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83.不安と期待と


 今日も元気にお使いに出た。

 行先はこの前お世話になった本屋さんだ。本屋のお爺さんに貰った詩集は旅行記風の書き方をしていて、なんだか私も一緒に旅をした気分になる。遠い街の景色だったり、そこで出会った人の生活なんかを書き記したりと面白くて何度も読んでしまった。

 詩集が面白いのか、あの本が特別なのか。とにかくすごく面白かったし、お爺さんにお願いしたら他にもおすすめの本を教えてくれたりしないかな。今日、は無理だけどお金をためて買いに行きたいな。


 それなりに見慣れてきた石畳を歩く。

 私の少し先には犬が爪を鳴らしながら歩いていて、石畳と爪の当たるカチャカチャという音が不意に止まった。

 犬が足を止め、振り返る。暫く私を見上げた後、踵返して人の足に体を摺り寄せ始めた

え? 何? そうしたの? そんなアーサーさんにするみたいなことして。


「エリセ」


 急にかけられた声に一瞬肩が跳ねる。

 それからゆっくり振り返るとそこにはマレーさんがいて。


「久しぶり」

「はい、お久しぶりです」


 タイミングが合わず、あの後マレーさんと会う機会がなかった。

 縛り付けられていると、言われた。自分なら連れ出せると。あの時のマレーさんは真剣な顔をしていた。

 そんなに苦しそうな顔をしていただろうか。もちろん色んなことがあって悩んではいた。けど、何もかも投げ出したいわけではなかった。


 幸せとか不幸せとか。そういうのはまだわからない。

 でも、なりたいものは見えた。


「考えてくれた?」


 きっと誰だって甘い誘いに手を伸ばしたくなる。でも私のなりたいものとはちょっと違うんだ。

 ゆっくり息を吸って、吐いて。それからまた吸って、今度は音を乗せる。


「ごめんなさい」


 マレーさんの気遣いは嬉しかったけど、私の気持ちは変わらない。


「私、逃げ出したいわけじゃないんです」


 キカは背中を押してくれた。

 投げ出したり、見ないふりをしていても、ずっと引き摺って考えてしまうのなら、飛び込んでいくしかないと。

 納得するまで考えて、そうして答えを見付けるしかない、と。そう笑って、以前と同じように応援してくれた。


 だから散々考えた。

 お婆ちゃんのことも、私の生まれについても。考えて、投げ出すのは違うってなって、じゃあどうするのか。受け止めるしかないなって思った。

 受け止めてどうするかはまた後で考えるとして、可能な限り寄り添いたいと思ったんだ。良いことにも、悪いことにも。

 悪いことをしたからといって、悪い人になる必要はないんだ。他の誰かが許さないのなら、代わりに私が許そう。ちょっと傲慢かもしれないけど、それでも。


「ちゃんと受け止められるようになりたいんです」


 だから、マレーさんの優しい提案には応えられない。

 逃げたくないとか、強い意志があるわけではない。でも何もかも投げ出してしまったら、ずっと逃げなきゃいけなくなるのが嫌なだけ。


 吐き出した言葉に、一瞬マレーさんの表情が抜け落ちた気がした。

 何かを考える前にちょっと困ったような笑顔になってマレーさんは頭を掻く。


「残念。振られちゃったか」


 気のせい、だと思う。

 マレーさんはいつもにこにこしている人だから、その一瞬の間が印象に残っただけ。きっとそうだ。この人は、優しい人だもの。


「気が変わったらいつでも言って?」


 マルチダの話を思い出す。最近マレーさんの様子がおかしい、以前はもっとのんびりした人だと言っていた。

 確かに、私の知るマレーさんはのんびりした人というよりも、ちょっと強引な感じの人だ。

 ルーナたちに紹介されて初めて会って以降、配達の時間にかち合う度に少し休憩に付き合ってほしいって、小瓶に入った炭酸水を押し付けられたし。いつもちょっと時間を作ってほしいって話しかけられる。


