10.見習い修道女
短い距離だったのに変に息が切れた。
何度ももつれそうになる足を必死に動かしてたどり着いた教会には、いつもなら考えられないくらい人がいる。
皆わざわざミサや連れ添ってお祈りに来ることなんてないし、人がたくさんいる礼拝堂ってなんだか変な感じ。
転がるみたいにして扉を押し開けて入って来た私たちを、見慣れた顔の人たちがじっと見て、それから安心したみたいに肩を下ろしていた。
礼拝堂の一番奥で身を寄せ合っている人たちは女の人と子供ばかりだった。男手がないのもあって皆表情が強張っている。
ロバートおじ様は魔物が出たって言ってた。男の人たちはその加勢や避難誘導に行っているんだろう。
今まで村に来るような動物は、畑を荒らしに来る猪だとか野兎くらい。それだって年に一、二度あるかないかでこんな風に皆で避難するなんてなかった。ずっと何事もなく過ごして来たのに、なんで急に。
狼の魔物らしいけど、森の中にいたあの魔物と同じ種類の? でもあの魔物はライナー様が倒してくれたし。じゃああの遠吠えは仲間を呼ぶためのものだった? 森じゃなくて村の入り口から来たのは元々あの魔物が外にいたから?
ぐるぐると考えながら握り込んだままのピーターの手を離して礼拝堂の奥の方へ促す。
「父さん、大丈夫かな」
「お婆ちゃんや騎士様たちが行ってくれたし大丈夫よ」
心配そうな顔で扉の方を振り返るピーターの背中を押して、安心させるように勤めて明るく振舞う。
そういうのも、多分きっと皆にばれてる。でもそうせずにはいられない。小さい村だし皆顔見知りで、だからこそ安心してもらえるようにふるまいたくなる。
お婆ちゃんは魔物は聖なるものが苦手だって言っていた。教会の礼拝堂にいればきっと大丈夫。
……本当に?
お婆ちゃんはこうも言っていた。神様も精霊様も人間のためにいるわけじゃないって。なら、本当に教会の中にいれば安全なの?
不安がないわけではない。お婆ちゃんやライナー様たちを信用していないわけじゃない。
それでもやっぱり怖いものは怖いし、不安は消えてくれない。ただ、私まで不安な顔をしてはいけないのはわかる。
旅をして魔物と戦っていたお婆ちゃんから話を聞いたことがあって、かつ直接戦っているところを見てライナー様たちの強さを知ってる私が胸を張って大丈夫だって言わないと。
たったそれだけで何を知ってるんだって言われちゃうかもしれないけど、何も言わないよりはきっといいはず。
「トニオがいない」
「え?」
不意にピーターが呟いた。
トニオと言えば村長の息子夫婦の長男で今年七つになる。
小さい村だし子供なんて私たちの他にはトニオと三歳のキャシーくらいしかおらず、同性の子供が一人だけというのもあってトニオはピーターによく懐いていた。
そのトニオがいない。よく見れば彼のお母さんも。
勢いよく飛び出そうとするピーターを押し留めて座らせる。
「私が行く」
「エリセ!」
「大丈夫」
自分でも何を言ってるのかよくわからない。
怖い癖に。行ったところで何もできない癖に。大人しくみんなと一緒に小さくなっていればいいのに。
なんでこんなこと口走っているんだろう。
「聖女様に頼まれただろ」
「後で謝るから平気」
何も平気じゃない。昼間森に行けたのはライナー様たちが一緒だったし渋々許可してもらえた。
今度こそ普通に怒られる。お婆ちゃんは言葉こそ荒っぽくならないけど滅茶苦茶怖い顔で滾々とお説教するんだ。昔木登りをして落ちそうになった時散々怒られた。
昔からそう、お婆ちゃんは私が危ないことをしたら怒るんだよ。むしろライナー様たちと森に入れたのが運が良かっただけなのに、また私は危ないことをするんだ。
「教会は聖なるものに守られてるここにいれば皆大丈夫」
前にお婆ちゃんに教えてもらったことを繰り返す。
神様も精霊様も私たちを守ってくれているわけじゃないと知った今じゃ、どこまで信じていいかはわからない。でも、気休めにくらいにはなる。
不信心だって怒るなら目に見える形で守ってから怒ってほしい。
「それに、私は見習いだけど修道女だもの。魔物の方が避けてくれるわ」
皆に笑いかけてくるりと回る。返し損ねたロザリオが胸の上で揺れた。
大丈夫。根拠はなんにもない。でも自分に言い聞かせて、笑って教会を出る。
息を吸って吐き出す。後ろ手で閉めた扉がきちんと閉まったのを確認したら少し足が震えた。
遠くの方で皆が声を掛け合っているのが聞こえる。多分あっちにはいない。いても行けないっていうのが本音。魔物が村の入り口の方から来ているのならきっとロバートおじ様たちが声をかけてくれてるはず。
なら家の方に行ってみよう。少し離れた所にあるし、逃げ遅れたのかもしれない。
首に下げたままのロザリオが揺れる。
今となっては効果があるのかどうかわからないけど、お婆ちゃんに返し損ねていて良かったかもしれない。
急ぎつつも息を殺して見晴らしのいい通りを抜ける。
遠くにわらわらと騒いでいる人と多分魔物の姿が見えた。なんだか少し変な感じがする。
遠目で見た人影は村の人や騎士様たちのものであってるはず。でもその人たちが戦っている魔物の背丈が低くて、遠くてはっきりは見えないけど四足歩行で、狼の様に見える。
確かにロバートおじ様は狼の魔物が出たと言っていた。
でも森にいた魔物は二足歩行していた。じゃああれは何?
