85.心の晴れ間
目の前をまばらに流れていく人を眺めながら、どういうわけか公園のベンチに二人と一匹で並ぶ。
今日は特に用事があるわけではないので別に構わないんだけど、人を見付けるなりベンチまで連れて来てその隣であーとか、うーとか唸っているのはどうなんだろう。何かあったのか、何もしなかったのか。
私が何かを聞いても適当な返しをするアーサーさんがこんな風に頭を抱えることと言えば、恐らくお家関係の話だと思う。
ちゃんと帰ったのか、弟さんに何か言われたのか。一先ず話してくれるまで何があったかもわからないので、抱えられた頭にすり寄って匂いを嗅いでいる犬を観察しておく。
行動は人懐っこい犬、なんだよなぁ。見た目が普通の生き物ではないのを除けば。
「家、顔出したんだがな」
ようやく観念したのかアーサーさんが口を開く。
見た感じだと本当にお家に帰るのが嫌だったんだ。貴族の家を継ぐのが嫌だとは言っていたがそこまでとは。もう弟さんが家督を継いでいるんでしょ? 弟さんについては割と好意的だと思ったのに、色々あるんだなぁ。
アーサーさんが顔を上げたのをいいことに犬が膝に前足を乗せて首筋にすり寄っている。犬の行動に詳しいわけじゃないが、体をこすり付けている辺り匂いを付けているのかもしれない。
「また旅に出ていいかって聞いたら、今更そんな気を使うなって怒られた」
「弟さんに?」
「うん。後弟嫁にも」
理解が深い。大手を振って見送られてるじゃない。言い換えると体のいい厄介払いとも言うが。
相変わらず気まずそうな表情のまま手慰みに犬を撫でるアーサーさんは何が不満なんだろう。旅に出た理由を聞いた時は楽しかったと言っていたのに。その楽しかった度に出る許可が下りたのに。喜べない理由って、やっぱり弟さん?
「一応俺なりにさ。弟に家のこと押し付けた負い目もあるし、出来ることはあるかって聞いたら普通に怒らせたわ」
「それはまた……」
「こっちはどうにでもなるし好きなことしてろってさ」
アーサーさんは家を飛び出して家督を弟さんに押し付けたと言っていた。それが後悔の一つだとも。だから何かしらの罪滅ぼしを申し出たが、思いの他弟さんの方がアーサーさんへの理解度が高かったと。
やっぱり仲は悪くないんだなぁ。ライナー様とシャルロッテさんのところといい、やっぱり兄妹っていいな。
「るるーにも噛まれるし、お前は噛まないでくれよ」
いつもよりちょっと弱った声を吐きながら、アーサーさんが犬の両頬を掴んでグニグニと揉んでいる。時折口の間から見える牙は鋭く噛まれたらひとたまりもなさそうだ。
……え? るるーって、もしかして弟さんのところにいると言っていた同じ犬種の子? 別個体とは言えこの犬に噛まれたの? 普通に大怪我では? 甘噛みだとしてもこの牙よ?
