59.騎士が見たもの
ライナー視点
森はどこまで行っても薄暗く、木々の隙間から見える空も相変わらずの曇天で嫌な雰囲気が漂っていた。
村の外で会った時はピンピンしていたヴァイオレットが満身創痍で現れた時は驚いたが、森にアンデットが出たことを考えれば妥当ともいえるかもしれない。変わり映えの無い森の中をエリセに案内されながら精霊の泉へと向かっていく。
あまりアレに会いたいとは思えないが、それでも聖女ソフィリアの行方を確認するためにもあっておいた方がいいのだろう。
「あら、眷属になりに来たの?」
任務のためだと割り切ろうとしていたのに。開口一番嫌らしく笑う黒い女に嫌気が差した。
妖艶さと嫌悪。微かに光を反射する泉を前に、くらりと来そうな艶やかさを携えて佇んでいた。
「そんなものにはならない。ここで何が起きている?」
本当に、アレックス元帥が言っていた様なことが起こっているのか。聖女ソフィリアが、本当にアンデットを産み落としているのか。
元帥を疑っているわけではない。ただ精霊ならまだしも、人が、それも聖女と呼ばれた人物が魔物を生み出しているなどと言われてもそう簡単に事態を飲み込めない。
「あら、そんなこと」
「答えろ」
「ソフィリアはどこにいる?」
精霊が見えるのは自分とヴァイオレットだけらしく、同行していたアレックス元帥の部下たちが少しばかり動揺している気配がした。
彼らから見た俺たちはどう映っているんだろうか。なんて、頭の片隅に浮かんだ疑問を追い払う。
凄むようなヴァイオレットの問いかけに、精霊は妖しげに笑った。
「ああ、あの子ね。壊れちゃった」
可笑しそうに精霊が笑う。芯が冷えるのを感じた。
いくら人とは違う理で生きているとしても、まるで玩具の様に例える精霊に改めてずっと感じていた嫌悪は正しいものであったのだと確信する。
村に起きている動物の不審死の原因は聖女ソフィリアではあるのだろうが、こいつが何か手を加えたのではないか。
「そんなに怒らないで、あの子が望んだことじゃない」
「聖女ソフィリアが望んだ、だと?」
「だってあの子、もう限界だったんだもの。だから、ね? 壊れちゃったの」
壊れた。ではなく壊した、の間違いだろう。
「聖女ソフィリアはどこだ」
「まぁ怖い」
「答えろ」
「ふふ。知らないわ、その内会えるんじゃない? だってあの子、その娘が大嫌いだったもの」
ゆったりとした動作で腕を持ち上げた精霊の指さす先にいるのは、エリセだった。
何を馬鹿なことをと、切り捨てられれば良かった。エリセと聖女ソフィリアの関係について外からとやかく言う立場ではない。ないが。確かに聖女ソフィリアはエリセに対してどこか淡白ではあった。
そんなに長い付き合いではないので二人の間に言葉にはされない確執があったのかもしれない。だとしても、それを他でもないこの女に指摘される筋合いは彼女たちにもないだろう。
「飽きたわ」
「待て!」
「捨て置け。どうせもう碌に話を聞かんだろう」
追いかけそうになったのをヴァイオレットに一蹴される。精霊は初めから俺たちをからかって遊んでいたのだろうか。
大嫌いだから、壊れてしまった。あの子はもう限界だったのよ。精霊が自身は消えたのに、精霊の言葉が頭の中にこびりついて剥がれない。
「森の動物が死んでいるのも、アンデットが発生しているのも。ソフィリアが原因だ」
「望んだってそういうことを?」
「違う。でも結果的にこうなった」
淡々と語るヴァイオレットにエリセの顔が青ざめる。
森を、エリセを傷つけるために仕組んだわけではないのだろうが、聖女ソフィリアは今、世界の敵になりうる存在となっている。
まだ幼さの残る少女に教えて良い現実ではなかったのかもしれない。何を言おうと、村に置いて来た方が良かったのかもしれない。だが、きっとエリセはそれで納得はしないだろう。
「まぁとにかく。原因を排除すればアンデットが増殖することはないだろうよ」
「ならやることは変わらないな」
「待って、待ってよ。排除って何? お婆ちゃんを、どうする気?」
その問いかけは弱弱しく、困惑と諦めを孕んでいる。
エリセ自身も、正しく理解しているのだろう。聖女ソフィリアはもう戻れない、と。
不意に風が吹き、犬の様な何かが唸り声と共に一つ吠えた。何かがやってくる。黒い、泥の様な何かが。
ああ。これが瘴気か。
森に来る前にアレックス元帥から受けた説明を思い出す。動物の死骸が大量にある原因である瘴気は、生き物にとっての毒であり、大量に摂取すると死に至る澱んだ力。
