2.隣国ダグラス
ダクラスの大神殿に転移すると、数人の神官が出迎えてくれた。
「ようこそいらっしゃいました」
柔らかで、でも力強い声。
ルークス様!本物!と慌てて頭を下げる。ドキドキと心臓が大きな音を立ててうるさい。静まれ、静まれと念じながら口を開く。
「お出迎えいただき、ありがとうございます」
良かった。噛まなかったわとホッとしながら顔をあげると、思いの外ルークス様が近くにいたので、心の中で悲鳴を上げた。
きゃー!近い!近いわ!!
莉奈、目の前にルークス様が居るー!!
緑がかった黒髪は神がかって美しいし、金の瞳は吸い込まれそう。穏やかな笑みを称えた顔は同じ人間と思えない。神?神なの?と脳が許容範囲を越えた。
プスプスと頭から煙を出しながら、ルークス様が差し出した手を握り返す。少しひんやりしているが、大きくてゴツゴツしていて、男の人の手だわ。
「神官のルークスと申します」
「サブリナ・モランです。この度はご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします」
そろりと手を離しながら、笑顔で挨拶をする。手汗かいてなかったかしらと、ひやひやしながら、キーラと場所を変わる。
「キーラ・ダンです。よろしくお願いいたします」
「うん。よろしく」
キーラ、あなたこの国宝級の顔面を目の前にして平常心でいられるなんて凄いわ。驚いていると、ルークス様が私の荷物を持とうとしてくれていることに気付き、慌てて静止する。
「ル、ルークス様!」
「お運びしますよ?」
「滅相もない!自分で運びますから!」
ルークス様から荷物を奪い取るが、重さでよろけてしまう。しまった、転んじゃう!痛みに構えて体を強張らせたが、一向に地面に辿り着かない。恐る恐る目を開くと、ルークス様の顔が至近距離にあり言葉を失った。
「大丈夫ですか?サブリナ……様?」
無理。最推しに不可抗力とはいえ、抱き抱えられるなんて。予想外の出来事に私は気を失った。
気が付くと夕方だった。神殿に着いたのは昼だったので、数時間も気を失っていたみたい。見慣れない薄暗い部屋をキョロキョロを見回す。神殿の近くにある修道院かしら?ベッドが二つ、ライティングデスクと椅子も二つあるから、二人部屋ね。キーラと同じ部屋よねと不安に思っていること、部屋の扉が開いた。
「サブリナ様、大丈夫ですか?」
見習い神官服に身を包んだキーラが水差しとコップが乗ったトレイを持って部屋に入ってきた。恥ずかしい。穴があったら入りたいと考えながら、ベッドから立ち上がる。キーラは机にトレイを置くと、心配そうな顔をして近づいてきた。
「えぇ。ありがとう」
「やはり、婚約破棄騒動の心労が……」
「え?」
その言葉に固まる。婚約破棄騒動って、マーカス殿下とのことよね?
