78.そういうもの
教会で行われたミサは恙なく進行し、いつかバーで綺麗なお洋服を着て歌ってみたいと言っていたルーナも、修道服に身を包み壇上で賛美歌を歌いあげていた。
始終、修道院とはまた違った厳かな雰囲気で執り行われたミサは改めて自分がずっと緩い戒律の中で過ごしていたのを自覚する。村の教会もそうだったけど、修道院も実はすごく緩いんじゃないかと思った。
ケイティが修道院で暮らしていても俗世に戻れるって言っていた。元の生活に戻った時のために教会よりも規則や戒律も俗世に近い形で緩くなっているんだろうなぁ。
変わり映えの無い石畳を歩く。本当はもうちょっと教会の人たちや参拝と話をしていた方が良かったんだろうけど、ケイティとマルチダに断って出てきちゃった。
目の前を歩く犬の背中を眺めながらキカに言われたことを思い出す。納得するまで考えて答えを見付けるしかない、かぁ。
そんなことを考えていたら急に犬が走り出した。爪が石畳をひっかける音がしてすぐに止まる。なんとなく既視感。つられて上がった視線の先にはやっぱりアーサーさんがいて。
なんだか久しぶりの気がする。別に会ってからそんなに経ってもないけど。
それでも犬は久しぶりに会いました。会えなかった日の分まで思いっきり撫でてくださいとばかりに飛びついていて。
「よう、どっか行ってたのか?」
「教会のミサに。今日は修道院の聖歌隊が歌ってたんですよ」
「ミサなんてもう何年も参加してねぇや」
犬に飛びつかれたままアーサーさんがへらりと笑う。
不信心もここまで来ると清々しい。私はずっと教会にいたから神様とか精霊様に祈る習慣があるけど、アーサーさんはそうではないみたい。長旅をしていたらそうなるものなのかな。
なんと言うかこう、今生きるのに必要のない知識は引き出しの奥に仕舞いっぱなしにするタイプな気がするな、この人。
あるのは知ってるし存在もちゃんと覚えていてもわざわざ引っ張り出さない、みたいな。
もちろん、私が勝手に思っているだけでそうではないのかもしれないし、お家を出る前はちゃんとしてたのかもしれない。
「あー、一応作法や礼儀は一通り出来るぞ?」
「何も言ってませんよ」
犬は相変わらずアーサーさんにまとわりついている。
気安い人ではあるのよね。ただ身なりに気を使わず適当な印象を受ける。あと変な犬がメロメロになってるせいで、信用出来る人なのか、変な生き物を使役出来るヤバい人なのかわからない。
「お家、ちゃんと帰りました?」
「んー、あー。おう」
何とも曖昧な返事。この人本当に帰ったのかな。
弟さんに会いに来たって言ってたけど、会えたんだよね? はち切れんばかりに尻尾を振る犬とは対照的にアーサーさんは気まずそうに視線を逸らしている。
「弟さん、結婚したんでしょう?」
「ん。祝いは渡して来た」
「泊まったりはしなかったんだ?」
「それなぁ」
何気なく投げた言葉にアーサーさんが頭を抱えてる。
えぇ? そんなに帰りたくないものなの? 一体何があったのよ。何年も帰ってなかったから顔を出し辛かったのかもしれないけど、結婚のお祝いをするくらいには弟さんとの仲は悪くないんでしょう?
