66.聖女の秘密
日記は相変わらず村での毎日が綴られている。
特別何かあるわけじゃなく、静かな毎日。何もかも終わった後の、熱を冷ますような気持ちが書き残されていた。
ページを捲り文字を追い続けてふと手が止まる。よく聞きなれた文字列が何度か書き綴られていた。ヴァイオレットだ。
その名前が出てくる事態は何にも可笑しくはない。ヴァイオレットもお婆ちゃんと一緒に旅をしていた。
一緒に色んなことを経験して色んなことを成して来た。その過程で魔王と戦って、ヴァイオレットは死んだ。
私がその当時のことは知らない。お婆ちゃんはそういう話をしなかった。だから私がヴァイオレットがお婆ちゃんと一緒に旅をした仲間だったと知ったのは、アスターおじ様が何気なく溢したからだ。
でも日記に書き綴られていた内容は、アスターおじ様が言っていたのとは少し違った。
アスターおじ様はヴァイオレットとお婆ちゃんは仲が良かったと言っていた。
お婆ちゃんは勇者ギルバートが好きで、勇者ギルバートはヴァイオレットが好き。でも同じ目的を共にする仲間だった。だからきっと、仲は良かったんだと思う。心の中で、何を思っていたのかは別として。
お婆ちゃんとキカのお婆ちゃんは恋敵で、それ以上に大切な友達だったと言っていた。お婆ちゃんとヴァイオレットもそういう関係に見えていたんだと思う。
……これはなんと言うか。
お婆ちゃんたちは魔王を倒した。それは私も知っている。
魔王を倒す時に、ヴァイオレットが犠牲になったのも、実際にあったこと。でもその理由は、知らなかった。
ヴァイオレットは魔王に呪いをかけられていたらしい。
その呪いは魔王が死んだ後、ヴァイオレット自身が魔王に体を乗っ取られてしまうというものだった。
その呪いを前に、誰も何もできなかった。魔王は倒した。魔王になりかけたヴァイオレットを倒すなんて出来なかった。
だから、ヴァイオレットは自分で死んだらしい。
お婆ちゃんや、勇者ギルバートの前で。
つらつらとその時の後悔と、ヴァイオレットや勇者ギルバートに向けた思いが日記には書き綴られている。
愛情と、嫉妬。それからお婆ちゃんの隠し通した秘密も。
お婆ちゃんは勇者ギルバートを愛していた。
勇者ギルバートが愛していたヴァイオレットに対して、言いようのない思いを抱いていた。
だからといって、ヴァイオレットが死んで得る平和を望んでなかった。
本当なら救えたはずだった。お婆ちゃんが持つ聖なる力ならきっと、それが出来たはずだった。
でもそれが出来なかったのは、お婆ちゃんの力が弱くなっていたから。
聖なる力については教会の教えとして聞いていた。
お婆ちゃんを始め聖人と呼ばれる人たちにしか使えない不思議な力。そもそも使える人が少なくてどういうものなのかもよくわかっておらず、聖女だったお婆ちゃんが死んだ今、他に仕える人もいない何も理屈もわかっていない力だ。
お婆ちゃんは魔王と対峙していた時、その力が十分に発揮できていないのを感じていた。
聖女とは、聖女の在り方とは。世界を愛し、人々を愛す博愛の象徴だ。
教会の教えの中にはなかったけど、聖なる力は聖女の在り方に伴って発揮される力だと、お婆ちゃんは認識していたのかもしれない。
でもお婆ちゃんは勇者ギルバートを愛していた。
勇者ギルバートが愛していたヴァイオレットに対して、言いようのない思いを抱いていた。その気持ちが、お婆ちゃんの聖なる力を弱めた。
日記にはそんな風な言い回しで記されている。
誰もを愛するようにと望まれた人がただ一人を愛し、ただ一人に嫉妬した。その気持ちが、力を奪った、と。
どういう理屈なのかはわからない。
けど、私にとってはお婆ちゃんの日記に書いてあることが全てだ。
今まで読んだ範囲ではヴァイオレットのその後については書かれていない。
お婆ちゃんはヴァイオレットと会ってなかった。いつから森に居座っていたのかは知らない。でも私の知る限りでは二人の口からお互いの名前が出なかったし、そういう素振りもなかった。
森の中でどういうわけか犬の耳をくっつけてヴァイオレットは生きていたけど……、アレは、生きていたって言うのかな? とにかくお婆ちゃんはヴァイオレットが森に隠れ住んでいたのも、今は私と一緒にいる犬も知らない。
きっと、二人の仲は悪くはなかった。と、思う。
少なくともアスターおじ様が、仲が良かったって言うくらいには。
ヴァイオレットは、お婆ちゃんの気持ちに気が付いていたのかな? だからすぐそばにいるのに会わなかった?