「あのクソ王子たち、許せません」
グッと拳を握りしめたキーラからドス黒いオーラが見える。違うのと弁明しようとするが、キーラはよほど腹に据えかねていたのか早口で話し始めた。
「何なんですか、アイツら!サブリナ様がお優しいからってやりたい放題!あの女を構っている間、自分たちの仕事を誰かが代わりにやってるか分かってるんですか?!ベネディクト殿下とクリストファー様たちですよ!それに、アイツらと遊んでいた間のあの女の仕事を肩代わりしたのは、サブリナ様とロベルタ様です!なんでサブリナ様がこんな目に遭わなくちゃいけないんですか!!」
大声で一気に捲し立てたせいか、キーラはぜぇぜぇと肩で息をする。こんなに怒ったキーラは初め見た。いつも冷静沈着だけど優しいキーラ。どうしよう。
「サブリナ様!」
「ありがとう、キーラ」
私のことを家族だけじゃなくて、キーラも心配してくれていたなんて、嬉しくて泣いてしまう。ぐすぐすと泣くなんて貴族令嬢失格だが、オロオロとしながらもキーラが抱きしめてくれた。優しい花の香りがして気持ちが落ち着く。ありがとう。とても嬉しいの。
「嬉しいの。ちゃんと私のことを、家族以外にも心配してくれてる人がいて」
物語の強制力なのか、私が婚約破棄と国外追放を言い渡された後に連絡をくれる人はいなかった。悪女だから仕方ないと思っていても、やはり心は傷付く。
「サブリナ様。私以外にも、サブリナ様が素敵な方だと知っている方は沢山います」
「ふふ、ありがとう」
指先で涙を拭って笑顔を作る。きっと上手く笑えてなくてぎこちないだろうけど。キーラがハンカチを差し出してくれたので、ゾッと目元を押さえて涙を吸わせた。
「さあ、神官服に着替えましょうか」
ライティングデスクの上に置かれた見習い神官服を撫でる。想像していたよりも手触りがいい。キーラが手伝おうとしてくれたが、一人でも着られるようなワンピースタイプの服なので断って着ていた簡素なドレスを脱いで着替えた。頭にベールをつけるが、前髪が出てしまうので、ピンでとめようかと思ったが、キーラも前髪が出ていたのでそのままにする。
「変じゃないかしら?」
「サブリナ様、お美しいです」
「え、本当?ありがとう」
ルークス様も綺麗だと思ってくれるかしら?と邪な考えが浮かび、ブンブンと頭を振った。いけない、いけない。推しに何を求めてるのよと顔を赤くする。お姿を眺められるだけでいいのよ。といっても、黒い小川の浄化をしなきゃいけないから、これから頻繁に顔を合わせるのよね。心臓が持つかしらと小さく溜め息を吐いた。
「キーラ、皆さんへの挨拶は夕飯の時だったわよね?」
「はい。そう伺っていますが、私は先に魔法陣制作室へ挨拶に行ってきます。サブリナ様はごゆっくりなさってて下さいね」
「わかったわ。気をつけてね」
キーラが一礼して部屋を出ていったので、トランクを開けて標本ケースを近くに置いて、祈るふりをしながら莉奈の記憶を視聴する。
フローレスは一神教の一つ、拝一神教で、ダグラスは多神教。近隣諸国は拝一神教が殆どで、ダグラスは少し浮いた国だ。
マーカス殿下は私をダグラスに送ることで、他の神を信仰したと異教徒に仕立て上げたいのかもしれないと思ったが、そうでもないらしいとなんとなく思う。物語の中では賢そうに見えたが、現実はそこまで頭が回るタイプに見えない。宰相の子息がブレインとして頑張っていたのかもしれない。最後に呆れたのか泥舟に乗るのをためらったのか、手を貸さなかった可能性が高いわね。尻拭いお疲れ様と彼を労る。
大神官であるルークス様の真の姿は金星、明けの明星を司る神だ。金星の男神は悪者にされがちなのよね。美しいしいから?
黒い小川は異端とされた為に傷付いたり怒った神や信者たちの負の感情が流れ出していると言われている。定期的に綺麗な小川に戻っていたが、最近はずっと黒いままらしい。そこで、強い浄化の力をもつカレン様がダグラスを訪れてルークス様たちと黒い小川を浄化する旅に出ることになるのだが、私が送り込まれた。
本来の物語では、マーカス殿下たちとの交流をカレン様はほぼ突っぱねて浄化の力の習熟度を上げていくが、現実は男爵家の子女。王族や高位貴族たちの申し出を無下にはできない。カレン様がどう考えていたのか分からないが、彼らは自分たちに好意があると勘違いして付き纏い、浄化の力の習熟度を上げる機会を奪っていき、私に習熟度を上げる機会を与えることなった。お陰でロベルタ様と仲良くなれてよかったけど、物語の結末は変わらないといいなと思う。
こつんと指先で標本ケースをつついた。
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