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71.見える人


「可愛い犬だな」


 いや、その感性はどうなんだろう。

 犬を撫でながら笑う男の人に私はなんと返すのが正解だったんだろう。とにかく思ったことをそのまま口にしなくてよかった。失礼すぎる。


 視線を男の人から下ろす。以前からの知り合いみたいに男の人にすり寄っている犬が居た。

 可愛い。可愛いか? 撫でられて尻尾を振っている犬、と説明すれば確かに可愛いかもしれない。

 でもその実、目はないし口は耳まで裂けてるし牙も鋭ければ舌もだらりと長い。体だって痩せていて黒なのに光の加減で緑にも紫にも見える不思議な色をしている。ただ振舞いは限りなく犬だ。


 余程撫でられたのが嬉しいのか犬は尻尾を千切れそうなくらい振りながら男の人にすり寄る犬は、いつにもましてテンションが高い。普段は大分大人しくしてたんだなぁ。

 私自身すっかり感覚がマヒしていて、ただの犬みたいに扱っているが、いつ犬が男の人の喉に噛みついて怪我をさせてもおかしくない状況だ。え、噛まないよね? 今のところ私も噛まれたことないし、大丈夫だよね?


「えっと、その犬が見えてるの?」


 私の心配なんて知らないで犬を撫でている男の人に恐る恐る問いかければ、彼はへらりと笑った。


「実家にもいたからなぁ」

「同じのが?」

「同じのが」


 えぇ? 他にもいるの? この犬が?

 確かにヴァイオレットの傍には確かに二匹いたかも。その内の一匹って言うわけじゃないんだろうけど……、この犬が複数匹いるのかぁ。

 そういえばあの時、瘴気から生まれたアンデットたちを犬が爪だとか牙で蹂躙していたのを思い出して何とも言えない気分になった。違和感なく受け入れてたけど、この子って実はかなり危険な生き物なんじゃ?


「その様子だと、他の個体は見たことないようだな」

「そういうわけではないんですけど、見えない人が殆どだったので」

「そういうもんだと受け入れるしかないな」


 男の人が立ち上がり、足元に置いていた大きな荷物を担ぎ直す。今しがた王都に着いたような見た目だ。

 どこか遠くに用事でもあったんだろうか。それとも、アスターおじ様みたいに商売をしてる人?


「私、修道院でお世話になっているエリセと言います」

「ん? ああ。俺はアーサー。ふらふらしてる」


 え、えぇ? ふらふらって大丈夫なの? この人。いや、冗談だよね?

 自信満々に言った男の人改め、アーサーさんは私が訝し気な視線を向けるのに気付いたのか誤魔化すみたいに笑った。


「弟が結婚したらしいから久しぶりに王都に帰って来たんだが、相変わらずこの辺りは同じ見た目の建物が多くて方向感覚が可笑しくなるよな」


 なんかダメそうな人だ。

 いや、何をどうするかは個人の自由だし本人がいいならいい、のかな?


 今のところライナー様以外の犬が見える人は初めて会った。

 森でヴァイオレットに連れられていた時は皆にも見えていたようで、でも私と一緒に暮らすようになった後は他の人には見えなくなっていた。

 というかあの時まで犬の存在も知らなかったんだけど、もしかしてそれまで私が見えなかっただけで実はずっとヴァイオレットの傍にいた? じゃあなんであれ以来は見える様になったの?


「その子について、詳しいんですか?」

「詳しいって言うか、一緒に暮らしていたしある程度は?」


 ……この人に聞いても大丈夫なんだろうか。

 悪い人ではない、と思う。でもなんだか違う意味で心配になる人だなぁ。


「教えて貰えませんか?」

「うーん、いいけど。あんまり期待しない方がいいよ?」

「わけもわからず一緒に暮らし始めたんで、少しでもこの犬が何なのか知りたいんですよ」


 気が付いたら部屋のベッドを占領していた。ファーストコンタクト、ではないけれどちゃんと犬と接触したのはあれが初めてだ。

 悪いことはベッドを勝手に使って中々返してくれないくらいで特に問題なく暮らせてしまっている。ベッドについてだけで人に言いつけるのは違う気がするし、なんとなくアレックス元帥に報告できないままここまで来てしまった。

