32.騎士と精霊
ライナー視点
「マジで行くんですか」
装備の確認をして居住まいを正せば、若干ひきつった顔の部下が言った。
「残ってもいいぞ」
「いやいやいや」
からかうような口調で返せば、隊の最年少であるオネストが諦めたように肩を落とした。
残念だったな、ことを強行する上司で運が悪かったと思ってくれ。俺はそうしてきた。それを強要する辺り俺が苦手としてきた上司と同じことをしている自覚はある。
さて、全員の準備が終わったところで目的地へと踏み出す。
教会の裏手。村の住人に精霊の森と呼ばれ敬われているそこは、相も変わらず同じような景色ばかりが続いていて方向感覚が簡単に失われてしまう。
この森に入るのは三度目なのでその辺りの対策も取ってはいるが。
目印の代わりにロープを木に結びながら進んでいく。原始的かつ物理的な方法ではあるが、このロープが着られさえしなければ森を出られる。
妙な力が働いているのだとしたらこの原始的かつ物理的な方法は効果的であると思ったんだがな。今回はその逆に仇になったらしい。
がさりと背後から音がして警戒すれば、何とも居心地も悪そうな顔をしたキリルが茂みから顔を出す。
十中八九、目印を辿ってきたのだろう。聖女がエリセに森に入らない様にいいつけたと言っていたから油断していたが、そうか。この子は付いてきてしまう子だったか。
「どうしてついて来たんだ?」
「森に入っていくのが見えて」
「聖女に森に入らない様に言いつけられなかったか?」
「精霊に、会いに行くんでしょう? 精霊が、本当に良いものなのか気になって」
このぐらいの子供は好奇心というか、正義感というか、そういうものの塊で。自分がこれくらいの時はどうだったかな。
案外自分もそういうものの塊だったから、騎士なになったのかもしれない。
精霊や聖女に懐疑的というのは、いささか教会で暮らしていくのには息苦しいのだろう。
思えばキリルを保護した時からそうだったか。精霊について、ライナーとエリセが受けた加護について不審に思っていた。それは不可視の者が見えるが故の感情なのか。
まぁ、俺自身も精霊に会って以来、キリルと同じように不信感を覚えているのだが。
「できるだけ俺たちの中心にいて、離れるなよ」
「いいの?」
正直このまま返す方が何かあった時やりきれない。
以前エリセに案内されて森に入った時と同じだ。今回は案内がないし、何なら精霊の住む泉への道を正確に覚えているわけではない。だが、目印があるので帰えることは出来る。
得る物がなくても、失うものがなければ笑い話くらいにはなるだろう。
周囲を警戒しながら森をさらに進んだ先で、人影を見つけた。
女だ。黒い女。しかし、あれは。
「やぁ、こんにちは」
精霊ではない。
いや、それに類するものなのかもしれないが、以前あったあの精霊とは別の存在だ。
あの精霊が漆黒を思わせる黒なら、この女は見る角度によって緑にも紫にも見えるカラスの羽のような黒。何よりあの精霊と別人だと言わんばかりに、この女の頭部には動物の耳を思わせるような突起が付いている。
「あの女に会いに来たんだろう?」
何やら気さくに話しかけてきたその女に、どうにも、あの精霊とはまた違った居心地の悪さを感じる。
「何? あんた」
「私のことは気にしなくていいよ」
キリルの問いに女はカラリと笑って言った。キリルにはこの女が見えているらしい。
精霊は人によって可視不可視があるが、キリルはエリセとは違って見える側の人間だ。
ちらりと部下の方を確認すれば、彼らにもこの耳付きの女が見えているらしく、警戒しつつも困惑している様子が伺える。
つまり精霊の類ではない?
とは言え人間でもないだろう。かと言って魔物とも言い切れないのだが。
「一応確認だが、あの女に会ってどうする?」
あの女、というのは精霊のことでいいのだろうか。
森の中にいる女の心辺りなんて精霊か、エリセくらいだが、エリセは今森に入らない様に言い含められている。
基本的に素直な子だから、聖女ソフィリアに強く言い含められたらそれを破って森に入りはしないだろう。
「この森に出たヤギの頭部を持つ魔物について問う」
「ヤギ、ねぇ」
女が何かを思い返すように呟く。
ゆっくりこちらを品定めする様に視線を寄越した。
「あれが何なのか、知りたい?」
この女は何を知っている?
