41.暗雲
毎日それなりに楽しく、忙しくしている。
教会のお勤めとか村の皆のお手伝いとかをちょっとずつ。しばらく雨が続いたしあんまりたくさんは出来なかったけど、アスターおじ様にお願いして商品の整理とかをお手伝いさせてもらえることになった。
引き出しの奥にしまった小瓶にはまだそんなに旅の資金はたまってない。いったいどれくらい溜まれば王都に行けるかしら。
小さい時に地形の勉強に使っていた地図を見る。王都までにいくつか町があって、そこで食料を買い足しながら向かうつもりなんだけど、やっぱり瓶いっぱいまでは頑張って貯めた方がいい?
後この地図ってお婆ちゃんが村に来る時に持ってきたものだからすごく古いんだよね。
魔王が倒されて以降はずっと平和だし地図に載ってた村がなくなってるなんていうのはないと思うけど、やっぱり食料も旅費も余裕があるに越したことはないよね。
部屋の掃除のついでに広げた地図を畳んで小瓶と同じ引き出しの中に仕舞う。
ほうきを壁に立てかけたまま開け放った窓からベッドシーツを放り出してバサバサと埃を落とせば、どんよりとした空にシーツの白が舞った。
窓の外には見慣れた景色が広がっていて、変わり映えが無い。まぁ、雨が続いたし曇り空でもありがたいよね。
掃除道具を片付けたら野菜を分けてもらいに行こう。大分減ってるし、何より雨でしばらく外に出れなかった。
後小麦もなくなりかけてたんだっけ? 届けてもらえるように声をかけておこうかな。
壁にかけたほうきと床に置きっぱなしだったちりとりを拾い上げてさっさと片付けてしまう。
ついでキッチンテーブルでキリルの勉強を見てくれているアスターおじ様に声をかけたら、カゴを片手に外へ出た。教会の外はなんだかぼやけたような曇り空で、雨こそ降っていないものの風が冷たくて肌寒い。何か羽織ってくればよかったな。
坂道を少し降りた所で村長さんの家の方から出てきたお婆ちゃんに会った。
「野菜貰ってくるね」
「ああ、頼んだよ」
カゴを見せつつお出かけの旨を告げ、牧場沿いの道を下る。塀の中では羊たちがのんびり草を食んでいた。
長閑というのはこういう風景のことを言うらしい。見慣れ過ぎていて今一わからないや。
村は一見して平和そうに見える。でも案外そうじゃない気がする。
道端に視線を落とせば、野鼠が草陰に横たわっていた。最近よくこういうのを村の中で見かける。一昨日教会裏で見たカラスよりは小さいけど、あんまりいい気分じゃない。
虫の次は鳥、鳥の次は鼠か。なんだかちょっとずつ大きな生き物なって行ってるみたいで嫌だなぁ。
村の皆は何か動物にだけかかる病気が流行ってるんじゃないかって不安がってるし、何ならお婆ちゃんが村長さんに会いに行ったのだってきっとそのことだと思う。
アスターおじ様は近くの町では動物の病気の話は聞いてないって言ってた。何もなければいいなぁ。
「やぁ」
不意にかけられた声に足を止める。よく知ってるけど、よく知らない奴の声だった。
今来た道の方を振り返れば、ヴァイオレットが牧場の柵にもたれかかっている。
いつの間にとか、そういうのは考えるだけ無駄。いつだってこの犬耳女は急に現れて、一瞬目を離した隙にいなくなってるんだから。一々気にしていられない。
まぁ確かに、最近あんまりヴァイオレットと話してなかった気がする。雨も続いたし、何より私が森に入らなかったのもある。
ヤギ頭の魔物が出てからしばらくたったし、お婆ちゃんも何も言ってない。多分もう平気? なんだと思う。でも私が村を出るための資金集めで忙しくしてて、森にあまり入らなくなってしまった。
「ああ、野鼠だね」
「最近よく鳥とか小さい動物が村の周辺で死んでるのよ」
「それはまた」
すぐそばの草陰を覗き込みながらもヴァイオレットは大して興味無さそうに言う。何か知らないかと思って聞いてみたけどこの反応。相変わらず今起こっていることへの興味関心が薄いなぁ。
牧場の柵に体を預けたままの犬耳女にため息を吐く。
村の中よりも森の方が動物多いし何か知ってそうなものだけど。森の中で隠居みたいな生活してるとやっぱり外への興味って薄れていくものなのかしら?
