72.かしましな日々
世の中には私の知らないことがたくさんある。
全部が全部を知りたいわけではないし、そんなに覚えられる自信もない。それくらいわけのわからないことに溢れている。例えば犬についてとか。
アーサーさん、犬が見える人に会ったけど結局詳しくはわからなかったなぁ。アーサーさん自身も変わった人だったし。後なんだか心配になる人でもあった。
なんか、初めて会うタイプ人だった。
しっかりしていないというか、本人の言葉を借りるならふらふらしてる人というか。大丈夫なのかなぁって。
適当なことを言うのはヴァイオレットも一緒だった。ただあの犬耳女は俗世から離れていたとは言え、一応は森に定住はしていたわ。
いや、実は死んでいて幽霊だったからずっと姿も変わらず、ご飯を食べる必要もなかったから森に隠居していられたわけだけど。
とにかくアーサーさんの心配なところは、定住もしていなさそうだし働いてもないようだしちゃんとご飯食べられているのかなって。
無精ひげっていうんだっけ? 剃ってないおひげに伸びっぱなしの髪。ちょっとだらしない感じの見た目でお兄さん、と呼ぶのはちょっと怪しいくらいの年だと思う。
見た目に関しては馬を使わない長旅をしてきたのなら納得は出来る。でも自分でふらふらしてるって言っていたしなぁ。よくわからない人だ。
私が知ってる大人ってもっとしっかりしている。隠しごとをしたりずるいところもあるけど自活は出来る。とにかく、私の知る大人とは色々ずれている人だった。
本当に色んな人がいるんだなぁ。
王都に来て、いくらか知り合いが増えた。よく修道院に顔を出してくれる街の人はもちろん、ライナー様の妹さんにも会えたし、マレーさんもそう。
この調子で知り合いを増やしていけば、もしかしたらアーサーさんの他にも犬について知っている人がいるかもしれない。犬にしても精霊様にしても、世の中には不思議がいっぱいだなぁ。
不思議と言えばもう一つ。
年頃の修道女たちはなんでも色恋に繋げたくなるらしい。そしてそれが身近な人間だともっと楽しいそうだ。
ルーナとケイティはいっつもきゃあきゃあ言ってるし、興味ないですって顔するマルチダも話さないなら話さないで気になるみたいだし。
今もそう。何人で並んでせっせと取り込んだばかりの洗濯物を畳んで仕分けながらくるくると変わる話題を回している。
「ねぇねぇ、あの騎士さんとは本当に何にもないの?」
「ないよ」
「じゃあマレーとは?」
「そんなんじゃないってば」
皆そういう話大好きだなぁ。
私だって嫌いではないけど、村で年の近い子って言うとピーターくらいだったからそういう話を誰かとする機会がなかった。恋愛って本の中の話だと思ってたし、自分の中にあるのは憧れだった。
ライナー様やマレーさんに対してだってそう。優しくしてくれる。気にかけてくれる。そういう人へのあこがれや感謝の気持ちはあるけど、そこに恋愛感情はない。
まぁ。皆本気で好きとか嫌いに発展してほしくて言っているわけではないし、「だったら素敵なのに」を話しているに過ぎない。
同じようなものなのに、「そうに違いない」って言い方じゃない分村で嫌気が差していた噂話よりは聞いていても気分が悪くならない。
「ねぇエリセ。昨日街で話していた男のことなんだけど」
ふと、タオルを仕分けていたマルチダが手を止めた。
マルチダがこういう話に直接口を出してくるのは珍しい。興味がないわけではないけど、普段あんまり男の人とは話したくないみたいな態度をとっているし、こういう話題は得意じゃないのかと思ってた。
昨日、というとアーサーさんと話しているのを見たのかな。そういう品種の犬だと思えって言われた時の。犬については本当に何にもわからなかったなぁ。
「何々? また新しい人と仲良くしてるの?」
