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20.指輪

xxx


 何度もくり返し見る夢がある。

 それは本当に自分の夢なのか、それとも誰かの夢なのかもわからない。ただわかっているのは、そこが暗くて寂しい場所だということ。


 冷たくて、苦しくて。必死にもがいてもだれも助けてくれなくて、助けられなかった。何度も泣きわめいて、叫んで、吠えて、喘いで。狂ったように取り乱す様は、見ていられなかった。

 時々思い出したように空をかくその腕は明後日の方を向いていて、もう自分が何をしているのかもわかっていないようだ。

 胸をつくような、悲痛な慟哭。懐かしい声だった。耳馴染みのある声だった。こんな形で聞きたくはなかった。


「どうして」


 幾度となくその問いかけを聞いて来た。幾度となくその答えを伝えても、この声は届かない。そのたび泣きたくなった。

 伝えたい人に届かない声になんの意味があるんだろうか。伸びて来た手を掴んでもするりと抜け落ちてしまうのに、握り返す意味などあるのだろうか。すがるような嘆きを聞き続けてどれほど経っただろう。


 泣き崩れる誰かを見下ろして、何も出来ない無力感にどれほど苛まれた。

 救いたかった。救えなかった。何もかもが。自分が、この人がいったい何をしたというのだろう。


 ただそこにいただけだった。それすら罪だったのか。ならすでに罰を受けたはずだ。

 これほどの苦しみが、悲しみが、罰でないのなら自分やこの人の人生は何だったのだろうか。

 答えなんかない。応えなんてない。この思いすら独りよがりなのかもしれない。それでも。


「守りたかった」


 その言葉に浅ましく何度も救われて、自分はこの人に何もしてやれない事実に何度も絶望した。

 守られてた、ずっと。この人さえいてくれればよかった。そんな願いすら叶わなかった。


 痛く、苦しく、悲しい。

 自分なんかよりもずっと苦しんでいるだろう人を差し置いて、泣き崩れることは出来なかった。

 もう自分が誰なのかも、何をしているのかもわかっていないこの人が、また何かに向けて手を伸ばす。


 知っている、わかってる。この人が自分に向けてくれた気持ちは本物だったって。

 何もかもわからなくなっても、わずかに残っているものがあるのだと。そう信じたい。信じているからこそ、この手を離してしまいたい。

 この人との繋がりを示すものは、あの指輪だけ。それすらも失って、何もなくなって。本当にどうしようもない。未練がましいことこの上ない。このままではいけないはずなのだとわかっているのに。


 でも、と目を伏せる。ゆっくり息を吸って、吐き出す。

 どうにもなれないのなら、せめて。


「ちゃんと届いてるよ、母さん」


 きっとこの言葉は届かない。それでも言いたかった。

 自分とこの人がいた証だから。





 音がする。知らない音だ。

 なんだかいつもよりも瞼が重い。それになんだが温かくて、このままもう少し眠っていたい。ダメだってわかってる。起きないと。起きて、移動しないと。でないと、また騒ぎになってしまう。


 抵抗する瞼を無理に開くと、そこは見たことのない場所だった。

 視線の先には木の天井があって、視界の端で知らない奴がごそごそしている。なんだこいつ。

 上手く動かない頭で考える。ベッドだ。なんでベッドなんかで寝てるんだろう。そもそももうずっとベッドなんかで寝てないのに。

 ふかふかって程じゃないけど柔らかい布団に手を付いて体を起こせば、ごそごそしていた奴と目が合った。


「起きた? 気分はどう?」


 女だ。僕と変わらないくらいで黒い服を着ていて、森に隠れていた時に何度か見かけた。でもそんなのはどうだっていい。そんなことより、なんだこいつは。何かよくわからない物がまとわりついている。

 ずっと母さんと一緒にいた僕が言えないのかもしれないけど、こいつも変な物を憑り付けている。それもとてつもなく気持ち悪い物を。

 森にいるのを見た時も思ったが、なんでそんな物をつけて平気な顔してるんだよ。意味がわからない。


「……だい、じょうぶです」


 喉が引っかかって上手く声が出なかったが、なんとか返す。

 何か、してくるわけではないらしい。


「ここ、どこですか?」

「ここは教会。貴方裏の森で倒れてたのよ」


 陽気そうな声で女が言った。教会、というとあの聖女のいる……。

 元々聖女を訪ねるつもりでいた。でもいざこの村まで来たら会う勇気が出なかった。このままじゃ良くないってわかっているのに、あと一歩が踏み出せなくて森の中でこっそりこの村の人たちの様子を伺っていた。