「森の中はそんなことないの?」
「どうだろうね、死んだ動物なんて森の中ではよくあることだしあまり意識してないな」
のんびりとした口調でヴァイオレットが空を仰いだ。口元は曖昧に笑っている。
またその顔だ。何かを知ってるのに、何も言わない。言葉をのみ込んだみたいな静かな笑い方。その顔を見ると、知らなくていいって、聞く必要ないって思ってたはずなのに聞きたくなってしまう。
ヴァイオレットは普段人目を避ける様に森の中で暮らしている。別に森に住んでいるのを秘密にしてほしいなんて言われてない。でも隠れ住んでいるんだと言われたから、そういうものなのかと思って言っていないだけ。
隠れ住んでいる理由を言わないなら、わざわざ聞かなくていいって思ってた。何もかもを知らなくてもそれなりの関係は築けるって思ってた。
前にヴァイオレットが言っていた「もし自分が何かとんでもないことを隠していたら」の話も気にならないし、気にしていないつもりだったのに。
「本当に、何も知らない?」
言ってから、少し後悔した。
何か変わってしまうんじゃないかって。村を出て、色んな世界を知って、変わっていきたいと願っているはずなのに。このたった一言で何か大きなものが変わってしまう気がして、途端に怖くなった。
多分、自分の中で完結していたんだと思う。今までの私は知らないことを知りたいと言いながら夢想するだけだった。
知った後、変わった後にどうなってしまうのか一つも考えてこなかった。
「知りたい?」
「……わからない」
真っ直ぐにこちらを見るヴァイオレットに呻くように答える。
わからない。本当に知りたいのか。知ってどうなるのか。知りたくないって言ったら嘘になる。でも、知った後、どうにかなってしまうかもしれないのが怖い。の、かもしれない。
私にとってヴァイオレットはいつの間にか傍にいて、適当にからかっていつの間にかいなくなっているだけの犬耳の生えた女だ。……、改めて考えると不審者極まりないわね。
そんな風に思考が反れかけた私を見てヴァイオレットがまた笑った。
「でも君は、知らない方が幸せなこともあるって本当はわかってるんだろう?」
「え……」
「ずっと気付かないふりをして、何も知らないままでいようとしてきた」
全部を見通しているような眼差しが私を見つめる。
笑ってるけど寂しそうな、知っているけど知らない顔をしていた。
「それはあの子の願いであり、君のいわば防衛本能だ」
「何言ってるの?」
「だからそのまま、何も知らないまま幸せにおなり」
何を言ってるのかわからない。頭の中でぐるぐると言葉が回る。ヴァイオレットの言葉に何か口にするべきな気はするけど、結局どれも言葉として口から出なかった。
知らないままなら、私は幸せでいられるの? 私は何を知らないでいるべきなの? それは一体誰の願いで、防衛本能って何なの?
ただ呆然とする私を見てヴァイオレットは目を伏せ、また笑った。
「村を出て、王都へお行き。そこで幸せに暮らすんだ」
穏やかな声でそう言って、犬耳がふわりと風もないのに揺れる。
ヴァイオレットが森の方へ歩き出したのと同時に、強い風が吹いた。咄嗟に目をつぶって、もう一度開くとそこにはもうヴァイオレットはいなかった。
視界を遮るような物もないのに、周囲にはもう誰もいない。曇天と重苦しい湿気を含んだ空気が漂っているばかりだ。
村を出て王都へ。
それは私自身が願っていることなのに、なんだか妙に落ち着かない。
知らない。わからない。私は何を知らない?