「言い方が悪いわ、ケイティ。ところでどんな方?」
ほらもう。二人が食いついた。
まだ洗濯物が残ってるんだから手も動かしてよ。
「悪いことは言わないからあの騎士か、せめてマレーにしなさい。ああいうタイプにハマると絶対に不幸になるわ」
ああいうって。
まぁアーサーさん本人もふらふらしてるって言っていたし、心配になる人だけどさ。
「いやいや本当に、話をしていただけでアーサーさんともそういうのじゃないよ」
「アーサーさんって言うの?」
「マルチダがそういうってことはワイルド系の人ね」
あれをワイルドと言うのはちょっと違うと思う。頓着していないというか適当というか。とにかく三人が思うようなのじゃない。
そもそもあの犬を可愛いって言っているアーサーさんとは感性が合わない。今だって私の後ろで昼寝をしたり伸びをしたり時折室内を歩き回ったりしてるけど、可愛いとは思えない。むしろ、一般受けしない見た目わけのわからない生き物が犬みたいな行動をとっていて困惑しかないし、それに慣れかけている自分が怖い。
そもそも可愛いって言うのは野兎みたいなのを言うのよ。あの子たちはあの子たちで畑の野菜を片っ端から齧るので害獣ではあるんだけど。
「私よりも皆はどうなのよ。仲の良い男の人とかいないの?」
「ないわ」
「ないね」
「言い寄ってくるタイプの男はクソだと思っているわ」
二人はともかく、マルチダは何があったの? 話聞くよ?
え、今まであんまりこういう話に入って来なかったのはそういう理由?
「そういえば暫く甘味屋さんお休みらしいよ」
「何かあったの?」
「かまどが壊れちゃってケーキ焼けないんだって」
「あら、大変」
くるくる話題が変わっていく。恋愛小説みたいな夢を見ている。ないとわかっていることをもしそうだったら仮定して話をしている。
共通の話題とか本当に中身のない会話を楽しいと感じている。
それが何だか上手く言えないけどもやもやしている。楽しいのに、どこか心の片隅でいいのかなって気持ちが居座っている。
楽しいのは本当。皆が仲良くしてくれて嬉しいのも確か。
でも、この修道院での暮らしはお婆ちゃんが死んだことの上に成り立っているのも事実で。
大好きだった。死んでほしくなかった。
私の言葉は届かなかった。
もやもやした気持ちを呑み込んで曖昧な笑みを作る。軽快な会話は右から左へ。一瞬頭の中を通して、過ぎ去っていく。
私に幸せになれと言った人がいた。なれるわけがないと思った。なのに私は今それなりに楽しいと感じていて。
なんだかそれがお婆ちゃんに申し訳ない気がして。
魔物は、瘴気から生まれる。その瘴気を生み出すのは、間接的とはいえ誰かを傷付けてしまうかもしれない。自分の意志でなくとも、危険なのは違いない。それを、よりにもよって教会の聖女と呼ばれたお婆ちゃんが……。
そのことを知っているのは私とライナー様、キリルとアスターおじ様にアレックス元帥。他の誰にも話してはダメ。
教会の信仰とか国の権威にも関わるので、他の人に漏らさないように口止めされている。それくらいお婆ちゃんは大きなことをしてしまった。そう割り切れればよかった。
結局私にとってお婆ちゃんは大切な人に変わらない。
だから何も教えて貰えなかったのが苦しくて、いなくなってしまったのが寂しくて、その上に成り立っている今の暮らしが少し息苦しくて。
そんな私に幸せになれと言った人がいた。不幸なままでいなくともいいと言った人もいる。
今の私の状態が幸せなのか不幸せなのかはわからない。いくら呑み込んでもいつの間にか心の片隅にもやもやが居座っていて。
それでももう少し、不思議なことを不思議なままにしてもいいのなら。この気持ちもいつか時間が解決してくれるのなら。
お婆ちゃんも暮らしただろう修道院で、もう少しだけ、色んなことを悩んでみようと思う。




