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82.ベッドには二つ分のぬくもり


 長い時間をかけて、日記のページを捲らない理由を探す。窓の外で星が瞬いていたとか。ランタンの中の火が揺らいだとか。そんな理由を付けていたら次のページを捲るのに随分と時間がかかってしまった。

 本屋のお爺さんに貰った詩集は一気に読んで、もう何回か繰り返し読み直してしまったというのに。お婆ちゃんの日記のページを捲る手は、相変わらず重い。今捲っているページにはお婆ちゃんとの暮らしについて書かれている。お婆ちゃんから見た、私について、書かれている。

 事細かに、ってわけじゃないけど、村の皆と仲良くしていた様子とか、村の外に出たがっていたこととか。私がお婆ちゃんに対して上手く話せなかったことも。


 私がどういう生まれなのかを知りながら一緒に暮らすのはどんな気分だったのだろう。

 自分の両親が魔王の復活を望んでいた。別にだからといって何もかもに悲観しているわけじゃない。いつかどこかで会えたら、なんて思ってもいたけどすでに生きていなかった。思うところはあるけれど、その辺りはどうしよもない。

 わたしにはどうにもできない。それでも。


 願われてしまった、幸せを。

 それも二人分。


 一人は私を拾ってお婆ちゃんに預けた人。勇者ギルバートだ。

 誰よりも優しくて、悲しいほどに酷い人だと思う。私にとっての恩人で何よりも嫉妬の対象。直接話したわけじゃないのにこんな風に思うのはちょっと変かもしれないけど、勇者ギルバートはそういう人。


 勇者ギルバートは皆の憧れで、誰かのために力を振るえる人だったらしい。でも私にとっては、一方的に願いを押し付けていなくなってしまったずるい人なんだ。

 あの人が私を助けなければ、きっとお婆ちゃんは苦しまなかった。あの人が私を拾わなければ、私はたくさんの人の優しさに触れることはなかった。

 だから、これ以上私の勇者ギルバートに対する印象は変わらない。


 そしてもう一人の私の幸せを願ってくれていた人は、ヴァイオレット。

 あの犬耳女も、勇者ギルバート同様よくわからない奴だ。


 そんな素振り一度も見せなかったくせに、実はこっそり守ってくれていましたなんてずるいと思わないのか。

 いつも揶揄って、やる気のない態度で木の上に寝そべってだらけていたくせに、本当はずっと見守ってくれていたなんて。

 なのに私は何にも知らなくて、生意気を言って。ヴァイオレットにして見れば危ないことばかりしていて、それでも森の中を気分よく徘徊していた私を追い返さずに危なくないように手を回してくれていて。


 酷い奴だ。

 居なくなってからしか、本当は何をしていたのかわからないようにして。お礼も言わせてくれなかった。そんなの私が薄情な人になってしまうじゃない。

 誰かに頼まれたからでも構わない。本の気まぐれや気の迷いだっていい。ただ、大切にしてもらっていたことに気付けず何も返せないままもう二度と会えなくなってしまったのが苦しい。


 与えられたものは、返したいの。

 優しくしてもらったら嬉しいの。

 温かい気持ちを、大切にしていきたいの。


 私はまだ何も返せていない。

 改めて言葉にしてみると随分と傲慢でわがままで、子供みたいに感情的な要求だと思う。なんでも出来る人になったつもりだろうか。恥ずかしいったらない。でも仕方ないじゃない。誰かのために何かをしたいと、そうすれば自分も何かになれると思ってしまったんだもの。


 両親は、悪いことをしていた。でも、私をこの世界に産んでくれた。

 勇者ギルバートは、私の両親と故郷を奪ったけど、悪いことに巻き込まれないようにとあの村に預けてくれた。

 お婆ちゃんは、決して私が思うような深い愛情を注いではくれなかったけれど、ここまで私を育ててくれた。

 そしてバイオレットも。


 誰かの特別にはなれなかった。でもたくさんの人に守られてきたんだって知ってしまった。その人たちは何かを返す前にいなくなってしまったけど、その人たちの思いを受け止めて、ずっと忘れずにいたい。

