8.騎士の思惑
ライナー視点
世の中ってやつは非常に面倒な作りをしていて、やりたくもない仕事やそれはどうなんだと言いたくなる上司に従わざる得ない状況が回ってくる。
いや、人によっては順風満帆な道を歩む者もいるんだろうが、少なくとも俺はそれらとは程遠い人生を歩んできた。
だからといって別に生まれや家族を恨んだことはないが、ままならないものだと諦観は常々あった。
王国騎士の門を叩いたのだって五兄弟の二番目として弟妹の取り分の為に早めに自立するべきだと思ったからで、名ばかり貴族と言うのはこういう時選択肢が少なくて困る。いや、うちの場合王都に家があっただけましか。
まあとにかく、昔から運がいいとは言えなかった。
今回の人事異動も小隊長に昇格と言えば聞こえはいいが要は左遷、厄介払いだ。
仕事で何かした覚えもないが、とにかく上司の印象が悪かった。
覚えがあるとすれば酒の席で上司が倫理観の緩い発言をしたのを咎めたくらいか。
人の嗜好にどうこう言うべきではないとは思うが、妹と同じ年頃の未成年の娘さんが酒の席とは言え下世話な視線にさらされるのは避けたかった。
以来、何とも上司との間に微妙に距離を感じるようになり、結果が転属と小隊の長として月一で辺境の村に赴き聖女から精霊の動向を聞いて国に報告する任を与えられたわけだ。
因みに前任は素行不良で任を解かれている。まぁ、王都と辺境地を行ったり来たりするだけの日々は嫌にもなるわな。
同期に同情されたし、もう少し他者の言動に目を潰れとも言われた。騎士としてそれはどうなんだ。
別に自分が清廉潔白だとは言えないが、周りはもっと上手くやっているらしい。
そんな気が重いまま小隊長になんぞに就任したが、部下とは、まぁうまくやっていけそうだ。
が、相変わらず上司とは上手くやっていけそうにない。
なんだ、どうせ傍まで行くのだから迷いの森についても調べて来いって。まずもって指示が抽象的過ぎるだろ。
確かに精霊が住むという件の森は行方不明者が多いことで有名だ。
何ならおかしなものを見たなんて噂も複数あるが、王都から物理的に距離があるため真偽は不明。
何十年か前に調査する話も上がったそうだが、地元民の反対に合って調査も立ち消えになったそうだ。
聖女は元々王都の出身だと聞くが、どこまで話を聞いてくれるかな……。
そんなわけで小隊長に就任して最初の聖女への訪問は出だしから散々だった。
村へ続く定期整備もされていない街道では魔物に襲われる行商と遭遇し、魔物を追い払う。ここまではまだいい。
倒しきれれば一番だったが、商人もいたので彼らの安全確保が優先だった。ただこの後欲を出したのがいけなかったな。
狼型の魔物が逃げ込んだのが件の迷いの森だった。
どうせ許可が取れるかもわからないのなら、魔物を追ってきたなんて大義名分の元踏み入ってしまうかと欲が出たのだ。
結果はお察しの通り。魔物は見つけられず、迷いの森の餌食になったわけで。
エリセに会えたのは本当に運が良かった。出会い頭に妙なことを口走られたが、あのくらいの年頃は往々にしてどういうところがある。
彼女は聖女の元で修道女をしている以外はどこにでもいる普通のお嬢さんだった。よく笑いよく働く、妹とそう変わらない年頃で見ていて微笑ましい。
彼女と共に森を出て前任に倣い教会に一泊。何かと世話を焼きたがるエリセに構いつつ聖女に精霊の話を振ってみるも教会で唱えられる教義以上は語られなかった。
精霊とは、天井におわす神々の御使いにして稀に人間の前に現れては啓示や加護を授けてくれる存在である。
その内の一柱がこの村の裏にある迷いの森に定住している。わかったのはそれだけ。
元々期限も設けられていない指令だしな、長期戦は覚悟の上だ。
特別収穫もないが何事もなく今回は一泊して王都に帰る心づもりに切り替えていたのだが、そんな考えはあっさり打ち砕かれた。
村にある牧場が何者かに襲われたらしい。心当たりはあった。あの魔物だ。
あの時確実に魔物を仕留めていればなんて言いのしようもないし、自分の失態を擁護する気もない。
生憎畜産の知識はないが、全滅、の時点でかなりの被害額が出たのだろう。牧場主から向けられる敵意の溢れる視線も吐き捨てる様に呟かれた言葉も受け入れよう。
