればいいかわからなくて困っていたら高く、大きな、魔物の声が村中に響いた。
遠吠えだ。つい数時間前も聞いたそれは森から聞こえてきたのではなくて、村の入り口の方で響いたように思う。
「狼の魔物が出た」
魔物は倒したはず。
じゃあ、あの遠吠えは仲間を呼んでいたの?
「とにかく教会に行きなさい」
ロバートおじ様が言った。
一瞬で表情のこわばったピーターの手を引いて教会の方へ走り出す。
もう少し何か、なんて思いはしたわ。だからといって本当に事件が起こってほしいとは言ってない! またあの狼なのか人型なのかわかんないのが来たの?
教会へ続く道の途中でライナー様とお婆ちゃん、アスターおじ様とすれ違った。
「お婆ちゃん!」
「礼拝堂を頼んだよ」
三人の背中を見送る。
頼んだって言われても私にできることはそんなにない。でも礼拝堂にはきっと私よりもずっと不安な、村の皆が避難して来ているはずで。
色々と考えて足が止まりそうになるけど、握ったピーターの手がある限りは大丈夫。
嘘。本当はちょっと怖い。