34.雲間は切れて
洗濯物を取り込んでキカと別れた。
手伝ってくれようとしたけど、なんとなく体を動かしたくて断ってしまった。動いていた方が気持ちもすっきりするし、それに変な方に考えが転がらないような気もして。
畳んで運んで仕舞って。早々に洗濯物を片付け終わってさぁ何をしよう。
アスターおじ様は出かけて行ったし、キリルは部屋に籠ってるみたいだし、ライナー様たちは休ませてあげたいし。でもなんだか落ち着かなくて何かしていたい気分。
こういう時は……掃除かな。
キッチンの水瓶からバケツに水を移動させて掃除用具と一緒に教会の講堂に行く。
これで水瓶の中身が大幅に減った。どうせ今日は元々汲み直さなきゃいけなかったし気にしない。
確かに井戸の水を汲むのを大変だけど、今はそれ以上に私の中にある何かが昂っていて全然気にならない。
はーい。今日は他所と比べると大したことないだろうけど、一人で掃除するにはちょっと手に余る教会の講堂部分を掃除していきたいと思いまーす。
普段なら何日かに分けてやる作業を、手順も段取りも考えずに目に付いた物を片っ端から水拭きしていく。本当は上の方の埃を落としたり装飾品を磨いたりした後で水拭きするべきなんだろうけど、今はそんなの無視だ。とにかく体を動かしてたい。
こんな時でないとしゃがみっぱなしの腰に来る作業を本気でやらないんだから、今は何も言わないでほしい。
息切れして中途半端になったらその時はまた後日に持ち越しだ。何なら教会のお掃除をするのは私なんだから全部私のやり方でやらせてほしい。まぁ最近はキリルも少し手伝ってくれるし助かってはいるけど、やっぱりメインは私なので私のやり方を押し通してやります。
「あー、冷た」
使い古しの雑巾を絞る。床の水拭き面倒だなぁ。水は冷たいし屈み続けるのもしんどい。
でも動いてた方が色々思いつきそうな気がして、そのままごしごし黒ずんだ木目を雑巾で拭う。
キカが、何を選んでいいと言ってくれた。誰かに反対されてもいいと、自分は応援すると。
よく考えなくとも、今までずっと私は思うだけ、願うだけで。いつか村に来た王子様が私の手を引いて素敵な世界に連れて行ってくれるのだと思っていた。
でも、どうやらそうじゃなくてもいいらしい。
王子様や素敵な世界を待っていてもいい。私の方から迎えに行ってもいいみたい。
もちろんそのためには色々と大変なこともあるんだろうけど、上手くやったってそうじゃなくたっていいんだって、キカが言ってくれた。
それを聞いた時、急に目の前が晴れたみたいに感じたの。
なんだか最近は考えても答えの出ないことばかりで、そういうものだと思ってはいてもずっと心のどこかでもやもやしていた。
どんよりした雲の間から日の光が差し込む天使の梯子みたいにキカの言葉が降って来て、なんだかよくわからないまま全部自分で何とか出来るんじゃないかって気になってしまったの。
力任せにごしごしと講堂の床を磨く。時折洗い直せば、どんどんバケツの中の水が真っ黒になっていって。
ずっとぐるぐる考えていたあれやこれやが、バケツの水に溶け出しているみたい。つっかえ、って程のものじゃないけど胸の内がすっきりしていく感じがする。
いつもの私ならこの辺りで、毎日掃除しても湧いてくる虫を何とかしてほしい、とか。可能なら毎日の掃除もやりたくない、とか。森と虫は仕方がないとして、教会のそこかしこが傷んでいるのは総本山から改修費とか出ないのかしら、とかとかとか。そんなことを考えていたと思う。
嘘。いつの間にか部屋の隅にクモが巣を作ってたりするし嫌なのは変わらない。
でも、なんとなくそれだけじゃない。何にも変わってないはずなのにね。
「何やってるんだい」
不意にお婆ちゃんの声がした。
いつの間にか目の前に立っていて少しびっくりする。そんなに掃除に集中してたっけ? まぁいいや。
