63.綴られた物
そこに綴られていたのは遠い日の記憶。
きっと誰にも話せなかっただろう、お婆ちゃんの胸の内。
日記の始まりはお婆ちゃんが村に来てすぐだった。
いくらかの支度金と少量の荷物を持って降り立った村は、私が知るよりもずっと排他的で、外から来たというだけで疎外の対象だったらしい。
それはつい数ヶ月前に魔王を倒した聖女であっても同じで、そう易々と受け入れらなかったそうだ。
田舎の村だったのもあるだろうし、何よりあの村は精霊様の森もあり魔王の影響も受け難かったんだと思う。
他の場所とは違って魔王という怖い存在がいるのは知っていたけど、自分たちの暮らしにどう影響しているのかわかっていない人が多かった。だから魔王が倒されても、自分たちの生活に大きな変化がなく聖女であるお婆ちゃんの存在にも懐疑的だったんだ。
そんな誰にも歓迎されない中で、お婆ちゃんの村での暮らしは始まった。
今にして思えば、多分ちゃんと魔王の影響は村にも出ていたんだとは思う。
魔王が生み出した魔物も村の近くまでは来ていた。でも村には精霊様の森があった。だから被害がなかったんだろう。
ライナー様が言うには、精霊様は皆が思うような良い存在ではなくてもっとこう、自分勝手な方だったみたい。
私は精霊様を見えなかったし、森の中に何度も足を踏み入れてもなんともなかったんだけど、本当は怖い方だったみたい。
気分屋で、話が出来るようで通じていない方。その上気に入った存在を魔物なのか何なのかよくわからない存在に作り変えて眷属にしてしまうのだとか。
きっと、村に近付いて来た魔物も精霊様は作り変えていたんだろう。精霊様自身にその意志があったのかは知らないけど、そのおかげで村に魔物が寄り付かなく手結果的に村を守っていたことになるのかな。
とにかく。お婆ちゃんの日記には精霊様のおかげか、魔物に因る被害が無かったために教会の後ろ盾や聖女という肩書が村では意味をなさなかったそうだ。
お婆ちゃんにとっては、逆にそれが気楽だったようだ。
誰も以前の自分を知らない。聖女様として人々を愛し、世界を愛すために押し殺し続けた気持ちがあったのも。たった一人、誰よりも何よりも愛してしまった人がいることも。誰にも知られず奥底に押し込めていた。
外界と隔絶されたこの村でなら、すべてを忘れ去って、心穏やかに暮らしていけるんじゃないかって考えがあった。
村に来てからもお婆ちゃんは、模範的な聖女としての振る舞いを続けた。
一人で古い教会を立て直し、持ってきた支度金で必要な物を借りて暮らす。どちらかというとお金よりも人手の方が喜ばれ、それからは祈りとあいさつと困っていないかと声かけして回る毎日だった。
そういう毎日を過ごして、勇者ギルバートへの恋心を封印していく。それが、お婆ちゃんが選んだ村での暮らし方。
どんな気持ちで日々を過ごして来たんだろう。正直、ちょっと想像付かない。
お婆ちゃんは勇者ギルバートへの恋心を封印するため村に来たと書き綴っていた。
お婆ちゃんと、キカのお婆ちゃんは勇者ギルバートが好きだった。でも勇者ギルバートはヴァイオレットのことを好きで。
私は恋愛的な意味で誰かを本気で好きなったことはない。それでも好きな人が自分を見てくれないのは苦しいって知っている。大切な人が遠い所へ行ってしまう痛みはわかっている。
だからこそ、つい勇者ギルバートやヴァイオレットに対して身勝手なもやもやを抱えている。
ヴァイオレットが死ななければ、こんな風に拗れなかったんじゃないのか。
勇者ギルバートが一度で顧みてくれれば、お婆ちゃんの心は救われたんじゃないか。
せめて二人がお婆ちゃんに私を預けなければ、こんなことにはならなかったんじゃないか。
広げていた日記を閉じる。考えるだけ、きっと無駄。答えはきっと出ない。
勝手に住み着いている犬が、自由気ままに私のベッドを占領している理由くらい考えても意味のないことだ。
