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18.騎士と少女

ライナー視点


「おばけって見たことありますか?」


 神妙な顔で何を言い出すと思えば、おばけとは。

 村に来て聖女の報告も聞き終えた黄昏時。日もすっかり傾いて民家にも明かりが灯り始め、街中よりも少し早い夕餉の準備が始まる。

 俺はというと、道中前回のようなトラブルもなく剣や鎧の整備も早々に終ったのでこれ幸いにと夕食の手伝いをしている。エリセには休んでくれと言われたが、個人的に気になることもあるしな。


 少しばかり強引に手伝いを始めれば諦めたようにエリセが肩を落としたのはつい十分ほど前のことだ。

 今は井戸水を汲み夕食に使う野菜を水洗いをしながら近況報告などと銘打った世間話をしている。森に面している教会の裏手は薄暗く雰囲気があり、話題に上がった幽霊の話をするのは絶好のロケーションかもしれない。


「今のところないが、どうしたんだ? 急に」

「村ではおばけを見たって話で持ち切りなんです」


 それは随分と、平和な話だな。王都で毎日の様に聞こえてくる事件性のある噂よりもずっと健全だ。王都でも少し前に同じ様な幽霊話が持ち上がったが、あれは結局どこぞの貴族の浮気相手が奥方を精神的に追い詰めるために流布した根も葉もない話だったか。

 因みにその浮気相手は世間を騒がせたので関係各所にしっかりと怒られたらしい。と、調査に当たっていた同僚が少しばかり女性不信になりながら教えてくれた。

 世の中色んな人種がいるものだな。


「まぁ噂なんて一過性のものだからな、しばらくすれば落ち着くだろう」

「そうですよね。昼間も村の子と皆気にしすぎじゃないかって話してたんですよ」


 クスクス笑うエリセにつられて笑ってしまう。先月来た時が慌ただしかっただけで、本来は穏やかで特別事件などそう起きないような村なんだろう。

 噂話でざわつきはしてもそれ以上のことはなく、すぐに別の話題でかき消される。彼女はこれからもこれまでも、そんな毎日を送っていくのだろう。それは随分と平穏で、俺と同じ加護を受けた意味がわからない。


「水、もう少し足すか?」

「お願いします」

「わかった」


 井戸から水を汲み上げるのは重労働で、女性や子供ではなかなか大変な仕事だ。だからこうして手伝いに来ているわけだが、中々骨が折れるな。これを毎日何度も熟しているとは恐れ入る。

 使い古しの滑車がキィキィ音を立てて回り、ロープの先に付いた桶を持ち上げた。井戸の水は少し冷たい。

 多少の不便はあるだろうが平穏に暮らしているエリセに必要な加護とは。いや、あの精霊の気まぐれと考えるのが正しいか。案外同じ加護である理由は無いのかもしれない。


「ああそうだ。牧場主への補償金、満額出たよ」

「わぁ本当ですか? よかったです」


 具体的なことは何も聞いていないのかもしれないが、一応エリセの耳にも入れておく。年の近い少年がいたし彼女も気になっていただろう。

 先月の魔物に牧場が襲われた件での補償が出た。一次産業の保護法などという設立当初は形だけの法律になるかと思っていたが、実際にちゃんと動いているところが見れるとは。前例がなかった辺りどういう思惑で作られたかは闇の中だな。


 しかしまぁ、正直ちょっと怖いくらいに上手くいった。上司たちが手のひらを返したような態度もそうだが、聖女の住む村という忖度もあったかもしれない。

 こう人の感性に働きかける何かが精霊の加護だとするなら、エリセには影響はないのだろうか。

 本当に同じ加護だったとして、彼女が誰かに悪感情を向けられることなどあるのだろうか。辺境の村らしく外から来る存在への警戒はあるようだが、幼少期に教会に預けられたらしいとはいえ村で育ったエリセに。

 そこまで考えた辺りでエリセが一息付く。おおよその食材を洗い終わったようだ。土にまみれていたジャガイモもすっかり綺麗なものだ。


「他に変わったところはないか?」

「村に何か起こる方が稀ですよ」


 結局精霊は何がしたいんだろうな。何が目的なのか。この加護になんの意味があるのか。わからないことだらけだ。

 今まで上手くいかなかった相手と円滑にコミュニケーションが取れるのは正直ありがたい。だが、こうも手のひらを返したようにこちらの言い分がそのまま通ると猜疑心が出てくるのは俺の性格が捻くれているのか。

