29.月影は滲む
xxx
魔王を倒したあの日から私たちはバラバラになった。
いつかは終わりが来るものとはわかっていたけど、こんなにも簡単に。呆気なく離れ離れになってしまうとは思わなかった。どこにいて、何をしているかはなんとなく知っているけど、ただそれだけ。
多分皆考えていたことは同じはず。私たちは、ヴァイオレットを犠牲にして平和を勝ち取った。私たちが求めていた平和は、誰かを犠牲にした上で得る物ではなかったのに、そういう結果にしかならなかった。
魔王が打たれ、国を挙げて喜ぶ人々に後ろめたい気分になって、私は逃げる様にこの村にやってきた。
教会に打診された精霊の監視、および報告の任は私にとって都合が良かった。ヴァイオレットが死んで得た平和も、私と同じように罪悪感を抱えた仲間たちの傍も、ひどく居心地が悪かったから。
村は閉鎖的で、受け入れてもらうまでそれなりに苦労もしたけど、ここで静かに暮らすのもいいと思った。
そうして一人で過ごしていれば、醜い自分の感情を押し殺せるもの。
あの時、一瞬でも私は喜んでしまった。
もうギルバートの隣にいるヴァイオレットを見なくて済むのかと思ってしまった。自分の中にあったはずの聖なる力が弱まっていくのを実感した。皆に力が弱まっているのを知られるのが恐ろしくて、旅の終わりと同時に逃げる様に皆と疎遠になってしまった。
だって、私にはそれしかなかった。聖女の、聖なる力しか私には取り柄がなかった。
教会で人を愛し、世界を愛し、聖女として望まれた私には聖なる力しかなかったはずなのに。それさえ失ってしまったらなんの価値もない人間に成り下がってしまう。
ただでさえ嫉妬や醜い安堵に呑まれたどうしようもない存在になってしまったのに。こんな感情、知りたくなかった。
ギルバートも、ヴァイオレットも大切な仲間だったはずなのに。私は聖女なのに。人々を、世界を愛す存在でないといけないのに。特定の誰かに、こんなにも醜くて強い感情を持ってしまうなんて。
魔道に落ちたのはヴァイオレットではなく、きっと私の方だ。
あれから何年も経った。
ローザは王都に住む子爵と婚姻した。彼女もギルバートが好きだったから、ヴァイオレットのことで何か思うところがあったのかもしれない。
もしかしたら、私と同じような……いえ、きっとそんなのありえない。ローザはいつも真っ直ぐで優しくて、強い人だったもの。私とは違うわ。
アスターは商会を作ったらしい。馬に荷車を引かせて村来た時は驚いたけど、定期的に村に荷物を下ろしてくれる様になったのはありがたかった。
ブルームハルトとアレックスも各々魔術の研究で名を残したり、騎士として大成したりと大義を成している。変わらないのは、私だけだった。
村の外では目まぐるしく状況が変わっていったけど、この村に流れる時間はゆっくりで、心が凪いでいくような感覚だった。
弱まっていた聖なる力も完全にとは言えないけど、少しばかり回復したような気がする。私の中のギルバートへの気持ちが薄まった結果か、それともヴァイオレットのことを仕方なかったと自分自身に言い聞かせ続けたからなのか。
どちらにせよ、あの頃のような強い感情はもう私の中にはない。聖女としての在り方に近づいたような、遠退いたような。それが良いことなのか、悪いことなのかはもう私にはわからない。
ここまで随分な時間がかかった。長い時間をかけてようやく醜い感情を推し殺すことが出来た。
そんな時だった。あの人が、ギルバートが私の前に現れたのは。
年を取って、随分と見た目は変わっていた。それだけではない何かも経験しているようだった。随分と窶れている。でも、一目で彼だとわかった。
連絡は取ってなかった。私は二十の時に王都を離れたきりだったし、ギルバートも長らく旅を続けていたらしい。
ただ、私がこの村にいるのは教会を通せばすぐにわかる。訪ねる自体は容易だった。