「手が空いたからお掃除」
徳を積んでる、と冗談でも言っておけばよかったかな。大して神様からご褒美をもらったこともないのでそこまで真剣な話じゃない。私って実は神様や精霊様を本気で信じてはなかったのかも。
はっきりとした自覚はなかったんだけど、つい心の中で色々言っちゃってたのはそういうことだったのかもね。口に出さなかったのは偉いわ。
べちゃりとバケツの縁に雑巾をかけて伸びをする。視界の端でお婆ちゃんが長椅子に腰かけるのが見えた。
「お婆ちゃんは二十の時にこの村に来たんだったよね」
そう言えば思い出した疑問をぶつけるべくお婆ちゃんに確認する。
色々あったっていうのは知ってる。お婆ちゃん自身はあんまり話してくれないけど、アスターおじ様に大変だったって言っていた。
「なんだい、いきなり」
「村の外に行きたいとかはなかったのかなって」
「さぁどうだろうね」
話したくないのか、話せないのか。いつものことだし気にしない。別に無理に聞きたいわけでもないし、私が何を信じて何をやるのかの指標の一つにしたかっただけ。
ちらっと視線を向けるとどこか遠くを見るような顔でこっちを見ていた。
キカから聞いたお婆ちゃんと勇者様の話を思い出す。お婆ちゃんは何を信じて、何をやりたかったのかな。私の知らない旅の終わりに、何か答えは見つけられたのかな。
「お国の勅命、まぁ仕事で来ただけだよ」
「ふーん」
なんでもないように言うお婆ちゃんが何を考えているのかはわからない。わからないからちゃんと伝えておこうと思った。
「ねぇお婆ちゃん、私ね」
なんとなくお婆ちゃんにはこの話をちゃんとしたことはなかったかもしれない。
だって、それは今まで育ててくれたお婆ちゃんに対して不義理な気がして。
「村の外に出たい」
村の皆と同じように馬鹿なこと言っていると、夢を見過ぎだと笑うかな。それとも、叱りつける?
私は、村を出て違う景色を見たい。色んなことを経験して、素敵な出会いをして、幸せにだってなってみたい。
私は不思議な力っていうのには縁がないみたいだけど、人の縁には恵まれたんだと思う。お婆ちゃんやアスターおじ様もそうだしライナー様とキカもそう。色んな人がいて、色んな事を教えて貰った。
顔を上げれば、長椅子の上に何とも言えない表情をしたお婆ちゃんがいた。そしてただ一言。
「そうかい」
と、だけ言った。
それ以外何も言わない、言ってくれない。
でも、いいかなって。お婆ちゃんにはお婆ちゃんの信じる物とやりたいことがある。私にだってそう。やりたいこととか、なりたいものがあって、そのためには。
ガチャリと音がして扉が開いた。入口の方じゃなくて、居住スペースの方の扉。
何かあったのかと首を伸ばして覗き込めばそこにはキリルがいた。
「どうかしたの?」
「ん、いや……なんでもない」
自分で扉を開いたのに何故かどこか決まり悪そう。何かを言いかけてやめたキリルに首を傾げる。変なの。
……もしかしてさっきの話し聞いてた? キリルに文字を教えている途中だから、今すぐにってわけじゃないよ。
というか何にも準備してないので急に出て行けと言われてもちょっと困っちゃう。
「掃除してたの?」
「うん。徳積んでた」
「何それ」
呆れたように笑ったキリルにちょっと安心する。どうせなら一緒にどう? なんて聞いたら嫌そうに笑って「絶対ヤダ」と返された。
お掃除嫌いさんめ。
「なんか言おうと思ったけどもういいや」
「何それー?」
もういいやって言うキリルは呆れたみたいに笑ってた。午後の日が柔らかく差し込んで、なんだかまったりとした時間が流れてる。
村を出たいって言ったけど、こういう空気は嫌いじゃない。だから今は、この空気の中でゆっくり考えていこう。
私のやりたいことも、信じたいものも。