 そしてせめて今いる人たちに、たくさんの気持ちを返していきたい。


 アスターおじ様とキリルにアレックス元帥。ルーナたち修道院の皆やマレーさん。アーサーさんもそうだし本屋のおじいさんも優しくしてくれた。そして何よりライナー様も。

 優しくされたら、優しくし返したい。温かいものを返したい。幸せになれと、言ってくれた人がいる。なら、幸せになるのが恩返しになるのだろうか。そうであればいいと願うのは傲慢なのだろうか。


 私は皆に報いたい。どんなに小さなことでも構わない。

 立派な理由なんかじゃない。誰かを許して、自分が救われたいだけ。浅ましい感情を、それっぽい言葉で包み込んだ。でも、それで救われる想いがあるのなら、きっと悪いことじゃない。

 私は一人じゃないとを知っている。全てを救えるとは思わないけれど、手の届く範囲の、私の世界にいる人たちにだけは手を差し伸べられる存在でありたい。思い上がった理想かもしれないけど、そうあれたらと思うのだ。


 案外皆自分勝手なのかもしれない。

 私がそうだから、そうだったらいいなってだけ。自分がどうにかなりたくて、他人に働きかける。

 誰かに何かをするもの結局自分のためで、誰かに優しくされたくて、優しくしている。誰かにしてもらったから、それを返しているだけ。


 お婆ちゃんだってきっとそうだ勇者ギルバートに、そしてヴァイオレットに、たくさんの何かを貰った。そのお返しに、苦しい思いを押し殺して私を育ててくれた。

 例え、好きな人が置いて行った恋敵によく似た存在であったとしても。思ところしかなかっただろうに、本当に優しくてすごい人だったと改めて思う。


 お婆ちゃんは生きていくために必要な知識を教えてくれた。危ないことをすると何がどうしてダメなのか理解するまできっちり怒ってくれた。教会の教えを頑張って覚えた日には、好きな料理を作ってくれたりもした。

 特別な愛情は少なかったのかもしれないけど、情がなかったとは思いたくない。

 私の影に勇者ギルバートを見ていたとしても、魔王の復活に巻き込まれないように、村から出さないようにしなくてはと書き綴ったお婆ちゃんが、私を嫌いだったと思いたくない。


 人は都合のいいものしか見ない、なんて意味の言葉が本屋のお爺さんに貰った詩集に書いてあったけど本当にその通りだと思う。自分にとって都合のいいことだけを見ていたい。信じていたい。

 そうしていた方が、きっと上手く行く気がするもの。


 だから、この日記の中でお婆ちゃんの気持ちが書かれたページを見付けるまでは、私を嫌いじゃなかったって信じていよう。

 もしそうじゃなかった時は……その時考える。考えて、考えて。それからもう一度お婆ちゃんが私にしてくれたことを思い出す。そうすればきっと、お婆ちゃんに貰ったものは嘘じゃないって思い出せる。

 本当の気持ちを隠していたとしても、私がその時感じた温かいものは無くならない。


 ふっと、ろうそくの灯が瞬いて消えた。随分長く考え込んでいたらしい。

 ランタンの中では溶け切ったろうそくの跡と、燃え残りの芯からうっすらと煙が立ち上っている。そんなに夜更かしするつもりはなかったんだけど、結局ろうそく一本分使い切っちゃったなぁ。明日、また備品倉庫に貰いに行かなきゃ。

 中々読み進められない日記に栞を挟んで閉じる。そろそろ私も寝よう。


 伸びをして立ち上がると、ベッドの上には相変わらず真ん中を占領している犬みたいな何か。ねぇ、私も寝るからちょっと端に寄って。そう軽く犬の体を叩くと、鬱陶しそうに唸ってほんの少し体の向きを変えた。ケチな奴め。

 ため息と共に布団の隙間に体を挟み込む。規則正しい犬の寝息が聞こえてきた。

 いつの間にか犬の息遣いを聞きながら眠るのにも慣れてしまったな。なんて考えながら、溶ける様に瞼が落ちた。



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