というか、もしかして今日犬がアーサーさんの匂いを嗅ぎまわってるのって他の犬の匂いがするから? 行動が本当に犬でしかないのに、見た目が狂暴過ぎて心が追いつかない。
大怪我しそうな牙に噛まれて尚、同じ種類の犬に対してこの態度取れるの、アーサーさんも大概おかしいと思う。
「旅、続けたかったんですよね?」
「文句の一つでも言われると思ったんだよ」
「言われてるじゃないですか」
「そうだけど、そうじゃねぇの」
踏ん切りがつかない感じで、アーサーさんは犬の体に顎を乗せてため息を吐いた。相変わらず犬の尻尾ははち切れんばかりに振られている。
文句って、言われない方がいいと思うんだけど、何がどう違うんだろう。
「ろくに帰りもしねぇで、好き勝手してたのに。またいなくなろうとしてるからさ」
その辺りはもう弟さんも納得してるんじゃないかな。弟さんの奥さんも。だから気を使うなって言ってくれたんだろうし。もちろん最初から納得していたわけではないだろう。それでも。
アーサーさんが思っているほど、弟さんの方にはわだかまりがあるわけではなかったのだと思う。
むしろ変に気を使われて弟さんたちは怒ったんだろうし、弟さんたちもアーサーさんに自由にしていてほしいんじゃないかな。
「ふーん。じゃあアーサーさんが旅が好きなの、ばれてるんじゃないですか?」
「えぇ? そういうこと言う?」
だって、もう旅をやめていいって言ったけど、本当はまだ旅に出たいんでしょ? それに、本当に旅を終わりにしようと思っているならそもそも頭を抱えるくらい悩んでないはず。
アーサーさんにとってこの街の外が良いものだったなら。そしてその旅を祝福して見送ってくれる人がいるのなら。きっと幸せなことだ。
「お土産話とか、色々しませんでした?」
「した」
即答。だよね。じゃあもう決定だ。
家を飛び出して、知りたいことを知ろうとして。苦しいのも納得出来ないものも全部飲み込んだ上で楽しかったと言えたんだもの。何も成せなかったって言いながら、後悔ばっかりだと言いながら、あんなに優しい顔を出来るんだもの。
きっと、あの時アーサーさんが言った通り、それでよかったのだろう。
「少ししか聞いていない私ですら、旅をしてよかったんだろうなって思ったんですから。弟さんにも絶対ばれてますよ」
これは慰めでもなんでもない。私がそうだと、信じてたいから言っているだけ。アーサーさんがどう思っていても関係がない。
その私の一方的な言葉に、アーサーさんは不思議そうな顔でこちらを見た後、何だかバツが悪そうに視線を逸らす。
「そんなに顔に出てた?」
「楽しいって言ったじゃないですか」
「そうだけどさ」
なんですかその反応。もしかして本当に弟さんにばれてないと思ってたんですか?
視線を合わせるようにアーサーさんが肩に乗った犬の頭を避ける。顔を寄せられた犬は怒ったように一度唸った後、ぐりぐりとアーサーさんの胸に頭を擦り付けた。
「街の外で、まだ何かやりたいことがあるんじゃないですか?」
アーサーさんは知りたかったもの、それを知ってどうしたのか。どうもしなかったと言った。でも多分、本当はそうじゃない。藻掻いて苦しんで、その上で飲み込んだんだ。そして全部飲み込んで、楽しかったと言った。
旅に出た目的を達成しても旅を続けた理由は、きっと貴族としての生活が嫌だったからだけじゃない。
「まぁ、何かは成したいよな。人として、男として」
「じゃあ成せばいいじゃないですか」
アーサーさんは何とも言えない表情でまた犬の両頬を挟んで揉んでいる。
出来るかどうかの問題じゃない。やりたいか、やりたくないかだ。やらずにずっともやもやした思いが残るのなら、飛び込んでしまえばいい。飛び込んで、自分の意志で悩めばいい。状況は同じでも、自分の意志で考え込んだ方が気分はずっと楽だ。
私がそうだったからって言うのもあるんだけど、考えるより先に飛び込んでいってしまった方がいいこともきっとある。
私はそうして自分がどうしたいかを考えた。
自分が魔王の受け皿だと知って。そうならないように願われた。なりたくない、というか、なるべきではないと思った。私には、こっそり守ってくれていた人がたくさんいる。
その人たちの優しさを返していくために。優しいものを大切にしていくために。救いたいわけじゃない。私が救われたいだけ。そのために、魔王になんてなっていられないのだ。
何かを噛み締める様にアーサーさんが犬を撫でる横で少し得意げにベンチに背もたれに体を預ける。自分だってつい最近までうじうじ悩んでいたくせにね。
正直何にも解決はしていいないけど、それでも今はうじうじしてないからいいのです。