 聖女ならきっと母さんを助けてくれると、そう思ってここまで来たはずなのに。そう考えて、はたと違和感に気が付く。


「母さん?」


 ずっと、すぐそばにあったはずの存在がそこにいない。


「あれはあなたのお母様だったのね」

「どこにいるの? 何か知ってるの?」


 布団をめくり、ベッドを降りる。裸足なのが気になったけれど、それよりも母さんだ。女に詰め寄れば、何とも言いにくそうに視線を逸らされた。

 そしてゆっくりとこちらを見直して女が口を開いた。


「私はおばけとか見えないからちゃんとわかってないんだけど、お婆ちゃん……聖女様がね、お空の一番綺麗なところに導いてくれたよ」


 空の、一番綺麗なところ。ああ、そうか。母さんは、救われたのか。もう、苦しまなくていいんだ。

 それを望んでいたはずなのに、とても苦しい。結局僕はあの人に何が出来たんだろう。何をしてあげたかったんだろう。苦しくて、悲しくて、寂しくて。立っていられなくなる。しゃがみ込んだ僕に女が大丈夫? なんて言ってくるけど、大丈夫じゃないに決まってる。

 だってずっと一緒だった。母さんはずっと僕に憑いて苦しんでいた。助けてあげたかった。解放してあげたかった。ちゃんと話したかった。

 もう、話せないんだとわかってしまった。


「なんで森にいたのか話せる?」

「指輪を落としたんだ」

「指輪なら確かそこにお婆ちゃんが……」


 女が指さした先にはテーブルとその上に置かれた見慣れた指輪。

 綺麗な石が付いているわけじゃなく、細かな細工がされているわけでもないそれは間違いなく母さんが付けていた指輪で。

 拾われてたんだ。だからあんなに探しても見付からなかったのか。


「大事な物なんだね」

「うん」

「もうちょっと早く返してあげられたらよかったね。ごめんね」


 悪い奴ではないらしい。変なのを憑けてるけど。

 こいつに謝ってもらっても仕方ないし、そもそも落としたのは僕だし。それに、聖女には母さんのことお願いするつもりでこの村に来たんだ。


「僕が隠れてたから。それに村の人も騒いでたし」


 隠れている時に聞いたけど、ここの人は皆母さんの話をしてた。幽霊がどうのって。

 前にいた町で似たような騒ぎになって出てきたのに、どうしたらいいかわからなくなって出て行き辛くなってしまった。

 返してもらった指輪を握りしめて息を吐く。知らない間に、全部終わってしまったみたいだ。


 扉を叩く音がして、知らない男が入ってくる。

 しばらく村の近くにいたけど、その間に見たことのない奴だ。でも、こいつもこの女と同じものが取り付いてる。


「ライナー様」

「ああ。声が聞こえたから来たんだが、元気そうだな」

「はい。少しお願いできますか? お婆ちゃんを呼んできます」


 女が僕に手を振りながら部屋を出て行くのを見送ると、今度は男の方が僕を見て笑った。


「起きれるか?」

「はい」

「俺はライナー。王都で騎士をしている」

「えっと、キリルです」


 変な奴。他の村の人にはなかったものを憑り付けてへらへらしている。正直危ない奴にしか見えない。

 この人たちが憑けているものが何かはわからないけど、なんとなく嫌な感じがする。酷いことしてくるような奴じゃなさそうなのが余計に嫌な感じだ。


「よし、なら一先ずベットに座ろう」


 そう言ってライナー、さんは僕の腕を引きベッドに座らせると自分も隣に座った。

 何か話があるらしい。


「君は、あの女性を何とかするためにこの村に来た。でいいのか?」


 確認する様に聞いて来るライナーさんに大人しく頷いておく。

 母さんはずっと僕のそばにいた。生きていたころも死んだ後も。本当は母さんが死んだ時にちょっとだけ離れたけど、すぐに帰ってきてくれた。その時にはもう、傍にいるはずの僕のことが見えなくなっていた。

 それでも最初は名前を呼んでくれていた。僕を愛していると言ってくれた。だんだん、何もわからなくなっちゃったみたいだけど。


「あの女性は君の母親かな?」

「……うん、ずっとそばにいた」

「そうか」


 答えながら、ライナーさんは母さんが見えていたんだなと思い直す。さっきの女は見えないって言っていたけど。

 母さんが見えていた人と、見えない人。同じようによくわからないものを憑けているのに、変なの。


「ねぇ、あなたもあの人も何を憑けているの?」


 何もわからなくなっちゃった母さんとはまた違う。もっとよくわからなくて気持ちの悪いものを憑けながら、なんで普通にしていられるんだろう。

 ライナーさんが少しだけ考えて、困ったように笑った。


「なんだろうな」

「知らないのにつけてるの?」

「有無を言わさず憑けられたんだよ」


 断ればいいのに。やっぱり変な人。

 そんなことを考えていたらまた扉を叩く音がしてさっきの女と、老婆が入ってきた。


 あれが、聖女。

 母さんを、救ってくれた人。

 別れを、言わせてくれなかった人。


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