55.菫色
「やぁ、随分懐かしい顔までいるじゃないか」
そう言ったヴァイオレットはそこかしこに怪我をしていて。
体を庇うように木に体を預けて座り込んでいる姿は初めて見た。いつもは木の枝に寝そべって退屈そうに私を見下ろすばかりで、こんな風に私がヴァイオレットを見下ろすなんて考えたことなかったし、こんなことしたいとは思わなかった。
なんだかいつもより少しテンションが高いのは怪我や痛みを誤魔化しているからなのか、なんて馬鹿なことが頭の片隅に過った。
「アンタ、その怪我!」
「ん? ああ、さすがに数で来られると後手に回ってね。休憩中だよ」
へらりと笑う犬耳女に思わず声を上げる。
怪我をするほど強い魔物に会ったの。一人で魔物と戦っていたのか。なんでこんな時までへらへらしているのよ。痛いなら痛いって言えばいいのに。
傷薬、持ってくればよかった。ライナー様たちはもちろん、アレックス元帥たちも強いだろうし、いいかなって。結局大事にはならずに呆気なく終わるんだって思ってたの。
大騒ぎしたけど大したことありませんでしたって、お婆ちゃんが精霊様と話して何とかしてくれましたって終わると思っていたんだもの。
そうでなくても、ライナー様たちが悪い魔物を何とかしてくれて解決するって、誰かが怪我をするなんて思わなかった。誰も傷付かずに解決するって信じたかった。
でも、そんなに簡単じゃないらしい。なんでもない顔をしてるけど、ヴァイオレットは立ち上がってこちらに近寄って来ないくらいには、怪我が痛くて辛いんじゃないかと思う。そんな風になるなんて、思ってなかった。
頻繁に何か事件が起こるような村じゃない。確かに精霊様が住む森があるが、本当にそれだけでどこにでもある普通の村のはずだった。
最近が少し色々起こり過ぎているだけで、何もない村だと思っていたのに。
「何故ここに」
「頼まれたからね」
アレックス元帥にヴァイオレットが応える。
ようやく立ち上がりはしたものの、まだヴァイオレットは木に体重を預けたままで。
随分と気安く話をするヴァイオレットに本当に、アスターおじ様たちと旅をしていたヴァイオレットと同一人物なんだと実感した。
じゃあ本当に、ヴァイオレットは死んでるの? 目の前にいるのに、幽霊なの? キリルのお母様とは全然違う。別に死んでいてほしいわけじゃないし幽霊じゃない方が安心出来る。
でも幽霊だったからって何か変わるわけじゃないか。いつも急に現れて、いつの間にか消えていたし幽霊だったって言われたらそれはそれで納得がいく。
「本当にヴァイオレットなのか?」
「偽物だったらどうする?」
「ああ、いい。わかった。お前はそういう奴だよ」
疑うのとは違うけど、アスターおじ様が戸惑ったような声を上げた。それに対してヴァイオレットは軽口で返していて。よくからかわれたってって言っていたしこのやり取りもいつものことだったのかもしれない。
ヴァイオレットとアスターおじ様が親しげに話すのをなんとなく黙って見ていた。本当に仲よかったんだなぁ。
私も、誰かとこんな風になりたかった。軽口を叩いて、呆れたように笑いあって。誰かと特別な関係になりたかった。
「何があったか話せ」
「君は相変わらずだな」
少しぶっきらぼうなアレックス元帥に対してヴァイオレットが笑う。笑って、周りを見渡した。
ちょうどヴァイオレットを囲むように騎士様がいる。森は、いつもより何となく静かだ。キリルは動物の死骸があったって言っていたけど、今のところ視界には入って来なくて。でも何かしらが森の中で起こっていて。
「なんとなく予想はついているんだろ? 見たことあるもんな、こんな光景」
まるで、答えはもうわかっているだろう? って感じでヴァイオレットがアスターおじ様とアレックス元帥を見ている。
同じ様なことが前にもあったんだろうか。私の知らないそれは、きっとかつてお婆ちゃんたちが一緒に旅をしていた時にあった出来事だ。じゃあ、前にもあったならどうしたらいいかわかっているの? それがわかっているからお婆ちゃんは一人で森に入ったの?