 もちろん煩わせたくないって言うのもある。が、毎夜犬にベッドを奪われ、仕方ないなという態度で端にずれて貰っている説明をするのが恥ずかしいという気持ちも大いにあるのだ。


 とにかく。この犬が何なのか、どこまで人に話していいのかわからないままでいる。

 ライナー様はもっと大人を頼れと言ってくれた。この犬についてわかってくれそうな大人ってライナー様と、この人かぁ……。


「因みにエリセはどうしてこいつと一緒に?」

「元々の飼い主がいなくなって、いつの間にか私に付いて来ていたみたいなんです」

「ああ、こいつら自由だからなぁ」


 ヴァイオレットについては、話さなくてもいいか。なんだか話が大きくなりすぎそうだし。

 お婆ちゃんと一緒で私にとってはヴァイオレットもただ森に勝手に住んでいる犬耳女だった。そもそも大前提として犬耳の生えた女が存在していること自体がおかしかったわけだが。

 それにしたって既に死んでいて、何故か犬の耳が生えた状態なんてわかるわけがない。しかも実は昔お婆ちゃんと一緒に旅をしていた仲間だったなんて。

 ……これは世界的には有名だったらしいけど、お婆ちゃんもアスターおじ様も言い出しにくかったのか名前を聞いたのは皆と森に入る直前だった。


「正直、こいつが何をしていてもそういうものと思って接した方がいいよ」


 そういうものって、半分諦めてない?

 相変わらず犬はもっと撫でろとアーサーさんの足に擦り寄っている。随分懐いてるなぁ。この人マタタビみたいな成分を発しているんだろうか。懐いているのは犬だけど。


「ちょっと変わった犬だって思えば可愛げさえある」

「いや、そこはわかんないです」


 今度こそ本音が漏れた。アーサーさんが困ったように笑って頭をかいた。

 やっぱり他の人から見ても行動が犬なんだ、この子。見た目は可愛げのかけらもないのに犬にしか見えないのは私だけじゃなかったんだ。


「俺の所にいたのは弟の傍にいるんだよ。まぁ、飼い主に悪さはしないさ」


 飼い主にってことはそれ以外には悪さするの? むしろ問題なのでは?

 突っ込んで聞きたいことは色々あるけど一々反応していては話が進まない。とにかく聞きたいことを先に聞いてしまおう。


「見える人と見えない人がいる理由とかは……」

「それはまぁ、そういう品種だからとしか」

「品種って……。じゃあ以前は他の人にも見えたのに、今は見えないとかも?」

「そういう品種だな」


 なんか説明面倒になってるでしょ?

 じっとりと見上げればアーサーさんは降参とばかりに両手を上げた。


「悪い悪い。でもこいつらが何だろうと、犬みたいな行動ばかりなのは変わらないだろう?」

「まぁ、そうですけど」


 修道院で一緒に暮らし始めてからの記憶を思い返す。ベッドの上でひっくり返って寝る以外、というか部屋の外では比較的お利口さんにしてる。食事らしい食事をとってる姿は見てない。前にお菓子を差し出してみたけど少し匂いを嗅いで、そっぽを向かれてしまった。

 それから歩くのが好きで外に連れ出すとよく尻尾が上がっている。日向ぼっこが好きで窓のカーテンが閉まっていると開けろとせがんでくる。後、さっき知ったけど撫でられると嬉しくなるらしい。……犬だなぁ。

 犬を見下ろしているとこちらの視線に気が付いたのか、「何か用か?」とばかりに犬も私を見上げる。視界、どうなってるんだろう。


 そいうかこの犬の生態自体がよくわからない。この人も実はあんまりわかってなかったりして。

 まぁ、実際に犬と一緒に暮らしている弟さんの方が詳しいのは間違いないか。家にもしばらく帰ってない様なことも言っていたし。


「時々拾い食いするが、概ねいい子だから。可愛がってやってくれ」


 本当にいい子、かぁ?


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