 聖女なら何か知っているのかもしれないが、前回聞きかけてそのまま答えを貰えていないままだ。アスター殿も知らなかった辺り誰にも話すつもりはないのだろうな。


「ああそうだ。後で俺の住所を教えるよ」


 今しがた思いついて様にそう伝えれば、エリセは目を丸くしてこちらを見上げた。

 井戸の水桶を逆さに立てかけ手拭いで濡れた手を拭く。今日はシチューにすると言っていたし鍋の世話でもするかな。


「住所と言っても官舎のものだが何かあったら手紙でも送ってくれ」

「いいんですか?」

「ただ王都とこの村を行ったり来たりの生活だから、すれ違う可能性も大いにあるんだがな」


 この前伝え損ねた、なんて付け加えてそれとなく距離を縮める。全く、嫌な大人だなぁ。聖女に直接聞いても答えが返ってこないのでエリセから聞き出そうとは。

 無垢な少女を利用してようとしている自分自身に、こんなこともできたのかと呆れと嫌悪が頭を支配する。妹とそう年の変わらない少女相手に俺は何をしているんだ。

 迷いの森について調べて来いと言われているとは言え、自分の身に降りかかった精霊という存在について一番知りたがっているのは俺自身だ。


 少しわざとらしくなってしまっただろうかと反省するが、幸いエリセは嬉しそうに笑っている。

 少しだけ胸の内がざわついた気がしたが、気が付かないふりをした。


「そろそろ戻ろうか」


 エリセを促して教会の中へ戻ろうとした時不自然に草木が揺れる音がした。

 反射的に振り向くも、そこには薄暗い森が広がっているだけだ。風は吹いていない。なら何か生き物でもいたか。

 生憎達人が言うような気配を読むなんて高等技術俺には出来ない。精々全体を見渡して微かな違和感を見逃さない様に目を凝らすくらいだ。


「どうしました?」

「いや、そこの草が揺れたような気がしてな」


 耳を澄ませても聞こえてくるのは虫の鳴く音と、二人分の微かな息遣い。後は背後の教会から聞こえる部下たちの談笑くらいか。

 街中ではそんなに気に留めなかったが、こう静かな場所だと確かに物音はよく響く。気のせいか。


「指輪……」

「うん?」

「前に、騎士様が教えてくれましたよね。森に人が入ると忘れ物があるって」


 思い出したようにエリセが森を見たまま話す。つい先月魔物を探して森の中に入った時のことを思い出した。確かにそんな話をした気がする。

 あれはダグラスの故郷の話だったか。人の出入りの多い山や森には何かしら人工物が落ちている場合が多く、迷いの森には行方不明者に対して森が綺麗すぎるのだと言っていた。人の手が入っていないのにやたら滅多に植物が生い茂っていないとも。

 村の住人で森に入るのはエリセと聖女だけらしい。では外から来て森に潜んでいる可能性は? 長期間森に潜伏しているのなら先月魔物が入り込んだ時に何かしらのアクションがあってもおかしくはない。となると、森に入り込んだなら最近か。


「少し前にお婆ちゃんが、指輪なんて持ってたかって私に聞いたんです。教会の中で見つけた物なら村の誰かの忘れ物かもしれないのに、私に聞いた」


 静かな声でエリセは話す。その目はどことなく不安そうで、もしかしたら先月の一件の様に何者かが森の中に潜んでいるの危惧しているのかもしれない。

 無理もない。この平和な村で起こった一大事件だ。大怪我と呼べる物はなかったが多少怪我をした者はいたし、羊たちの被害も出た。気丈に振舞っていてもまだ幼い少女だ心に傷を負っていてもおかしくはない。


「もしかしたらお婆ちゃんが見つけた指輪って森の中で見つけた物なんじゃないかって、今になって思い至ったと言いますか……」


 自身がないのか次第に語気が弱くなって、表情を伺うようにこちらを見た。

 それで不安が拭えるなら否定してやりたいが、俺自身の目で見ていない以上そうだと断定は出来ない。聖女は何も言っていなかったが、何かしらがまた森に潜んでいる可能性もあるのか。

 件の指輪がいささか気になるが、一先ず俺のやるべきことはエリセの安全確保だ。何より今は軽装で武器になるような物ない。


「中へ入って」


 言いかけた時視界の端でゆらりと靄の様な何かが森の中で動いた。一瞬精霊がここまで来たのかとも思ったが、それこそ何のために。

 向きなおった先にいたのは想像とは違う、本当に靄そのもので。害意のあるのかもわからないそれをただ漠然と女だと思った。見た目はおろか実態すらあるかも定かでない靄に向きなおる。

 いったいこれは何なのか。人がいるのではと考えていたエリセに対して出てきたのは不定形の何か。これではまるで先ほど話していた幽霊ではないか。

 目があるのかもわからない靄を見つめてそんなバカみたいなことを考えた。


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