無論自身の失態が原因である動揺はあった。だが末端の騎士をしていればこうした感情を向けられることはよくある。
自分の失態では今回が初めてだが、彼らには彼らの理由があるのは理解できる故一方的に責められるのに理不尽だと思う感情はない。
考えるべきは復興の目処はあるのかだが、どうやらそれも突然現れたアスターという男おかげで何とかなりそうだ。
ふらりと現れた不遜な男は定期的にこの村に来る行商らしい。見舞金に加え動物の手配まで約束するとは手広くやっているのか羽振りがいいのか。多少足は出るだろうが、国から出る補償金とで牧場は補填できるだろう。
いささか淡白な聖女の言動が気になったが何かしら考えがあるのだろう。国に補償金を申請するためにも牧場主と聖女に立ち合いを求め保証条件を満たす項目をチェックしていく。
凡その被害額を算出して、牧場を襲った魔物の侵入経路を確認する。周囲を囲む作画壊れていたのは一カ所。他の場所に足跡もないことから、森から来て森に帰って行ったと考えられる。
迷いの森、か。昨日は同じような場所をぐるぐると回るだけになってしまったが果たして。
魔物の駆除という大義名分を掲げて精霊が住まうと言う森に入る許可を聖女に求めたところ、驚くほどあっさりと許可が下りた。
まぁ、エリセが付いて来ると言い出した時は困ったが、あの森の中で帰れるとは言い切れない。事実昨日は彼女に会えなければあのまま野宿だったわけだ。
しかしまぁ、精霊とは一体何なんだろうな。
教会の教えとしては神の御使い。聖女曰く人のためにいるものではない。その意味を知る機会は意外と早かった。
まさか会えるとは思いもしなかったが、聖女が精霊と会っているらしい泉にたどり着くよりも以前に精霊が現れた。
目の前にいる精霊は確かに何かしらの仰々しさを感じる。感じるのだが、想像していた神々しさとはまた違う。
それほど信心深い性格ではなかったので教会文化に触れてこなかったのも一因なのだろうが、こう……。俗っぽい表現になるが有閑な貴婦人のような、ある種の艶めかしさを感じた。
神の御使いである精霊に対してそれはどうなのだと自分でも思うが、生憎俺は詩人ではないのでこの表現が精一杯だ。
「ふふふ」
「あなたに聞きたいことがある」
精霊である黒髪の貴婦人はやはりゆったりとした動作で怪しく笑いかけてくる。
声をかけながら確認したが、どうやらこの精霊の姿は俺にしか見えていないらしい。部下たちが困惑しながらも周囲を警戒しているのを横目に、一先ずの目標である魔物の行方を確認する。
「この森に逃げ込んだ魔物を知っているか?」
「さぁ? どうだったかしら」
なんだろうな、この感覚は。
彼女が人間であれば、この上なくいい女なのだろうがどうもこの精霊からは不快感を覚えてならない。
女の趣味にうるさいわけでもないと思うのだが、どうにも。この精霊の誘いには乗ってはいけないと頭の中で警鐘が鳴り響いている気がする。
「ねえあなた」
美女が、蠱惑的な笑みのまま細く美しい手を差し伸べる。
「私のものにならない?」
「生憎この身は国に捧げている」
「あら残念」
本当にそう思っているのかも怪しいが彼女が笑った。
恐らくこの精霊は俺の問いかけにまともに答える気はない。奔放というか、自分本位というか。受け答えはしているが他人の意志に興味がないような振る舞いだ。
なんとなく聖女の言っていた意味が分かった気がする。今目の前にいる相手が人間かどうかなんて、彼女にはどうでもいいことなのだろう。
不意に、妙な光が体にまとわり付いた。
「何を?」
「加護をあげる」
「その子と同じものよ」と精霊がエリセを指す。白い指につられエリセに視線を投げかければ何もわかっていないような、悪く言えば能天気な愛想笑いを返された。
彼女は自分が精霊に加護を与えられている事実すら知らないのではないかと思わせてくれるような笑顔だな。
全部わかっていてそう振舞っているのなら随分な女優だ。まぁ、そんなこともないだろうが。
「気が変わったらいつでもいらっしゃい? 私の眷属にしてあげる」
言いたいこと言って煙のように消えていった女にため息を吐く。
あれは何なのか。この村の人間は何をありがたがっているのか。聖女は何を隠しているのか。わかっているのは一つ。
どうやら随分と面倒な仕事を押し付けられたということだけだ。