2.狭い空
同じような風景が続く木々の間を抜ければ、見慣れた教会の勝手口が見えた。
普段は何にも考えず暮らしているけど、すぐ傍が森なのによく村の周りに柵も立てずに暮らしてるよね。時々畑のおじ様たちが入り込んだ動物を追い返したりしてるのに、もうちょっと皆注意した方がいいと思う。
まぁお婆ちゃんに言ったら精霊様の加護だとかありがたい教会の教えを説かれそうだし言わない。
「なるほど、この森は教会の裏手に続いていたのか」
「慣れると便利なんですよ? 野草や木の実なんかも取れるし」
時々一人で食べれる木の実を探して森の中をふらふらするのも楽しい。
森の中はすぐ暗くなるからそんなに長居することは出来ないのが難点かな。大した娯楽もない田舎の村だしそんな楽しみくらい隠し持っていても許されるでしょう。
まぁ、大抵の場合ヴァイオレットに邪魔をされるんだけど。
森を出たからか、ライナー様たちも心無し安心したような顔をしている。森で迷っていたんだし無理もないよね。
カゴに摘んだ野草は後ほど井戸水で洗うとして。勝手口から入りキッチンにカゴを置いて、たまにしか使わない応接室に騎士様たちを通す。
「聖女様をお呼びしますので、こちらでお待ちください」
「すまないね」
「いえいえ。すぐ呼んできますね」
騎士様のお仕事も大変だろうな。
こんな田舎まで月一で来なくちゃいけないなんて。魔物や野生動物が少ないとは言え移動だけで一苦労でしょうに。
「お婆ちゃん、お客さんだよ」
応接室を出て礼拝堂の方でお昼のお勤めをしていたお婆ちゃんに声をかける。
お婆ちゃんは確かに聖女様って皆に呼ばれているけど、日々のお勤めは私とほとんど変わらない。
神様への日々の感謝とお祈りに加え、森にいる精霊様のご機嫌伺いをしているくらい。
ただこれを雨の日も風の日も欠かさず続けてるって言うと、ちょっと重労働だなとは思うわね。
「珍しいね、こんな田舎まで」
「いつもとは違う騎士様がお話があるんだって」
「ああ、もうそんな時期か」
聖女のお婆ちゃんが若い頃は魔王がいて、魔物もたくさんいたらしい。それも魔王が倒されて以降は魔物もめっきり減ったわけで。
だからライナー様たちが魔物に遭遇したって聞いてびっくりしたのよ。
「応接室に案内してるよ」
「分かった。……ところでお前、何かあったかい?」
「あー……裏の森に魔物が入り込んだらしいんだって」
「そう。まぁ心配いらないよ、あの森には精霊様がいらっしゃるからね」
応接室に向かうお婆ちゃんを見送る。
その森に勝手に住んでる奴いるけど大丈夫?
ヴァイオレットのことは置いておいて。
いつものお婆ちゃんへの聞き取りなら、多分今夜はライナー様たちは教会に泊っていくはず。
晩御飯の用意もしなきゃ出しちょっとだけ買い出しに出ようか。
お婆ちゃんは十六の時に勇者様と出会って旅をしたらしい。
つまりちょっと早いけど私にも王子様や勇者様が現れてもいい頃だと思うのよ。
お婆ちゃんにとって勇者様との出会いがその後の人生を大きく変えたように、私にとってライナー様との出会いが素敵なことのはじまりだといい。
痛いくらいの衝撃で息が詰まる、みたいな。
王子様とか、勇者様とか、素敵な恋愛がしたいとか。
村の皆に話せば笑われるし、お婆ちゃんも呆れたように「バカなことを言っている暇があるなら掃除しな」ってバケツと雑巾を渡される。夢見るくらいいいじゃない。
私の空は、いつだって広くない。
冬でもうっとおしいほどに生い茂った木々の合間に見えるものだったり、背中に教会と森を背負いながら民家越しに見るものだったり。
今だって私の空は目の前でめぇめぇ鳴いている羊によって物理的に狭められているし。
「随分といいのをもらったね」
「わかってたら止めるなり声をかけるなりしなさいよ!」
残っていたはずのわずかな空も犬耳女によって塞がれるとかどうなってるのよこの村は。というか本当に何なのここの羊は。
なんで普通に人の上に乗ってくるのよ。めぇめぇ言ってんじゃないわよ。
いくら小さい頃から同じ村で育ったって言ってもちょっと人馴れし過ぎじゃない? 重いし何より、頭突きされたお腹と地面で打った背中が痛いし息苦しいのよ。
「よかったじゃないか、羊と衝撃的な出会いができて」
「物理的な衝撃は求めてないの!」
近くを通る度に前から後ろからと、頭突きをされる私の身にもなってほしい。毎回毎回、引き倒されてお腹の上に乗られるのにはいったい何の意味があるの?