「そうか」
ただ一言、難しい顔でアレックス元帥が呟いた。
知っていて、わかっていて止めるために森の中に来たはずなのに、なんでそんな顔をしているんだろう。
やることがわかっているのなら少しぐらい気が楽になるものじゃないのかな。何か他に心配事があるの?
「頼んだはずなんだがなぁ」
「すまない」
聞こえた声に視線を向ければヴァイオレットがライナー様を見て困ったように眉を下げていた。
なんとなく疎外感。皆私の知らないところで繋がっていて、周りにはわからない様な言い回しでも伝わっている。そんなことを考えていたら不意に足元に生ぬるい何かがすり寄って来た。
「え、何なに?」
慌ててたたらを踏めば足元には何にかよくわからない黒い物がいる。
「おや、お帰り」
ヴァイオレットが気の抜けた声をかけたそれは犬の様な何か。え、何これ?
犬みたいな姿をしてるけど目はないし口は耳まで裂けてるし、でも尻尾はめちゃくちゃ振ってる。犬、だよね?
「本当に犬の仲間だったの?」
「そうなっちゃったねぇ」
「笑えないな」
思わず顔を上げて犬耳女に言えば、これまたよくわからない返しをされてアレックス元帥に呆れられていた。本人はそれすらも気にしていないのか近寄って来て暫定犬の頭を撫でている。
あんまりにもふらふらとしていたから思わず腕を取って肩を貸す。ヴァイオレットは悪い奴じゃないと思いたい。
この犬も。魔物、なのかな。でもヴァイオレットの傍で大人しくしっぽ? 振っているだけだし。
死んだはずの人間に、犬の魔物ってなんだかなぁ。
死んでいてほしいわけではなかったけど、魔物であってほしいわけじゃなかった。
ヴァイオレットは魔王を倒す時に一度死んでいて。なのになんでかわかんないけど、ずっとこの森にいて。私にとってはよくわからない犬耳の生えた奴ってだけで良かったのに。
「迷っているなら帰ってもいい」
ヴァイオレットは、私を見ずに犬みたいなのの頭を撫でながらそう言った。
別に迷ってなんてない。
何をしていたか、何をするべきか。そういうのは確かにわからないけど、でも。知りたいって思ってる。今度は怖気付いたりしない。
「知りたいって言えば教えてくれる?」
「覚悟があるのなら」
そう言えば、ヴァイオレットが困ったように笑った。
私に答えたくないと思っているわけじゃないと思いたい。だったら最初から隠そうとするはずだし。そうしなかったってことは、いつかは話してくれるつもりだったんでしょ?
まぁ。きっとその時は、今じゃなかったんだろうけど。
「本当は知らないままいてくれた方が、都合がいいんだよ。我々にとっても、君にとってもね」
都合がいい、とは。知らないでいてほしいというのは、ヴァイオレットと、もう一人の誰かが私に願っていたことらしい。私はそれが誰なのか知らないし、なんで知らないままの方が都合がいいのかはわからない。
でも全部自分で決めたいと思ってしまった。いいことも悪いことも、何を信じるかも。誰かに言われるままじゃなくて、自分で知って、その上で決めていいのだと教えて貰った。
じっとヴァイオレットを見上げると、ため息と共に撫でられた。
「行くか」
アレックス元帥が短くいって歩き出す。ヴァイオレットに肩を貸しているから先頭にいるわけじゃないけど、この位置でだって案内は出来る。
精霊様の泉も然程遠くはない。そこになにがあるのかはわからない。
わからないけど、その先どうするかはその先で決めればいい。




