45.菫と追憶
ヴァイオレット視点
最後に見たのは共に旅をした彼らの歪んだ表情だった。
可能なら笑っていてほしかったんだが、こんな結末、彼らは想像していなかったんだろうな。
私だって好きでやったわけじゃない。
あれが最善だったとは思っているが、何も目の前で自死しなくてもよかったなと思っている。申し訳なかったとも、思う。
でも私が死ななきゃ、魔王が復活するのなら、死ぬしかないじゃないか。
私は十分楽しかった。
窮屈だった貴族令嬢としての暮らしを抜け出して、色んな物を見て、触れて、世界はこんなにも目まぐるしいのだと知った。
楽しいことに溢れていて、でもそれだけじゃなくて。嬉しいのも、苦しいのもたくさんあるこの世界で私は生きたのだ。
この決断に後悔はない。
確かに皆とこれからも笑って暮らせるのならそれが一番だけど、そうじゃないのなら、私に色んな世界を見せてくれた彼らが生きていける世界を守って死ねるなんて素敵なことじゃないか!
だから笑って私は逝くんだ。
きっとそれが、多くの人が幸せになれる方法なんだ。
「幸せになりなよ」
これで良かったはずなのに、彼らの歪んだ表情が忘れられない。
苦しそうな、悲痛そうな、そんな表情が。
死んだ後、しばらくの記憶はない。気が付いたらこの体になっていて、自分が人ではないものになっているのに気が付いた。
ああ、弱ったな。
あんなに雰囲気を出して退場したのに、結局中途半端に生き残ってしまった。いや、正確には生きているのかも怪しいが。
一度倒したはずの魔王の復活、という最悪の事態は避けられたようだが、今度は私が魔王の性質を引き継いでしまった。
とはいえ中身は私のままなので世界をどうこうしたいなんて欲求もなく。いつの間にか私に付き従うようになった魔王の眷属たちと共に無為に時間を過ごす毎日だ。
この身になってしばらくは当てもなくふらふらとしていた。
時間の感覚もなく、どれほど月日が経ったかもわからず、ただ不可視の存在として時折顔を出す犬のような何かたちに遭遇した魔物を食わせながら漂う。
生きていた時とはまた違う、世界のあれやこれやを見た。魔王や魔物の脅威から解放され人々に笑顔が戻った。それに伴い人間同士のいざこざも増えた。
いいことも悪いことも同じだけ世界に広がっている。別に絶望とかするつもりはないけど、これが私や彼らが守りたかった世界なのかとは思った。結局魔王や魔物がいても、人は変わらないものなのだとも。
そんな時、闇夜に煌々と輝く炎を見た。
赤く燃え盛る炎は一つの村を焼き尽くしている。近付いて見れば血と肉の焼ける匂いがする。
その村に立ち寄ったのはただの気まぐれだった。
その村でまだ微かに息のある男に再会したのは偶然だった。
随分と窶れていながらも、どこか懐かしい面影を持つ男からすれば奇跡だったのかもしれない。
「……ヴァイオレット?」
その声は少し掠れて、覇気がない。年も取って、見た目も随分変わっていた。
けど間違いなく、彼はギルバートだった。
「そうだよ」
「なんだ、迎えに来てくれたのか」
嬉しそうに笑うギルバートの瞳には炎と、一度死んだ時から姿の変わらない私が映っていて。そういうお迎えだと思われても仕方がないかと、他人事の様に考える。
確かにあの時私はギルバートの目の前で一度死んで、今の彼は今にもその命を手放そうとしている。
「全部俺がやったんだ」
周りに広がる惨劇の後で、懺悔の様にギルバートが溢した。
私はソフィリアの様な聖職者じゃないんだが、彼の胸の内を聞き届けるくらいはできるだろう。旅の間もずっとそうだった。ふとした拍子に年相応の弱さを見せる姿に、家に残して来た弟の姿を思い出したものだ。
幼馴染のローザでも、聖女のソフィリアでもなく私だったのは、案外彼も年上に甘えたかったのかもしれない。
「どうしてこうなったんだろうな」
あるいは。貴族社会から逃げ出した私と同じように、自分に課せられた役目から逃げ出したかったのかも、なんて。
ぽつり、ぽつりと。か弱く、けれど止め処なくギルバートは言葉を紡ぐ。
「俺がしてきたことって何だったんだろう」
炎が村を、村にいた何者たちかを焼いていく。
もうすぐギルもこの炎に呑まれるのだろう。
