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76.甘くて苦い


 どうしようか。

 昨日呼んだお婆ちゃんの日記の内容がずっと頭の中でぐるぐると駆け巡っている。自分がどういう存在で、両親が何をしていたかとか、どういう理由でお婆ちゃんに預けられたかとか。

 正直今後、これを知ってどんな顔をして生きていけばいいのかちょっとわからない。お婆ちゃんが瘴気を生み出したことをどうこう言えるような立場じゃなかった。


 というか、どういう気持ちでお婆ちゃんは私を育てていたんだろう。

 勇者ギルバートが死んだ原因といっても過言でない私に、どんな気持ちで村の外に行かなくていいと言っていたのか。


 多分、ヴァイオレットは知っていたんじゃないかな。私がどういうものか、自分と同じように、魔王に成り代わられる存在だということを。だからヴァイオレットもお婆ちゃんも、何も教えてくれなかった。

 村で、ずっと生きていくなら何も知らないままで良かった。でも実際に私は村の外に出たがって、お婆ちゃんが死んでその通りになった。

 知りたいと願ったのは私だ。ただ自分の親が魔王の復活を望んでいたとか、私は魔王を復活の依り代になるために生まれたとか。そういうのはもうちょっと段階踏んで知りたかったなぁ。


 誰かに話せば気持ちが整理されるとか、時間が解決してくれるかもしれないと、本屋のお爺さんは教えてくれたけど、今回もそれで解決出来るのかな。

 思いっきり大きなため息を吐いて、ついでとばかりに息を吸ったら埃が気管に入ってちょっとむせた。解せぬ。


 一先ず先輩修道女に頼まれて運んでいた荷物を修道院の裏手にある倉庫に下ろした。修道院で力持ちの名前を欲しいままにしているので荷物を運んだりって言うお手伝いはよく頼まれる。

 それは別にいい。ただ一々倉庫のカギを取って来て直してってするのだけが面倒だわ。村にいた頃は鍵をかけるって習慣がなくて、よく倉庫に鍵を持ってくるのを忘れる。

 すっかり見慣れてしまった倉庫の中には普段は使わない備品が並んでいる。季節品だとか、予備の物とか。今運んで来た荷物も多分何かの備品だと思う。


 ここも掃除した方がいいのかな、なんて考えながら埃っぽい倉庫を出れば、丁度配達の時間で台車を空にしたばかりのマレーさんがいた。

 先輩修道女に受け取りのサインを貰って二、三言葉を交わすのを横目で見ながら倉庫にカギをかける。盗まれて困るような物は入ってなさそうだけど、一応防犯はしておくべきらしい。


「やぁ、今暇?」


 先輩が修道院の中に帰って行くのを見送るとマレーさんは私の方に振り返っていつもの様に笑った。

 修道院の裏手で少しの休憩を取るのが最近のマレーさんの習慣らしい。彼が鞄の中から温い炭酸水の入った小瓶を二本取り出して、片方を私に渡す。

 それを受け取って二人で並び休憩を取るのも、私の最近の習慣だ。


「何かあった?」


 渡された炭酸水は一口口に含むだけで、ぱちぱちとした刺激を残して喉を通り抜けて行く。小瓶の中で同じように騒ぐ炭酸水を見つめる私にマレーさんが言った。

 何か、と言われたらお婆ちゃんの日記の内容くらいしかない。でもこれはうっかり話せないタイプの話なわけで。


「自分じゃどうにも出来ないことを受け止めるにはどうすればいいのかなぁって」

「どういうこと?」

「ちょっと上手く言えない」


 魔王が復活するための器、とか言われても、何をどうすれば魔王が復活するのかもわからないし、私自身は復活してほしい訳じゃないので方法を知っても何かするつもりもない。

 でも顔も知らないお父さんとお母さんは村ぐるみで魔王の復活を望んでいたんだよね? その後勇者ギルバートが来て……、私だけが生き残った。

 私は勇者ギルバートに対してどういう感情を持てばいいんだろう。


「よくわかんないけどさ、それは絶対にエリセが受け止めないといないの?」

「と、いうと?」

「ムリに受け止めなくてもいいんじゃない?」


 炭酸水の泡がぱちりと弾けた。


「そんなに悩むんならさ。全部投げ出して、一緒にどこかへ行っちゃおうよ」


 向けられた真っ直ぐな視線に、射貫かれるような瞳に思わずドキリとする。

 ただ、マレーさんの言葉に一番に思い出したのは、村でちゃんとお別れも出来なかったピーターのことだった。


 あの時、今のマレーさんと同じように私も彼に「一緒に来る?」と聞いたんだった。村で牧場主の息子として生きる彼に、何も考えず村の外へ行こうって。それでピーターは、村の外に出るなんて考えたことなかったと答えたんだった。

