69.隠者は語る
修道院でのお勤めは色々ある。
村にいた頃と同様に神様に祈りを捧げる時間もそうだし、修道院の清掃もそう。後は各々の好きなことや興味のあるものについて学んだり、修道院を訪ねてきた人の対応や案内なんかも含まれる。
違いらしい違いと言えば、村の教会に比べて人の出入りが段違いなので時々目が回りそうになるくらいかな。
今日はヨハンナさんに頼まれたお使いで街に来た。
お使いの内容は贔屓にしている書店から本を受け取ってくること。まだあんまり王都の街を知らない私に気を使ってくれたのかもしれない。
因みに受け取る本は学術書で、なんでも学徒の道に進みたい修道女がいるらしい。数は少ないが、以前にもそういう方向で名前を挙げた修道女もいるそうだ。
勉強かぁ。読み書き計算ならお婆ちゃんに習ったしある程度できる。じゃあ自分も学徒なるかって聞かれると、そう言うのはあんまり興味が出ないなぁ。
因みに修道院の識字はまちまちで、ルーナは計算、ケイティは書き取りが苦手だ。マルチダは全部出来るから、この間一緒に先生役をして皆で勉強会をした。修道院では出来る子がわからない子に教えるのが常になっている。
村の外では読み書き計算は必須なのかと思っていたけど、案外そうでもないのかなぁ。
犬を連れて歩く王都の街並みは、なんというか同じ様な作りの建物が並んでいて迷子になりそう。
お城や大きな教会のある大通りはともかく、似た形の建物が並んでいるのはわざとそういう風に作ったのかな。地図を片手に人通りの多い道を反れ、王都の片隅にある本屋さんを目指す。
迷ったら犬に大通りまで連れ帰ってもらうつもりで、先に犬には道を覚えておくように言い含めている。
「ここ、だよね?」
犬の返事はない。
見上げた店に看板は無く、かろうじて窓から本棚が並ぶのが見えて本屋と判断できるくらいだ。
動物ってお店の中に連れて入ってもいいのかな?
今のところ私とライナー様にしか見えていない子なんだけど。突然走り出したり、テンションが上がって跳ねまわったりは今までなかったし大丈夫だよね?
一通り悩んで、大人しくしているように言い聞かせて犬を連れて店に入った。
「おや、いらっしゃい」
木製の扉を開けばからころとベルが鳴る。おしゃれだなぁ。村にはこういうのもなかったし。
お店の中にはにこにこした優しそうなお爺さんが一人。
「修道院の者です。取り寄せていただいた本が届いたと伺ったのですが」
「頼まれていたのはこれだよ」
お爺さんは、カウンターの上に積みあがっている本の中から一冊取って見せてくれた。
渡されたのは難しそうな学術書だ。多分先輩修道女の誰かが読むんだろうけど、どんな内容なのかまではわからない。
勉強は、好きでも嫌いでもないし、どっちかって言うと進んでやるタイプでもない。
「君は本は?」
「少しだけなら」
代金は先に払われているらしく、分厚い本を預かると、お爺さんが私を見てそんなことを言った。
本は読みはするけど、王都に来てからは読んでないなぁ。村にいた時はアスターおじ様が持ってきてくれた小説を繰り返し読んでいた。
流行り物だって言って恋愛小説や冒険小説をよく持ってきてくれて、憧れはした。でもそれが全てにはならなかったのは、やっぱり村に同世代の子が少なすぎたからかしら。
「好きな本を選びなさい、一冊プレゼントしよう」
にこにことお爺さんは笑って言う。
好きな本って……このお店の中の? ちらりと店内を見回せば背の高い本棚がずらりと並び、その中にはぎゅうぎゅうに本が詰め込まれている。お店、というよりは一軒家の一室に本棚を詰め込んだような書店にちょっと圧倒されてしまう。
「えっと」
「本を読む時間はいい。読んでいる間は、本の世界にだけ集中していればいいのだから」
躊躇ってしまう私を急かさず、穏やかそうな笑顔でお爺さんは遠くを見る。
このお爺さんの言っていることは逃避だ。私にも覚えがある。というか、よくしている。掃除とか、洗濯で。
「お爺さんにもそういう時あるの?」
「あるよ。たくさん」
優しくて、寂しそうな表情。
物事には向き合うべきだ。この人は本の世界に逃げている。その逃避を肯定している。
それはすごく、甘くて優しくて悲しいことに思えた。
「でも、ずっとはそうしていられないでしょ?」
「そうだね。だが、それがわかっているのなら、いつだって向き合える」
この人には何が見えているんだろう。私の見えない何が。
横目に犬を見る。相変わらずお行儀よく座って大人しくしているけど、私の視線に気付いてしっぽを軽く振った。この犬は……見えてないんだよね?
