44.騎士と菫
ライナー視点
火の粉が残らない様に念入りに水をかける。
燃え残りにだけではなく周辺にも撒いていき、水瓶の中身がすっかり空になる頃には妙に張り詰めた空気はすっかり溶けて皆肩の荷が下りたような表情になっていた。
別に何か問題が解決したわけではなく、問題が大きくなりそうなものを排除できただけだ。それでも彼らにとっては、村の外で動物たちの死骸を燃やすこの行為に何らかの救いや希望といったものが込められていたのかもしれない。
沈黙を保っていた人々も少しずつ口を開きはじめ、今では各々に世間話をしながら最後の消火作業に入っている。風もなかったし火の粉もどこかに飛んではいないだろう。
重たい雲の覆う空に立ち昇っていた煙はもうない。辺りに立ち込めていた動物を焼く匂いもやがて風に乗って薄れゆくはずだ。
牧場主曰く、残った骨は砕いた後、何回かに分けて埋めることにしたらしい。
もっと他の、例えば老衰だったり食用加工のために出た骨であれば畑に撒いたのだろうが、さすがに村の周りで死んでいた原因不明の鳥や小動物の死骸だからな。少量ずつ様子を見て処分するのが賢明だろう。
燃やされたのは大きめの麻袋五つ。その中に大小さまざまな種類の虫に鳥に、小動物の死骸が詰まっていたらしい。さすがにその数は何かしらの伝染病を疑うべきだな。村の動物に感染していないといいが。
「帰るぞ」
誰かが声を上げたのに習い、俺たちも村へ向かう。草を食んでいた馬を引き歩き出せば、いそいそとキリルが俺の隣に並んだ。
村からはさほど離れていない丘は背の低い草が生え揃い、この道が殆ど使われていないことがよくわかる。本当に人の出入りが少ない村なんだな。
「少し遅くなったが、元気だったか?」
「ん? あー、うん。元気だよ」
そわそわと、どこか落ち着かない様子のキリルの頭を撫でてやる。
随分と歯切れが悪いが、何か話があるのかもしれないな。少なくともここでは話せない何か。それも俺に対して、ということは精霊や聖女に関する話かもしれない。
教会に付いたらどこかに連れ出して聞いてみるか。
「あ」
少し歩いたところでキリルが声を上げた。
彼の視線の先に黒い女がいる。
精霊ではない、しかし人間でもない女。
王の娘と精霊に呼ばれた、魔王討伐隊の唯一の犠牲者。ヴァイオレット・キスリングと思わしき女。
「先に行っていてくれ」
部下に馬を託し、村に帰る人の列を抜ける。自分もと付いて来ようとするキリルを列に戻せば、こちらを視認した女が笑った様な気がした。
不思議と村人たちは女の存在に気が付いていない。あの女が魔術的な何かを行っているのか。敵意はないように見えるとはいえ、あの影から這い出てくる念のため警戒しつつ近寄る。
ブーツの靴底で短い草を踏み付け、女と一定の距離を置いて立ち止まった。
「やぁ」
「お前は、ヴァイオレット・キスリングなのか」
「おや、よく知っているね」
この前声をかけてきた時と同じ様な調子で答えた女に何とも言えない気分になる。
アレックス元帥は、ヴァイオレットを「魔王の呪いを受け、自らの意志で命を絶った女」だと言っていた。
勇者が率いた魔王討伐隊の唯一の犠牲者であり、貴族令嬢でありながら勇敢にも魔王討伐の為に勇者の旅に志願したその人は、後の彼らの関係に大きな傷を残したらしい。
王都を出るまでに調べたヴァイオレットという女性については、勇敢で高潔な女性であったと伝えられていたのだが、随分と飾らない性格だな。
魔王に産み直されたのが影響したのか、それとも脚色の入った伝えられ方をしたか?