「なら、付いて来るといい」
静かに頷けばあっさりと背を向けられる。
油断しているわけでも、こちらを信用しているわけでもないのに随分と隙を見せるものだ。今のところこの不審人物についていくしか進展はないのだろう。
「隊長」
「目印だけは途切れない様にしろ」
「わかりました」
正直ロープだけでは心許ない気もするがないよりは格段にマシ。それがわかっているのか部下たちの声もいささか硬い。
キリルも警戒しているのか少し足取りが重いな。最悪部下を付けて先に帰らせるか。
草木をかき分け進む背を追っていけば、不意に女が立ち止まった。
「ついたよ」
そう言った女の視線の先には精霊と、その住処である泉。
隣に出て来て泉の主を覗き込もうとするキリルを見守りつつ、精霊の元へ行こうとして女に無言で止められた。
精霊が立ち上がる。そしてその足元に、何かがずるりと落ちた。
赤黒い粘液に覆われた何かが、うぞうぞと身じろぎするように蠢き、やがてその首をもたげる。
「っ、あれは」
ヤギの頭だ。
「見るな!」
言うが早いか、慌ててキリルの視界を塞ぐも、俺自身の目はアレから離せないでいる。
「なんだ、あれは」
「見ての通りだよ。そのままその子の耳も塞いでおくと良い」
俺の問いかけに、何でもない様に返して女が精霊の元へと歩み寄っていく。
女と共に進むことも、女を置いて下がることも出来ないままヤギの頭をした魔物を見守った。あれが、エリセが見た魔物か。
「やあ、黒き森。満足したかい?」
「あら。ふふふ」
こちらを見て精霊が笑う。
そいつは、精霊と呼ぶにはあまりに淫靡で醜悪な。
「それは、必要?」
女がヤギの頭をした魔物のような何かを指さした。
それにつられ精霊が自分の足元に視線を落とす。そうしてしばらくヤギ頭の魔物を眺めた後、女に向きなおって艶やかな笑みを浮かべた。
「欲しいのならあげるわ、王の娘」
「では貰っておこう」
この様子は、精霊の見えない部下たちの目にはどう映っているんだろうな。女がヤギの魔物の前で独り言を言っている様に見えるのか?
こんな何の意味もないことを考えて現実逃避でもしていないとやってられない。
精霊の許可を得て、女がまた一歩前に出た。
するとどうだろう、何か四足歩行をしたモノがのそりと、女の影から這い出してくる。
一匹、二匹。後ろから見る限り犬、のような何かだと思う。あの粘液とはまた違うぬらりとした体は女の髪と同じ様々な色の変わる黒。
それらが、女の影から這い出したモノが、精霊の足元まで行き、未だ粘液の中で蠢くヤギの頭の魔物に噛みついた。
なんだこれは、いったい何が起こっているんだ。
劈くような悲鳴がヤギ頭の魔物から漏れ出て、腕の中に庇ったキリルの体がびくりと跳ねた。
食らいつき、引きちぎり、嫌な水音が耳にこびり付く。この音を聞かせたくなくて、腕に少し力を込めた。
暫くその様子を見ていた精霊が、突然興味が失せたようにこちらへ背を向け森の中へ消えて行く。
とてもじゃないが、精霊を追う気にはならなかった。それよりもだ。
「何を、しているんだお前は」
キリルを腕に庇ったまま剣の柄に手をかける。
「何って、処分だよ」
淡々と、なんでもないように。
女は答える。
「なんなんだ。お前も、アレも」
「産み直された者だよ」
アレも、私も。
そんなことを言って女はため息交じりに笑った。
意味がわからない。何なんだそれは。
「精霊は気に入ったものを産み直しているんだよ」
言い直されたってわかるわけがないだろう。
むしろ理解なんてしたくもない。
「この森について君も知っていることがあるだろう?」
知らない、と言いたいところだが、来る度に少しずつ丁寧に教えられていた気がする。
以前はずっとこの名前で呼んで来た。村に来て、精霊に遭遇して以来、気が付けば別の名前で呼んでいただけだ。
「村の人間は精霊の森なんと呼んでいるか、君たちは別の名前で呼んでいたはずだ」
先ほどとは打って変わって感情の抜け落ちたような顔で女が唱えた。
「この森の名は」
「迷いの森……」
そう言う名前で呼んでいる。
その名の通り、森に迷い込んだが最後、出てくる者はいない。
この森での行方不明者が増えたために俺にこの森と精霊の調査なんて任務が回ってきたんだ。
「この森で迷った者は、どこへ行ったと思う?」
「待て、やめてくれ……」
聞いてはいけない。
聞くべきでは、聞かせるべきではない。
「全部アレに産み直されたんだ」
ああ、くそ。
何なんだ一体。そんなことあり得るのか? 精霊が、人を産み直す? しかも魔物のような存在に?
意味がわからない。
軽い足取りで、犬のような何かが女の足元に帰ってくる。
尻尾に当たる部分を振っていて本当にただの犬にも見えるのだが、正面から見た姿は口が耳まで裂けていて目がなくおよそ生物とは言い難い形容をしている。
それらを撫でている女を見ながら、詰まりそうになる息を無理矢理吐き出して音を乗せる。
「なんの、為に?」
「どうせ自分の享楽のためにだろう」
吐き捨てる様に女が言った。犬がゆっくりと女の影の中に帰って行く。
以前エリセが精霊も楽しいことを探しているんではないかと言っていたが、本当にそんなことのために。
「人間が思うようなものではないんだよ、アレは」
エリセはつい最近まで森の中で人に遭遇、または物を拾うこともなかったと言っていた。けれど確かにこの森付近での行方不明者は出ていたんだ。
もし、この女の言う通り、精霊が人を魔物にしているのだとしたら?
先ほどまで精霊がいた場所へ視線を送る。そこにはもうヤギ頭の魔物の姿はなく血だまりが広がるばかり。
骨まで食べたのか。これはどちらへ嫌悪を向ければいいんだろうな。
人を魔物に変える精霊へか、元は人であることを知りながら犬にも見える何かにそれを食わせるこの女にか。
どちらにしろもう俺の手には負えない。
さすがにこんなもの抱えきれない。
これを王都へ報告すれば、人間と精霊、あるいは王都と教会の関係は大きく変わるだろう。
精霊がこの女の言う通りの存在であるならば、自分とエリセにかけられた加護も、きっとろくでもないものだ。
ああ、全く。随分と面倒な仕事を押し付けられたものだな。