アーサーさんはしばらくあーだのうーだのと唸って、やがて諦めたようにため息を吐いた。
「まぁ、色々あんのよ」
「帰ってきたくなかったんですか?」
今アーサーさんが頭を抱えているのが旅に出た理由なら、飛び出した先の世界はどんな風に見えているんだろう。
犬の体に顔を押し付けて暫く考えた後、ゆっくり顔を上げる。とても、優しい顔をしていた。それでいて、ちょっと照れ臭そうな表情。
「そういうわけじゃねぇけどさ、その。……楽しかったのよ」
そうか。この人にとって外は良いものだったのか。
「家を継ぎたくなくて逃げ出しただけだったが、今はちゃんと楽しい」
「そうなんだ」
「まぁな。でも別に珍しくもねぇよ、俺の爺さんの姉も貴族が嫌で出奔したし」
えぇ、つまりすごくお転婆だったってこと? というか貴族の家出って珍しくないんだ。貴族ってキカみたいに色々呑み込んで、その上で出来ることを全うするんだと思ってた。
だから貴族でも、投げ出したくなるんだって。意外と皆投げ出したり逃げ出したりしたくなるものなんだなって、ちょっと安心した。
アーサーさんが犬をもう一撫でしてから立ち上がる。
「貴族ってそんなに嫌なものなの?」
「上手くやる奴もいれば、俺みたいにそうじゃない奴もいる」
じゃあ、アーサーさんは逃げて良かった方の人なんだ。
外へ出て、楽しかったって言えたなら。その上でちゃんと帰って来て、弟さんにお祝いできたなら。
私も、王都へ来て良かった。ルーナたちにも会えたし、キカとも再会できた。まだ上手く呑み込めていないこともある。でもこのあと何年も経って、アーサーさんみたいに楽しかったって言えるなら、きっとそれで良いのだと思いたい。
「それに知りたいことがあったんだよ」
「何を知りたかったの?」
「爺さんの姉が貴族をやめて、どんな世界を見たのか」
悪戯っぽく笑ってアーサーさんが私を見下ろす。
自分と似たような境遇の人の事情って、やっぱり知りたくなるものなのね。私がそうだから、余計にそう思うのかもしれない。
「知って、どうしたの?」
「どうもしない。知ったところで俺は俺だった」
その答えは、頭を抱えるほど家に帰るのを躊躇っていたにしては随分とこざっぱりした回答だった。
何もしなかったの? 聞いて終わりってこと? よくわからないまま、アーサーさんを見上げれば、彼は少し眉を寄せながら、困ったように笑う。
「あの人の見てたものの半分も見えてないし、いいことばかりでもなかった」
結局何も成せないままこの年までフラフラしてる。なんて笑いながら懐かしいものを見るみたいに犬を見た。
知って後悔したのか、それとも思っていたものと違ったのか。なんとなく色々思い出したけど、今は見ないふり。
「後悔してるの?」
「そうさなぁ、後悔ばっかりだよ」
ふっと息を吐いて、アーサーさんが笑う。
「家のことを弟に押し付けたのもそうだし、胸糞悪いことも知ったし」
こういう表情を自嘲って言うのかな。
アーサーさんは何を知ったんだろう。そして、知って後悔した。だけどアーサーさんはやっぱり後悔してるなんて言葉とは裏腹に優しい顔をして笑うんだ。
私はアーサーさんじゃないからわからない。でも、後悔はしているけど、その後悔を呑み込めるくらいには良いものを見つけたんだろうか。
「色々聞いて、無理矢理納得したがな」
アーサーさんが私を見て、その後犬を見て、もう一度私を見た。
なんだかすごく優しい顔をしていて、ちょっと恥ずかしい。
「でも、それだけじゃないから。今はそれでよかったと思ってる」
それだけじゃない。そっか。それだけじゃなかったんだ。なら、いいかな。
犬はやっぱりアーサーさんの言葉を理解しているのかいないのか、とにかく嬉しそうに尻尾を振ってアーサーさんの足に体を擦り付けている。
この犬を可愛いと言ったこの人の感性は未だに理解できないけど、こんなに懐かれているのなら悪い気はしないのかもしれない。
「そういうものなんだ」
「そういうもんだよ」
教会の鐘が鳴った。お昼を告げる鐘だ。辺りを見渡せば穏やかな日差しに包まれている。このくらいの時間なら教会にいる人たちも全員引き上げるはず。私たちもそろそろ戻った方がいいかもしれない。
一度だけアーサーさんを見上げてそのまま歩き出せば、特に何も言わずに彼も私の横に並ぶ。
いつか、私もそういう風に、いつかこれで良かったって言える日が来るんだろうか。