「……それで? なんの用だ」
ため息を吐きつつも務めて冷静に、横目で皆が村に入って行ったのを確認してから口を開く。
自らがすでに一度死んだはずの人間であること認めた王の娘、改めヴァイオレットはしばらくの間村を見た後、微かな笑みを浮かべた。
「少し頼みごとをしに来た」
敵意は感じられない。感情の機微に聡い方ではないが、それでもこちらに危害を加えようという動きは見受けられない。むしろどこか慈愛に満ちた、優しさすら感じられる。
その脈絡のなさに思わず身構える。俺たちはいつの間に頼みごとをされるような関係になったんだか。
対するヴァイオレットは、俺の反応を前にしてもそのままの調子で。むしろこちらの反応を楽しんでいる節すらある。
「まぁそう構えないでくれ。大したことでは……あるかもしれんが、そう無茶な話ではないよ」
無茶な話ではないと言い張るものの、すでにこの時点で怪しさしか感じないのだが。
そもそもこの女性が俺に何を望むのか。敵意もなければ害意もない。頼みごとがあると言うが、女の言う頼みごとに皆目見当がつかない。
「エリセを村から連れ出してほしい」
訝しむ俺にヴァイオレットが放った言葉は、あまりにも簡潔で一瞬理解が遅れた。
言葉の意味はわかる。だが彼女の頼みごととやらに肩透かしを食らったというのが正しい。いや、十分突拍子の無い話ではあるんだが、精霊だのなんだのに踏み込み過ぎて、もっと理解出来ない要求をされるかと思ったっていた。
何もエリセの名前が出てくるのは別におかしなことではない。エリセもまた、俺と同じく精霊の加護を与えられた人間だ。精霊と関わりのあるヴァイオレットがエリセを認識していてもおかしくはない。
だが何故あの子を村かは離したいのか、疑問は残る。
「私がやってもいいんだが、他に気がかりなことがあってね」
ヴァイオレットはそう言いつつ、村から視線を外して俺を見た。
気がかりとは何だろうか。エリセを連れ出すだけであればそれこそ俺である必要はない。元々王都に気のある子だ。うまく誘導すれば自分から村を出て行きたがるだろう。
ただ、世話焼きな性分のため、聖女ソフィリアやキリルを村に残していくことを気にする可能性はあるな。
「あの子に何があるんだ」
一瞬、ヴァイオレットの肩が揺れた気がした。沈黙の時間は長いように感じるが、実際瞬きする程度の時間しか経っていない。
風が吹き抜ける。微かに湿気をはらんだ風が背の低い野草を揺らした。視界の端では空を覆っていた雲の流れが少しずつ速くなってるようだ。日暮れまではまだ時間があるが、近いうちに雨が降り出すかもしれないなんて他人事のように考えた。
「エリセは普通の子だ」
「そうだよ、そうであるべきだ」
まるで後悔しているようなヴァイオレットの言い回しに眉を顰める。
あの子に一体何があるっていうんだ。エリセはどこにでもいる、少し世話焼きな年頃の少女だ。幼子の頃にあの村の教会預けられ聖女ソフィリアに育てられたが、それだけだ。
何がきっかけかはわからないが、精霊の加護がかかっているが、ヴァイオレットの言う通り、エリセは普通の子であるべきなんだ。
「あの子に同じ轍は踏ませない」
ヴァイオレットが視線を俺へ固定したままはっきりと口にした。
「そのためにも、少しだけ付き合ってもらえるかな?」
柔らかい口調の中に有無を言わせない何かを感じる。
エリセを危険を伴う何かから引き離すことに不満はない。ヴァイオレットが俺を指名した理由が気になるが、それは後で聞けばいいだろう。
今重要なのはこのままの状態が続けばエリセが何かしらに巻き込まれるということで、俺にとってもそれは本位ではない。エリセやキリルの安全を確保するためにも、一先ずはこの女の話に乗った方がよさそうだ。
無言で頷けば、ヴァイオレットは少しだけ表情を緩めた。
その笑みは、どこか自嘲気味なものだったと思う。