 それはこの人が優しいからで、修道院に来たばかりの私を気にかけてくれているんだと思っていた。

 ルーナたちが楽しそうに話していた様な恋バナの様な事実はない。マレーさんは私をそういう目では見ていない、と思う。


 確かに私は恋愛的な意味で誰かを本気で好きになったことはない。でも誰かを大切にしたいなって気持ちはわかる。

 マレーさんは優しいけど、私を大切にしたいとかそういうのじゃない気がする。なんとなくお婆ちゃんと一緒なんじゃないかなって。

 私を見てるんだけど、私を通して、別の誰かを見ている様な感じ。


「俺がここから連れ出してあげる」


 優しい人だと思う。実際気にかけてくれたし、マレーさんと話していて楽しかったし、救われている部分もあった。

 でも、私はわがままだから。私を通した誰かではなく。私をちゃんと見てほしい。なんとなく気まずい気分のまま、笑ったマレーさんに応えられず。またね、なんていつもの様に去っていくマレーさんを見送る。

 足にすり寄っていた犬が、小さく吠えた。


「これで、よかったのかな」


 通りの中に消えたマレーさんの背中と、足元から離れた犬を見比べて溢す。返事はなかった。

 薄情な奴め。さっきまで人の足にすり寄っていたのに、もうちょっとぐらい気遣いを見せてくれてもいいと思う。


 マレーさんとは、目指すものの違いだと思う。どうすればいいかなんて、まだまだ、答えは出ない。

 いつまでも通りで立ち尽くすわけにもいかず、当初の目的であった本屋へと足を進める。

 マレーさんのことも私なりに考えていこう。すぐに答えは出ないかもしれないけど、ちゃんと考えて、もう一度話そう。そのためにも、今はお爺さんのところにお使いに行かないと。


 アーサーさんと出会った通りを抜けると、こじんまりとした佇まいの本屋さんが見えて来た。

 木製の扉を押し開ければカラコロとベルが鳴り、奥のカウンターにはお爺さんがいる。この前と同じように優しい笑顔を讃えている。

 ちょっとだけ、話せないかな。本のこと以外にも。


 人に話せば気持ちの整理が出来るかもしれないし、時間が解決してくれるかもしれないといってくれた。話して楽になると言うのはわかる。

 お爺さんやキカと話して、自分がどうしたいのかわかった気がするもの。時間については、まだそんなに経ってないからわかんないけど。


「おや、いらっしゃい。お嬢さん」

「こんにちは」


 なんて挨拶して、店内をゆっくりと進む。犬は大人しく私の後を付いて来ていた。

 お爺さんの座るカウンターには数冊の本が積まれていて、もしかしたらその難しそうな本の山を順番に読んでいるのかもしれない。


 お爺さんは不幸なことがあったからと言って、ずっと不幸でいる必要はないと言ってくれた。不幸ではないと思いたい。

 キカは自分で決めて良いと、選んでいいと言ってくれた。背中を押してくれた。

 今はまだ考えるだけで精一杯だけど、いつか二人にも、何か返せたらいいな。


 うん、きっと大丈夫。根拠も理由もなくそうなりたいって願うのは得意だったはずだもの。村にいたころと同じ様に、なりたい自分を夢想しよう。

 そして今度はそうなれるように行動しよう。


「お爺さん。今日も、少しお話していってもいい?」

「ああ、もちろんだとも」


 そういうとお爺さんは一瞬驚いたような顔をした後、すぐに嬉しそうに笑って答えてくれた。本の整理をしていたらしいお爺さんは、カウンターの上の本を片付けて、それから私のために椅子を勧めてくれる。

 勧められるままに席に着くと、お爺さんは嬉しそうにしながら話を始めた。話し上手なお爺さんの話を聞いているのはとても楽しくて、時間が経つのはあっという間で。


 うん、大丈夫。

 だって私の周りにはこんなにも優しい人に溢れている。


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