「早くしないと魔物がこちらに気が付くかもしれないよ」
っ、びっくりした!
跳ね上がった肩を縮こませて振り返ればそこには犬耳の女が立っている。
「ヴァイオレット」
やめてよ本当に。心臓が止まるかと思ったじゃない。
いつも神出鬼没だけど、何もこんな時に後ろから現れなくてもいいじゃない。
「アンタは大丈夫なの?」
「うん? 何が?」
思わず足を止めてヴァイオレットを見る。
どこも怪我をしている感じはない。けど、何がって反応はないでしょ。今大変なことになってるのくらい見たらわかるじゃない。
「何もないならいいわよ」
静かに笑ってる犬耳女に呆れてため息を吐く。話してる場合じゃないっていうのに。
そういえば狼と犬って何がどう違うんだろう。
多分、ヴァイオレットはあの魔物に関係ない、と思う。犬の耳が生えていて、こっそり森の中で暮らしているだけだし、別に何か変なことしてるわけじゃない。
人間でも精霊でもなさそう。かと言って魔物ではない、はず。
どうせ答えてはくれないだろうと考えていたらヴァイオレットがゆっくりと指をさした。
その先にあるのはトニオの家だ。
「早く言ってあげな」
「わかった」
言われたとおりにそちらに向かって走り出す。
ヴァイオレットは森に帰るのか、それともどこかで過ごすのかわからない。でも多分一緒に来てはくれないんだろうな。
こんな時くらい教会に来て皆といてくてもいいのに。まぁそんなことを言っても笑われるだけだし、何なら振り返ったらもういないと思う。
「トニオ、アニーさん」
「エリセちゃん」
「無事で良かった」
長くもない距離を走って家の扉を開けて放つ。
乱暴に開けるのは良くないけど、緊急時なので許してほしい。
家の奥でトニオを抱きしめて小さくなっていたアニーさんに皆は教会にいること、村のおじ様や騎士様たちが戦ってくれてることを伝えて連れ出す。
教会は村の一番奥、緩い坂の一番上にあるせいでそこまでの道は見晴らしがいい。
そのせいもあってかこちらを見つけた魔物が近くまで走って来た。失敗したな。こういうことがあるかもしれないってわかってたはずなのに。
魔物と目が合った。息を飲む。何か考える間もなくその魔物が横に飛んで行った。すぐそこにはライナー様がいる。守ってくれたみたい。
剣も使っていらしたけど、まさか足が出るとは思わなかった。意外と足癖が悪い。
「何故出てきた!」
飛んで来た大きな声に思わず固まる。
怒ってる。いえ、そうよね。自分で身も守れないのに、勝手にうろうろしてたら折角守ろうとしてくれているのに邪魔になるわよね。
「危ないことはしないでくれ」
「ごめんなさい」
素直に謝ればライナー様が剣を持っていない方の手で撫でてくれた。
心配してくれたのはわかる。確かに危ないことをした自覚はあるもの。
でも、だって、トニオたちが心配だったし。言い訳にしかならないけど。
「走って、あなた方も」
「はい!」
促されるままに教会に抜けてあと少しの道を走り出す。
振り返りたかったけど、少し我慢。この件も含めて後で怒られるんだろうな。これは多分じゃなくて絶対。
私の予想通り事態が収束して帰ってきたお婆ちゃんに問い詰められるみたいにお説教を受けるんだけど、それは日が傾いてからの話。