その発生源は、聖女ソフィリアで。彼女が意図せず生んでしまったもの。理由はわからない。しかし、瘴気による被害は聖女ソフィリアが望んだ物ではないはずだ。
「お婆ちゃん?」
エリセの呼び声が虚しく響く。
彼女の声も、もう届かないらしい。
「これより、アンデットの殲滅と聖女ソフィリアの討伐を開始する」
アレックス元帥の言葉を皮切りに各々が剣を抜く。
瘴気は魔物が多い土地に発生すると言われていたが、どうやら逆だったらしい。瘴気が、魔物を生み出すのか。泥の中から生まれ出るアンデットを切り伏せる。切る以外なかった。魔物はもちろん、聖女ソフィリアも。
あまり気分のいい選択ではない。だが、聖女ソフィリアが人に害を成すもの生み出す以上、ここで切らなければ村の人に危害が及ぶ。
一体、二体とアンデットを切りながら横目で見たエリセは、強く服の裾を握り込んで事態の行く末を見つめていた。
「お婆ちゃん」
「────」
譫言の様に聖女ソフィリアが何かを呟いている。
精霊の泉に泥が落ち、黒く濁り始めた。その泉を囲うように立っていた木々が枯れ、葉を落としていく。まるで、水の中に墨を落としたように黒が広がった。
「私、お婆ちゃんが好き」
「────────」
「あなたが私を愛していなくても」
「大好き」
幼子が母に手を伸ばすようで、ただ痛々しい。聖女ソフィリアが見ていたものとエリセが望んでいたものは違うのだろう。だからエリセの思いは届かない。だから、精霊の言葉を、エリセに伝える気にはなれない。
魔物を切る。森中の動物をアンデットにしたのかというほどの魔物も、ようやく数が減って来た。
それを期に一度戦線を下がってエリセの元へと近付く。
「エリセ、下がりなさい」
「ここでいいです」
震えた声だ。事態を受け入れようとしているのか。それとも育ての親との別れを覚悟したのか。
最後までエリセはそこに踏み止まって、アレックス元帥が聖女ソフィリアを切り伏せるのを見ていた。
「終わりにしよう」
ヴァイオレットが軽い足取りで、アレックス元帥の肩を叩き労う。それから聖女ソフィリアの傍で膝を折って、何事かを呟いた。
根拠などどこにもないが、ヴァイオレットなら、聖女ソフィリアを正しく導いてくれるだろう。
顔を上げ、ヴァイオレットがこちらを向く。
「約束の地には行くな」
これは、エリセに向けた言葉だ。
彼女の、出自に関わるもの。それを思い出せばこそ、聖女ソフィリアはエリセのことが憎いだけではなかったのだと思い知らされる。
十四年間、エリセを守りながら聖女は何を想い過ごしていたのだろうか。本当に、そこには嫌悪の感情だけだったんだろうか。
「約束?」
「大丈夫。お前はちゃんと幸せになれるよ」
ヴァイオレットが笑った。
「なんたって誰よりも優しい男が幸せになってほしいと願った娘だからな」
「ヴァイオレットも、いなくなるの?」
何も答えず視線を落とす。随分と一方的な別れだ。突きつけるばかりで誰も労わろうとはしない。
いや。十分守ろうとしてきたのだろうが、結局エリセの気持ちを置き去りにしてきたのだろう。
「私が一緒に行くよ」
静かな声でヴァイオレットが言う。
随分と面倒見がいいのだな。ヴァイオレットは彼女と共に旅をしていた仲間なのだから、きっと今の聖女ソフィリアに対しても思うところがあったのだろう。
すでに一度死んでいるヴァイオレットの言葉に、エリセの双眸が揺れる。
ふとヴァイオレットが俺を見て笑った。
言葉はなかったが、つい数時間前頼まれたことを忘れるなと。エリセを村から連れ出せと。保護者のいなくなったエリセを頼むと言われたようだった。
面倒ごとは余り関わりたいと思わないが、それとこれとは別だ。エリセだけでなく、キリルのことも。さすがに年端のいかない子供を放り出すような真似はしたくない。
とにかく。まだ後始末はあれど、一連の事件の終わりを迎えた。これで、村や森の中で動物の死骸が散見されることはないだろう。そうとでも言わなければやってられない。一度は世界を救ったはずの聖女が事態の首謀者なんてとてもじゃないが公表できないだろうな。
諸々の片付けを終わらせて、重い足取りで村へ帰還する。
正直、精霊については何も解決していない。国としてもこの件をどう取り扱うか厄介だろうし、エリセとキリルの処遇も考えなければならないのだろう。
それでも今は村に戻って、泥の様に眠りたい。




