1.田舎娘
私の空は、そんなに広くない。
いつも見て育った景色だって小さな田舎の村の中だけだし、今だって空は木々に囲まれてちょっとしか見えない。
丁度そんな暮らしに飽き飽きしていたところだった。
「今日も励んでますなぁ」
「はいはい。手伝わないなら散れ」
今日も今日とて教会の裏に広がっている森で野草を摘む。
木の上でこちらを見下ろしてくる犬耳が生えた女なんて無視だ、無視。
摘んだ野草は薬にするものも多いけど、食べられるのもある。今日の晩御飯は野草のおこわにしようか、衣をつけて揚げるのもいいな。
「おやまぁ酷い。エリセがそんなに酷い子だなんて思いもしなかったよ」
「思ってもないくせに」
わざとらしく泣き真似するのやめてくれる?
大体、この犬耳女はもうちょっと私に感謝するべきなのよ。
何がどうしてかは知らないけど、人目を避けるようにこの森に隠れ住んでいるのを村の皆には内緒にしてあげているんだから。
「あなた面倒臭いって言われない?」
「ここ六、七年ほどは君以外の人間と話した覚えがないなぁ」
「じゃあ間違いないわね。唯一話している私が言ってるんだもの」
溜息を吐き出して、手に取った野草を小さなカゴに詰めていく。
森に入る度、いえ。村の中にいても人目を忍んで構いに来る犬耳女、ヴァイオレットは相変わらず木の上でやる気なさそうに欠伸している。
「眠いなら構うな。構うなら手伝え」
「その木の裏、オオバコあるよ」
……適当な感じで手伝われるのもむかつくわね。
毎回ながらなんで私あんなのに絡まれているのかしら。初めて会って以来、どうしてだか会う度に話しかけてくる。
まぁ。この森に入るのは私か、当代の聖女様であるお婆ちゃんくらいなものだし、人恋しいのかもしれない。
それにしたってもうちょっと絡み方ってのがあると思うわけよ。
「あーあ、どうせ出会うならヴァイオレットみたいなのじゃなくて、王子様や勇者様がよかった」
「いつもの発作かい?」
「発作って言うな!」
お婆ちゃんは十六歳の時に聖女様として、勇者様や賢者様と一緒に魔王を倒すための旅をしていたらしいし、私も後二年したら十六だし。
王子様や勇者様が迎えに来てくれるかもしれないじゃない!
「こんな田舎に王子も勇者も来るかな?」
「ヴァイオレットは黙ってて!」
「おお、こわ」
夢見る乙女の思考に水を差すなんて、この犬耳女はデリカシーってものがない。
そりゃあこの森も村も小さないし王都からもかなり離れた田舎よ? でもそんなのわかってるし、私が一番知ってるし!
「いつか絶対王子様と一緒にこんなとこ出てってやる」
隣国への視察の際に立ち寄った王子様に見初められて、とか。ある日突然不思議な力に目覚めて勇者様と一緒に旅に出たり、とか。あるかもしれないじゃない。
絶対に王子様や勇者様じゃなきゃ嫌ってわけじゃないわ。でも私は素敵な人と出会って、素敵な恋をしたいんですぅ。
「いつかお姫様みたいに幸せになってやる」
「病的だねぇ」
病気扱いするなし。
夢見たっていいじゃない。どうせ辺鄙な田舎なんだし、ろくな娯楽もないんだし。
悪い人ってのはいないけど村はそれなりに閉鎖的だし、国からこの村の教会に派遣されてきたっていうお婆ちゃんも最初は苦労したって言うし。
十六歳になるころには出ていきたい。今のところなんの目処も立ってないのが辛いわね。
「王子様とか勇者様とか、落ちてたりしないかな」
「拾い食いするとお腹壊すよ」
「食べないわよ!」
こいつ私をなんだと思ってるのよ。
ぶちぶち文句を言いながら目に付いた野草を根っこごと引き抜いていく。教会に帰ったら薬にする分と食べる分とを分けなくちゃ。
ヴァイオレットは動く様子もなく木の上にいて、私を眺めている。もう別にいいけど。
それにしても、本当に素敵な出会いが落ちてないかしら。
出会いじゃなくても、何か特別なことが起こればいいとは思ったわ。
だから、草木をかき分けるような音がして何気なく振り返って本当に驚いたわけよ。
まさか本当に野生のイケメンがいるとは思わないじゃない?
「野生のイケメンだわ」
「野生ではないね」
喋った!
いえ、喋るのは普通なんだろうけども!
「この辺りの子かな?」
「あ、はい。近くの村の教会の者です」
え、本当に人?