だってそうだろう。全部たらればだ。もしこうだったら、そうじゃなければ。考えたってどうしようもない。
私に出来ることなんてない。実際に何年目何十年も勇者ギルバートを想い続けたお婆ちゃんの気持ちに気が付かず、気持ちに寄り添うことも出来なかった。
そんな私が、何か変わったかも、なんて考える方がちょっと傲慢だと思う。
暗くなった気持ちを吐き出すようにため息を吐いて伸びをする。
今日はこの後、キリルとアスターおじ様に会う。キリルはおじ様にについて回って行商になる勉強をしているようだけど元気にしているかな。
「そろそろ行くよ」
身支度を整えてベッドの上で転がっていた犬に声をかける。振り返った先ではおへそを天上に向けて寝ていた。野生を失うの早くない? わけのわからない存在なんだしもうちょっとミステリアスな雰囲気を保ってよ。
……まぁ、割と初めから犬の振る舞いをしてた気もしないでもない。
小さめのカバンに忘れないように封筒を一つ詰め込んだ。どこかへ行くとは聞いていないし、特に何か持って行く必要もないと思う。
途中で会った先輩修道女に行先を告げて、誰にも見えない犬を連れて教会を出た。正直置いて行ってもいいんだけど、この犬放っておくとずっとベッドで寝ていて運動不足になりそうだし。
散歩がてらに待ち合わせ場所の王都の広場へ犬を引き連れて向かう。突然走り出したりもなく、ぴったり隣を歩く程度にはお利口さんなんだよなぁ。尻尾も上がってるし。なんで部屋に帰ると野生を忘れて惰眠を貪ってるんだろう。
「エリセ!」
広場に付くと、私が探すよりも先に声をかけられた。
久しぶり、って程でもないけれど二週間ぶりに聞いたキリルの声にちょっと嬉しくなった。一緒に暮らしていたのは本の数ケ月ほどなのに、やっぱり離れて暮らすとなると恋しくなるものらしい。
「久しぶり元気だったか?」
「うん、元気だよ。皆優しいし何とかなってる」
王都に来て知ったけど、実はアスターおじ様はすごい人だったみたい。いえ、お婆ちゃんたちと一緒に魔王を倒す旅をしていたし元々すごい人ではあるんだけど。
それはそれとして王都では大抵の人が知ってる大きな商会の代表だってマルチダが教えてくれてびっくりした。そんなにすごい人が毎月村までお婆ちゃんに会いに来てたんだ。
本当に、お婆ちゃんが大切だったんだなぁ。
「なんかあったら言うんだぞ」
「私は大丈夫だよ。そっちはどう?」
お婆ちゃんの告別式以降のアスターおじ様は、以前と変わらないように見える。そういう風に見せているだけかもしれないけど。
お婆ちゃんみたいに思い詰めていないといいな。
「馬、一人で乗れるようになったよ。それから、エリセが文字と計算教えてくれてたおかげで、商会の皆に覚えが早いって褒められてる」
「そっか。早速役に立ってるみたいでよかった!」
キリルは以前よりも明るくなった。
キリルが商人になるためにアスターおじ様と一緒に行くって聞いた時は驚いた。馬が好きと言っていたしライナー様にも懐いていたから、騎士を目指すかもと勝手に思っていた。
正直、あの後キリルとは上手く話せていなかったし、こんな風に笑って報告してくれて安心した。
お婆ちゃんのことはきっとキリルもびっくりしただろうけど、その直前にキリルのお母様に再開できたおかげで、気持ちの整理が付きやすかったのかもしれない。
お母さん、か。私の母親に当たる存在、母親代わりだったお婆ちゃんは私を見てはいなかった。日記に書かれているのも今のところ村での生活と勇者ギルバートについてばかり。
まぁ、これについては何とか呑み込んでいくしかないよね。
「あ、そうだ。アスターおじ様にお願いがあって」
「どうした?」
「これを届けてほしいの」
忘れないうちにアスターに手紙を渡す。宛名を見ると笑ってわかったとだけ言った。
手紙に認めたのは王都に来たことと何とかやっていること。この手紙が届いて、折り返しが来る頃にはもうちょっと上手く、笑えるようになっていればいいな。