牧場を避けていれば柵を抜け出して追いかけてくるし、私が何したっていうの。
一向にどいてくれる気配のない羊をぐりぐり押してため息を吐く。
「ねぇ、あの森に魔物が入り込んだって聞いたけど……」
「心配してくれるのかい?」
「そんなわけないでしょ」
「おや残念」
思ってもない癖に。
それなりに長い付き合いになるはずのヴァイオレットのことは今一わからない。教会裏の森の中に隠れるみたいに暮らしているくせに普通に村まで来てるし。
そもそも人間じゃないっぽいし。さすがに田舎の村娘の私にもわかるわよ。だって頭の上に犬の耳が付いてるもの。
都会の流行りって言われるとそんな気がしないでもないけど。……え? 違うよね?
「エリセ」
名前を呼ばれて無理に上半身を起こせば羊越しにピーターの姿が見えた。
今、あなたのところの羊にのしかかられているんだけど助けてくれない?
「大丈夫?」
「いっつもこの子に絡まれるの何とかしてほしい」
「エリセは羊に好かれてるね」
「これはなめられてるんだと思うよ」
いつも散歩で近くに来ると突撃してきて人の上に座るのやめてほしい。この羊たちの飼い主の息子である彼にはもうちょっと手綱をしっかり握ってもらいたい。
ピーターのところは鶏とか豚も育てているけど、その子たちは私に体当たりしてこないのに、なんで羊だけは狙ってくるのかしら。
「さっき誰かと話してた?」
「ううん」
ピーターに言われて首を振る。ちらりと視線を後ろにやったけどもうヴァイオレットの姿はなかった。
いつもそう。ヴァイオレットはなぜか私以外の人の前には姿を見せない。
本当に何なのアイツ。
「ふーん。本当はエリセにしか見えない友達と話してたりして」
「やだなぁ、もう。私お婆ちゃんに散々才能ないっていわれてるんだよ? もしすごい力が使える様になったら皆に言いふらす自信がある」
「そういうところが原因じゃないかな」
酷くない?
私だってきっといつかはお婆ちゃんみたいに聖女様の力に目覚めるし、白馬に乗った王子様が迎えに来てくれるんですぅ。それでお姫様みたいなキラキラな毎日を過ごすんですぅ。
「そういえば何か用事でもあったんじゃない?」
「騎士様たちが来たからお肉もらえないかと思って」
「あぁ。俺あの人たち苦手なんだよな」
ピーターは真面目ぶった顔でそういうと私の上に乗った羊を退かして立ち上がらせた。
もう少し早くどけて欲しかった気もするけどこの際文句は言わない。嘘、本当は羊が私に突撃してくる前に止めてほしい。
「いつものおじ様じゃなくて優しいお兄さんたちが来たよ」
「エリセは村の外の人が好きだね」
「別に村の人とか、外から来た人とか、関係ないと思うわ」
確かに前の騎士様たちはちょっと意地悪な感じだったけど、ライナー様や月一で来てくれる行商のアスターおじ様だってとてもいい人だし。
別に村のことが嫌いなわけじゃない。でもそういう村の中とか外とかの境目を付けて生きていくのはとても息苦しい。それにこの先もずっと狭い空を見上げていくのかと思うとなんとも言えない気分になるの。
根拠なんてどこにもないけど、もっとできることがあるはずとか、違う世界を見てみたいとか。ピーターにはそういうのがないのかしら。
「あ、そこ柵が壊れかかってるから気をつけてね」
「はぁい」
服に付いた土や草を払いながら見た柵は確かにぐらついている。
多分羊たちが頭突きや体当たりを繰り返した結果、地面に埋まっている部分が掘られてきたんだと思う。
この牧場を囲む柵が無くなったら、困るのは君たちよ? 魔物もいたらしいし、入って来たらどうするの。
まだ腰辺りに頭を押し付けてくる羊に遺憾の意を込めて軽く叩けば一声鳴かれた。めぇじゃないのよ、めぇじゃ。
仕方なしとばかりに二人と一匹でピーターの家の方に歩いていく。
見上げた空はやっぱりちょっと狭い。