 その時は何も思わなかったけど、今ならわかる。ピーターは考えたことがなかったんじゃない。

 家族や、兄弟同然に育ってきた羊たちを置いて行けなかったんだ。だから、自分も家族と同じ様に村で生きていくと決めた。


「エリセはさ、ちょっと色んな物に縛られ過ぎなんだよ」

「そんな風に見える?」

「俺にはね」


 修道院には色んな理由で身を寄せている人がいる。もしかしたらその中には、しがらみから逃げ出して来た人もいるのかもしれない。でも逃げ込んだ先にも別の不自由さがあったのだとしたら。

 そんな風に見えているのだとしたら。


「何をそんなに悩んでいるのかはわからないけどさ、俺ならエリセを連れてどこにだって行けるよ」


 それは、甘くて優しい誘い。ここじゃないどこかへ、苦しくない場所へ。行きたい気持ちがないわけではない。

 私は良くしてくれる修道院の皆に言えないことがある。アレックス元帥との定期報告はまだちょっと気まずい。お仕事が上手くやっているアスターおじ様やキリルに対するちょっとした嫉妬。それから、心配してくれているライナー様への申し訳なさ。

 きっと誰だって甘い誘いに手を伸ばしたくなる。でも何もかも投げ出してしまったら、ずっと逃げなきゃいけなくなる気がするんだ。

 逃げたくないとか、そんなに強い意志があるわけではない。ただ逃げた先で、居心地が悪くなるのが嫌なだけ。


「俺なら自由にしてあげられる」


 伸ばされた手に視線を落とす。

 ずっと村を出て王都に来たかった。それはなんと言うか、知らないことを知りたかったのもある。でも、自由というのは考えていなかった。自由って幸せなのかな。じゃあマレーさんから見て自由に見えない今の私って不幸なの?

 真剣な表情でマレーさんが私を見ている。


「何してるの?」


 急にかけられた声に肩が跳ねた。

 慌てて振り返ると裏口からじっとこちらを見下ろすマルチダがいて。


「お疲れさま、マルチダ。もしかしてエリセを探してた?」

「ええ。ヨハンナさんが呼んでいたの」

「そうなんだ。じゃあ仕方ないね、俺も仕事に戻るよ」


 マルチダに応えているマレーさんはいつものにこにこした表情に戻っている。

 ああ、よかった。なんだかいつもと雰囲気が違う気がしていたから。


「またね、エリセ。俺は本気だよ」


 いつもの笑顔で去っていくマレーさんにちょっとたじろぎつつも手を振る。

 ここから連れ出す、なんてまるで王子様みたいなこと言うなぁ。私はお姫様でも物語の主人公でもないし、何ならちょっと出自が危ないくらい。ずっと憧れていた、欲しかったはずの言葉なのに苦しくなる。


「えっと、マルチダ。探してくれてありがとう。ヨハンナさんが呼んでるんだよね?」

「ああ、あれは嘘よ」


 さらりと言ってのけたマルチダに思わず固まる。

 え、嘘なの?


「アイツ、最近なんか様子がおかしいのよね」


 眉間にちょっとシワを寄せてマルチダが言った。

 確かにさっきはいつもと違う雰囲気だったけど、それは私が変なこと言ったせいで。でもその内容って言うのはやっぱり人に言い難くて。結果、上手く取り繕う言葉が出てこないまま口籠ってしまう。


「前はもうちょっとのんびりした人だったのに」

「そうなんだ」

「何かに巻き込まれてなきゃいいけど。エリセも気を付けなさい」


 そういうのではないと思うのだけど。ただ心配してくれたマルチダに何をどう伝えればいいのかわからない。

 マレーさんは本気だと言っていた。あれってそういうことだよね? いつもルーナやケイティがきゃあきゃあ言っているような意味の。


「まぁ、マレーがいいって言うなら……その、邪魔して悪かったわね」


 あ、照れてる。

 やっぱりマルチダもそういう話好きなんだ。


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