イケメンと、その後ろにも似たような恰好をした男の人が数人いる。イケメンって、群れを成す生き物なんだ。
というかこの森でヴァイオレット以外の人に会ったのは初めて。そもそもあれは本当に人間かどうかも怪しいわね。だって頭の上に犬の耳が生えているんだもの。
「教会というと、聖女ソフィリア様の?」
「そうです」
やっぱり聖女ってすごいんだ。イケメンにも名前覚えてもらえてるんだもん。
まぁ私にとっては普通のお婆ちゃんだけど。
「失礼、私は王国騎士団のライナー。後ろの彼らは私の小隊の者たちです」
「まぁ、ご丁寧にどうも」
私の前に現れたのは王子様でも勇者様でもなく、騎士様でした。
「修道女のエリセと申します」
慌てて頭を下げれば後ろのお兄さんたちも頭を下げ返してくれた。なんだか、騎士様ってもっと怖いものだと思ってたわ。
実際定期的にお婆ちゃんに会いに来ていた騎士のおじ様はなんか感じ悪かったし。
「ではエリセ。君はこの迷いの森に一人で?」
「そんな風にも呼ばれているらしいですね。でも慣れているんで一人でも大丈夫なんです」
村の人は皆精霊の森って呼んでいて、村の外の人は迷いの森と呼んでいる。人によっては迷うんだとか。この森で迷ったことないからあんまり想像できない。
もう少し奥にある泉の方には精霊様が住んでいて、お婆ちゃんは毎日朝のお勤めの後に精霊様に挨拶に行っている。だから私たち村の人間は精霊の森って言っている。
因みにお婆ちゃん曰く私には全く才能がないらしいので精霊様は見たことない。近いうちに覚醒してスーパーパーフェクトなエリセちゃんになってやるから今に覚えてろと思ってる。
それにしても、ライナー様ってかっこいいな。
金色の髪に緑の目。よくある色のなのにどうしてこうも素敵に見えるんだろう。
王子様や勇者様に会えたらって思っていたけど、騎士様だって十分素敵だと思う。イケメンだし背も高いし。
「森の外までお送りしましょう。と、言えたらよかったんだが、どうにも迷ってしまってね。君さえよければご一緒してもいいかな?」
「もちろん構いませんよ」
こう木が多いと方向感覚もおかしくなるもんね。
別に地形が複雑ってわけじゃないのにここが迷いの森って言われているのは、単に外から来た森に慣れない人が迷ったんだと思う。
精霊様の悪戯だとかも言われてるけど、見えない精霊様よりも日が暮れると動き出す野生の動物の方が困りものだと私は思うのよね。
「ライナー様たちはどうして森の中へ?」
「聖女ソフィリア様へお目通り願おうと訪ねていて来たんだが、道中魔物に遭遇してね」
「珍しいですね、この辺りじゃ魔物なんてそういないのに」
お婆ちゃんに会いに来たってことはいつもの定期報告かな。
聖女様だから仕えているのは神様だけど、属しているのは国とか教会なので時々騎士様が様子を見に来る。
でもこのイケメンのお兄さんは村に来るのは初めてで、前に来ていた人とは変わったみたい。あのおじ様や一緒に来てた騎士様は横柄な人ばっかりだったしちょっと嬉しいかも。
それにしても魔物かぁ。どこかから移って来たのかな。
お婆ちゃんが旅をしていたころは魔物も多かったらしい。まぁそれだってもう何十年も前だし、少なくとも私はこの辺りで魔物なんて見たことない。
何なら畑や牧場を荒らす野生動物の脅威の方が身近なくらい。
「心配ないぜ、嬢ちゃん。あの傷じゃそう長くないさ」
「そうそう。逃げられさえしなければ隊長が仕留めてくれただろうし」
ライナー様の後ろに控えていたお兄さんたちが頷きながらそんなことを言っている。気さくな人達で安心した。
若い方ばかりだし皆仲が良さそうだ。
「村の人はこの森によく来るのかい?」
「いえ、朝に聖女様が来る以外では私が野草を摘みに来るくらいですね」
一瞬ドキリとした。多分顔には出ていないはず。
村の皆はもちろん、お婆ちゃんにもヴァイオレットのことは話していない。
からかっては来るけど悪いことをしてるようには見えないし。森で静かに暮らしてるだけなら、わざわざ言いふらす必要もないじゃない?
ただあれは多分人間じゃない。
精霊でもない。でも魔物かと言われると、ちょっとわからない。
とりあえず頭に犬の耳が付いている人間はいないし人間じゃないとは思う。
王都のことや自分たちのことを楽しげに話してくれる騎士様たちに話しながら村へと歩き始める。
ちらっと見た木の上には、わかっていただけどもうヴァイオレットはいなかった。
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