教会の中に招いても、ギルバートは多くを語らなかった。何を理由に旅をしてきたのかも、何を考えていたのかも、教えてはくれなかった。
ギルバートが話したのは、話の間ずっと腕の中に抱えていた生まれたばかりの赤子のことだけ。
その子は魔王の受け皿なのだと言う。
旅先で魔王を復活させるために動いている人たちの話を聞き、単身で乗り込んだらしい。随分と無茶をしたものね。
淡々と、どこか感情が抜け落ちたみたいに話すギルバートはなんだか遠い人になってしまったようにも見えた。
なぜ、人が魔王の復活を望む人間がいるのか、とか。魔王の狂信者によって作られた子供とは何なのか、とか。聞かなければいけないことはたくさんあったのに、何も聞けなかった。
記憶の中にいるギルバートは優しい人だった。
私なんかよりもずっと人を愛し、信じていた。そんな彼が魔王の復活を望む人間に相対して何を思ったのだろうか。彼らを、どうしたのだろうか。想像に容易いような、そうであってほしくないような。
ギルバートがその選択を取らざるを得なかったのかと思うと胸が痛かった。もしかしたら、魔王の依り代になるために産み落とされたこの赤子が、彼にはヴァイオレットと重なって見えたのかもしれない。
ギルバートはエリセと名付けた赤子を私に託した後、すぐに村を離れてしまった。
行先は聞けなかった。ただ、やり残したことがあるとだけ言っていた。多分もう会えないと思った。さよならも言えなかった。
私は聖女なんかじゃない。
本当に幸せになってほしかった人を、救えなかった。彼の幸せを願えなかった。
張り詰めたようなギルバートの背中に、なんの言葉もかけられなかった。
ギルバートにとっての私は、どこまで行っても仲間であり友人に過ぎなかったんだろう。彼は決して、あの頃の私が持っていたような感情を私に向けることはないのだと思い知らされた気分だった。
彼と兄妹の様に育ったローザは貴族に嫁いで、子も、既に孫娘も生まれていたから私を頼りに来たんだと思う。
だって、ギルバートが一番信頼していたヴァイオレットはもういない。
ヴァイオレットなら、ギルバートになんと言葉をかけただろう。どういう風に接しただろう。
こんなことを考えている限り私はきっとヴァイオレットの様にはなれないんでしょうね。
エリセと名付けられた赤子を抱いて、ギルバートを見送った足で精霊に会いに行く。
この子にヴァイオレットと同じ轍を踏ませるわけにはいかない。けれどこの子が大きくなった時、私は今までと同じようにいられる? わからない。だから。
この村に来て毎日の様に精霊の住む森に足を踏み入れているけれど、誰かを連れて入るのは初めてだった。私はこれから、魔王でも魔王の信者たちでもなく精霊にこの子を差し出す。この子のためではなく、私自身のために。
「この子に加護を与えてください」
目の前には黒い女。
精霊なんて呼ばれているけどこれは神聖なものじゃない。人間のことなんてどうだっていい。気に入ったものを自分のものにして人形遊びをしている存在。わかっていたはずなのに、今は何もかもがどうでもよかった。
ギルバートが私にだけ託してくれたこの子を、失うわけにはいかなかった。この子を傷付けて、ギルバートに嫌われることだけは避けたかった。
「ギルバートが最後に残した子供です」
この精霊はギルバートを気に入っていた。世界が、私がこの子を害する未来が来ないように。この子が何も知らずに生きていける様に。そんな願いを込めて、悪魔みたいな存在に縋る。
精霊がおもちゃを見つけたように、にんまりと笑った。
「ええ、ええ。可愛くて愚かなあなたのために、この子に加護をあげる」
きっとこの女は私の醜くて自分勝手な心なんてお見通しだったんだわ。
そしてその上で私の要求を呑んだ。
もしかしたら、私はとんでもないことをしてしまったのかもしれない。
でも後戻りは出来なかった。
だってもうとっくに、私も疲れてしまっていたから。