「私、つい先月から修道院にお世話になっているんです」
「そうかい。中のいい子は出来たかな?」
「うん。皆優しいもの」
修道院での暮らしは、思っていたよりも大変じゃない。
村で思い描いていたようなキラキラさはないかもしれないけど、王都に付いたばかりの時のような喪失感はない。なんだか、とても変な感じ。
多分、あの村が私の世界だった。いつか飛び出したいと願いながら、何も出来ずに毎日を暮らしていた。村での生活と、お婆ちゃんの存在が私のすべてだった。
だからあの時、私は何もかも失くしたんだと思ったの。
お婆ちゃんが死んで、ヴァイオレットもいなくなって、一人になったんだと思っていた。それが、今はどうだろう?
「一人になったと思ってたんだけど、なんだかそうじゃないみたいなの」
いい、ことなんだと思う。助かってるし、有難いなとも思ってる。
修道院ではお婆ちゃんの孫として褒めてくれる人がたくさんいる。でも私は村であったことを皆には言えない。
お婆ちゃんが最後に何をしたのか、何を想っていたのか、皆には秘密にしなきゃいけなくて。それを秘密にしたまま褒められるのはなんだか居心地が悪くて。
「ああ、気持ちが追いつかないんだね」
そうなのかな。
お婆ちゃんを嫌いになったわけじゃない。今だって大好きだし、だからこそちゃんと話せなかったのも何も知らないままだったのも悲しいし、傍にいないことを寂しいとも思う。でも今の暮らしが嫌なわけじゃない。
修道院の皆は優しいし、他にも気にかけてくれる人たちがいる。部屋に帰ればベッドの上で勝手に居付いた犬が寝てるのが日常になって来た。
「思っていたよりも、今の暮らしが悪くなくて戸惑ってしまったかな?」
「どう、なんだろう。ただ、いいのかなって……」
「いなくなってしまった人に、申し訳ない?」
頷く。
私は何も出来なかった。何も知らなかった。知りたいと言いながら、何もわかっていなかった。
きっと、教えて貰えるような人間じゃなかった。
もっとしっかり教会のお勤めに励んでいたら、信頼してもらえた? もっと素直に話せていたら安心してもらえた?
きっと無理だ。お婆ちゃんの一番はずっと勇者ギルバートで、私じゃない。それは変わらない。
お婆ちゃんはずっと苦しかったし、たくさん悩んだんだろう。
だからお婆ちゃんは瘴気と呼ばれるものを生み出すまでになってしまった。例え精霊様が唆したんだとしても、辛かったのは変わらない。
お婆ちゃんはずっと苦しんでいたのに、私は王都で楽しんでいていいんだろうか。これからどうしていけばいいかわからない。そんなまとまりのない感情の吐露をお爺さんは静かに聞いてくれている。
「不幸なことがあったからと言って、ずっと不幸でいる必要はないんだよ」
まるで小さい子供に言い聞かせるように、お爺さんは優しい声で言った。
その言葉は雷のような衝撃ではなく、すとんと落ちるような納得でもなく。ただじんわりと私の中に広がった。




