87.兄妹
今日はアスターおじ様とキリルが来る。
月に一度村に顔を出してくれていたけれど、アスターおじ様はそれなりに大きな商会の代表さんで、本来わざわざ自分の足で物を売りに回る必要のない立場の人らしい。
ちょっといい奥の部屋でお金の計算とか、組織の運営について考える側の人なんだって。こっちに来てからマルチダが教えてくれた。
つまり無理をしてまで村に来ていたのか、そうしてでもお婆ちゃんに会いたかったのか。
アスターおじ様にとってお婆ちゃんは大切な人だったという。大切な恩人で、特別な人。それを、お婆ちゃんに伝えたのか伝えなかったのかはわからない。でも最後まで寄り添おうとしていてくれた人だった。
きっとどんな姿になっても、誰を思っていても、大切な気持ちは変わらなかったんだと思う。本人はあれ以来お婆ちゃんについて何も話さない。多分、これから先も大切な人のままなんだろう。
キリルは元気にしているだろうか。
前回会った時は色んなことを教えて貰えて楽しいと言っていたし、周りの人についても気にする余裕も出て来たみたい。商会の色んな人に構われながら、楽しくやってくれていればいい。
少しの間読み書きを教えていた身としても、お姉さん分としても。あの子が楽しく笑って暮らしてくれたなら。……ヴァイオレットたちもこんな気持ちだったのかなぁ。
そんな気持ちを胸に、教会を出てすっかり歩きなれた石畳を行く。
いつもながら、教会を出る時にルーナたちに揶揄われた。私が今日は誰かと会うのが気になるみたい。キリルは弟みたいなものだし、皆が思うようなのはなんにもありませんよーだ。
待ち合わせはいつもの広場。人通りは多いけど、邪魔にもならず、露店なんかもあるから待っていても退屈しない。
ああ、そういえばこの前お願いした手紙は届けてくれただろうか。返事が来る前に、私の中のもやもやは消化の兆しが見えてきたけど、どうせなら彼の言葉も聞いてみたい。
あの時私がどうしてああ言ったのか、改めて自分の言葉で伝えて。今度は誤魔化したりしない彼の本当の気持ちも聞きたい。そんなことを考えていたから、一瞬幻覚を見たんだと勘違いしそうになった
「おう、待たせたな。エリセ」
「お久しぶり、二人と、も……」
目の前にいたのは待ち合わせをしていたアスターおじ様とキリルだけじゃなくて。とても懐かしい姿だった。ほんの数ヶ月離れていただけなのに、もう何年も会っていない気がした。私が、手紙を送った相手。
アスターおじ様とキリルに挟まれて、そこにピーターがいた。
「えっと、久しぶり。なんかちょっと、可愛くなった?」
なんて、似合わない言葉を言って照れ臭そうに頭を掻くピーターは何も変わっていない。
それが何だか嬉しくて、ちょっと呆れもして。
「何言ってるのよ、もう」
「いやなんか、久しぶり過ぎて何話していいかわかんなくなってさ」
ずっと一緒だった。こんなに長く離れたことはなかった。私もピーターの笑顔を見ていたら、やっぱりちょっと嬉しくなって。自然と顔が緩む。
本当に、私たちはずっと一緒にいた。教会の娘と牧場主の息子。村で一番年の近いせいもあって、村の皆はいつか私たちが結婚するものだと思っている人もいたけれど、私たちはずっと兄と妹の様な関係だった。
なんでも話せて、ただそこにいるだけで許してもらえるような存在で。多分私について一番良く知っている人。
「手紙、読んだよ」
「わざわざ王都まで来るの、大変だったんじゃない?」
「うん。でも、手紙じゃダメだって思ったからアスターさんに頼んで連れてきてもらった」
そう言って私のよく知る顔でピーターが笑った。
村から王都まで馬車で五日かかる。特に村を出て最初二日は精霊様の森をぐるりと迂回するのだが、道がほとんど整備されていなくて本当に大変だったはずだ。