「勇者になんてなりたくなかった。何にも知らずに、村の中で平和に暮らしていたかった」
「うん」
「でも選ばれたなら頑張らなきゃって。魔王を封印したら、元の暮らしに戻れるんだって思ってた」
「そうだね」
燃える村に最後の生存者。もう少しで事切れるだろうその命に、何ともやりきれない思いになる。
幸せになれと、願ったはずだったんだがなぁ。
「魔王は倒せた。でもお前が死んだ。魔王を復活させないために。死んで、ようやく世界が平和になった」
「ギルバート……」
「俺が望んでた平和って、誰かの犠牲の上でなるものじゃなかったんだよ」
多分、本気でそう思っていたんだろう。元は純朴な田舎の村の青年だった。
それがいきなり勇者だ何だと祭り上げられて、必死な思いで戦って、苦しんで。魔王を倒してやっと終わると思ったら私に目の前で死なれて。
自分が選んでやったこととは言え、なんと言葉をかけていいのかわからない。
「なぁ、ヴァイオレット。俺はお前に生きていて欲しかったよ」
ギルバートの手が私の頬に触れる。
何かを確かめる様に伸ばされた手はあの頃と変わらない優しさが残っていて。泣きそうな顔をするギルバートを見下ろせば、彼は悔しそうな声で吐き出した。
「なんだよ、幸せになれって」
仕方ないだろう。
だって、そうなって欲しかったんだよ。
「なれるわけがないだろ、お前がいないのに」
今更後悔は無いはずなんだ。私はギルバートたちに幸せになって欲しかった。その上であれが一番多くの人が幸せになれるって今も信じている。
泣かないでほしい。こんな身勝手な私に涙を流す価値はないのだから。
「大事な仲間が死んで、その上で平気な顔して生きていられるほど俺は強くないんだよ」
私は、私が死んだ後の時間、ギルバートが何を見て何を考えて生きてきたのかを知らない。でも、この言葉が全てなんだろうと思う。
ギルバートは優しいから、きっと自分を責めていたんだろう。そんな必要ないのに。
「なぁ、頼むよ」
もうあまり焦点の合っていない目で、彼が私を見上げる。
「俺が保護した子を見守ってやってくれないか?」
最後まで誰かを気遣う様なことを言うギルバートに小さく頷いた。
本当にどうしようもないな、君は。もっと自分の幸せを優先すればいいのに。他の誰かじゃなくて自分が助かる方法を……、いや。ないか。
ギルバートはそんなこと考えない。
「ソフィリアに預けてる。あいつならきっと正しく導いてくれるだろうから」
随分と疲れていたはずなのに、それでも世界が、人間が好きな男だった。
人を愛していた、信じていたかった、そういう人だからこそ、幸せになってほしかった。
「お前と同じ道を辿らせたくないんだ」
もし俺のことを後悔してくれるなら、頼まれてほしい。なんて言って彼は力なく笑った。
馬鹿だなぁ。そんなに念を押さなくても、君の最後のお願いなんだ。叶えるよ。
だから安心して眠ってほしい。
「ごめんな」
ゆっくりとギルバートが目を閉じる。
周りに揺らめく炎が彼の頬を照らす。とうとう、私の頬に触れていた手が力なく落ちて行った。
「好きだったよ、ヴァイオレット」
置いていったのか、置いて行かれたのかもうわからないな。
完全に息を引き取ったギルバートを置いて炎の中を抜ける。ソフィリアか。今はどこにいるんだろうな。元気に暮らしてくれているといいんだが。
話したいことはある。聞きたいことも。ギルバートが預けたという子供とは何なのか。私と同じ道、なんてきっと碌なものじゃない。その子がどんな存在であれ、一度会って話をするべきだ。
全く。酷い奴だよ。私がこれでいいと選んだ方法を、私自身に否定してくれと願うんだから。
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ここにはいない娘の出自を話し終えて、ゆっくりと息を吐き出す。
目の前には一人の青年。黒き森に加護を押し付けられた以外は特筆すべきことのない普通の人間だ。
ただ、ギルバートが残したあの子を。エリセを守るべき対象としてくれている。彼ならきっとエリセを普通の子として守ってくれるだろう。ギルバートもこんな心持ちだったのかもしれない。
風が吹く。
いつかと同じ、物が燃える焦げた匂いが少しだけ鼻に付いた。