何年たっても、最後に一緒にいなくなってしまうくらいには大切に思っていたのに。
お婆ちゃんの隠したかった気持ちに触れないように、ずっと顔を合わせないようにしていた?
「君はどう思う?」
ため息を一つ溢しながら後ろを振り返る。
ベッドの上にはいつもの様にひっくり返って寝ている犬もどきが一匹。
犬は一瞬だけ耳をピクリと動かして見せたけど、結局起きることもなく寝息を立てている。お腹、上にして寝ていて寒くないのかな。
読みかけの日記にしおりを挟んで閉じる。
そこには私の知らないお婆ちゃんがいた。違うな。多分、誰にも秘密の姿だ。きっとこの日記に吐き出したお婆ちゃんの気持ちはアスターおじ様も勇者ギルバートも知らない。もしかしたらヴァイオレットは何か知っていたのかもしれない。
でも、お婆ちゃんは精霊様に唆されるまでは聖女として振舞い続けた。聖女って言っても、私が知るお婆ちゃんの姿は村で静かに祈りを捧げているものしか知らないけど。
だとしても、そういう在り方を求められた。好きな人を想うことも、誰かを羨むことも許されない暮らしというのはどんなものなんだろう。心の中ですら自由に出来ないなんて、きっと息が詰まってしまう。
なのにお婆ちゃんは聖女であり続けようとした。聖なる力を失うのが恐ろしいと、自分にはそれしかないのだと日記に吐き出していた。
そしてお婆ちゃんが聖女として振舞い続けた結果、お婆ちゃんに会ったこともない人たちまで、「聖女ソフィリア様は立派な方だった」と言う。
何が、お婆ちゃんの幸せだったんだろう。
立派な聖女を求められ、そういう振舞いをして。望まれた姿と実際の姿に苦しんで。
こんな時、ヴァイオレットならどうするかな。自分にはどうにも出来なかったことを、どういう風に呑み込んでいくんだろう。
実際にはヴァイオレットはそういう問題を起こした側で、お婆ちゃんはそういうものを呑み込めなかった側なんだけど。
ふと、窓を見る。窓の外には枝の太い大樹が立っていて、ああいう木を見るとなんとなくヴァイオレットがいるんじゃないかと視線をやってしまう。
ヴァイオレットにも、ちゃんとした別れを言えなかった。村の皆には生きていればいつか会える。でも、ヴァイオレットはそうじゃない。お婆ちゃんと一緒に、遠い所へ行ってしまった。
何も知らずに幸せになれと言われた。ちゃんと幸せになれるとも。
ヴァイオレットは私にそう望んでくれたけど、正直あの時は無茶なことを言うと思ったくらいだ。何もかもに置いて行かれて幸せになんかなれるわけがないとも。
ヴァイオレット以外にも私の幸せを望んでくれた人がいるらしい。これは、きっと、勇者ギルバートなんだろうなぁ。
誰よりも優しい男。お婆ちゃんが愛し、ヴァイオレットを愛した人の、多分、最後の願い。
全く。なんてものを背負わせてくれるんだ。
私はただ憧れるだけの村娘のはずだったのに、世界で一番有名な人に幸せを願われているなんて。
謎の生物暫定犬と一緒に暮らすよりもハードルが高い気がするんだけど。