村を出る時に一度通っただけなのに、ただでさえ気持ちが落ち込んでいたのがさらにしんどくなったので余計に印象深く覚えている。そんな大変な道程にも拘わらず、ピーターは手紙の返事のために、王都まで来てくれた。
「何があったのかは知らないけど」と、前置きしてピーターが口を開く。
「あれさ、俺嬉しかったんだよ」
一瞬何を言っているかわからなかった。
手紙はただ私の気持ちを伝えただけで、ほとんど謝罪みたいなものだった。ピーターを喜ばせるような内容だったとは思えない。
「だからもし後悔してるんなら誤解を説かなきゃって」
手紙に認めたのは、私がピーターに一緒に来るかと言った時のこと。自分が言った言葉が返って来て、初めて何も見えていなかったのだと気が付いた。
あの時のピーターは私よりもずっと大人で、ちゃんと自分に求められている仕事も、自分が置かれた状況も正しくわかっていた。
両親も羊たちも置いて行けない。でも気楽に語る私を否定しないように、村の外へ出る選択なんて考えたことがないと誤魔化してくれた。
それが色んな人と会って、自分の状況も変わって。どれだけ自分が相手の立場を考えずにものを言っていたのか気が付いた。きっと自分一人では気付けなかった。
「俺は、これからもあの村で暮らしていく。でもあの時エリセが俺を誘ってくれたのは本当に嬉しかった」
困ったように頭を掻きながらピーターが言う。
私たちはお互いが村で一番近い存在だった。年は二歳ほど離れていたけど、他の人達よりもずっと近くて、いつもお互いと牧場の羊たちが遊び相手だった。その何もかも置いて行った私に、ピーターは嬉しかったと言った。
私はただ、私の語った夢物語を笑わずに聞いてくれたから、一緒にと誘っただけなのに。嬉しかったから、一緒に王都に来て夢物語の続きを分け合えたらと。
「エリセはエリセのやりたいことをやるべきだ」
私たちはずっと兄と妹の様な関係だった。
なんでも話せて、ただそこにいるだけで許してもらえるような存在で。それが嬉しくて、ちょっとくすぐったくて。ずっと甘えていたんだと思う。
「大丈夫、出来るよ。だってお前は俺の自慢の妹分だからね」
そうしてピーターが笑って私の頭に手を乗せる。私が村を出る時も、いつもそうやって慰めてくれていた。きっと、ずっとピーターは変わらない。私の大切な兄の様な人だ。
やりたいことや、なりたいものは見つかった。出来るかどうかは考えるのは後回しでいい。背中を押してくれる人たちがいる。温かい感情を、優しさを分け与えてくれる人がいる。
なら、それを返していける様に、目の前に広がっている生活を精一杯過ごしていくだけだ。
「ありがとう、ピーター」
「うん、幸せになれよ」
その幸せがどんなものなのか私にはわからない。でもたくさんの人の優しさに触れて来た私の人生は多分、幸せにとても近い形をしているのだと思う。
村で生きていく彼と、王都で暮らしていくだろう私。もう二度と、会えないわけじゃない。きっと、どこにだって行ける。なんにでもなれる。
話がひと段落したのを見届けてキリルとアスターおじ様が移動しようと促してくれる。
久しぶりの再会だと、ずっと二人で話し込んでいて申し訳なかったな。
話したいことはたくさんある。
王都で出会った人たちについて、なりたいものが見つかった話。まだどうすればいいかはわからない悩みもあるけど、前向きに進んでいけそうなこと。手紙には書ききれなかった。
なら今日、別れる時には次に話をする時の約束をしよう。手紙だって送れる。まだ当分先にはなるけど、私が村に顔を出したり、ピーターがまた王都に遊びに来ることも出来る。
だから今日別れる時は笑って、またね、と。




