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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

鬼食いの娘

作者: よよてば

 ヤコは鬼食いの娘だ。


 ヤコの村は貧しい村で、田畑よりも山の恵みに頼って生きていた。男も女も子どもも、山に分け入り、獣を獲ったり、木の実や草を集めて暮らした。

 だが、山は恵みを与える一方で、災いをもたらすことがある。うっかり毒を口にした村人が何人も死んだ。ほかに食べるものがない村にとって、毒は何よりも恐ろしいものだった。

 そんな時、一人の女が村を訪れた。長い旅の間に飢えた女は、命からがら村にたどり着いたのだという。実りの時期を過ぎた山は、女のために恵みを残していてくれなかった。

 村人は女を不憫に思ったが、与えられるようなものは毒かもしれない木の実だけだった。どのみちこのままだと飢えて死ぬだけだ、と村人は女に木の実を与えた。女は木の実をたいらげると、けろりとした顔で言った。


「これは毒の味がします。皆さんは食べてはいけません」


 女のことばに村人は驚いた。女は生まれつき、毒が効かない体なのだという。だから毒を食べられる上、毒の味がわかるのだという。村人たちはそんな女を恐れながらも、女に頼み込んで、山の恵みの毒見役として村にとどまってもらうことにした。それが村の鬼食いのはじまりだった。

 まだ京に都があった頃、天皇さまに差し出すお屠蘇の毒見をすることを《鬼食い》と呼んだそうだ。だから村人たちは毒見役の娘を、鬼食いの娘と呼んでいた。


 時が経ち、何が毒で何が食べられるのか分かり、村の田畑がうるおい始めると、鬼食いは毒を持つ女として村人から避けられるようになった。村の厄介者である女のもとには、これもまた厄介者といわれる村で一番怠け者の男が転がり込んでいつの間にか一緒に暮らすようになった。やがて子どもを産み落とした。女と同じく毒が効かない子ども、それがヤコであった。


 村はずれのおんぼろ小屋にヤコはひとりで住んでいた。女は子どもを産むと、それまで食べてきた毒がよみがえったのか、長く生きられなかった。ヤコの父親は、村の中で疎まれながら幼子を育てていくのに疲れたのか、はたまた他の女のもとに走ったのか、まだ幼いヤコを棄てて村を出て行った。

 それ以来、ヤコは花盛りの娘の時期である今にいたるまで、たったひとりで暮らしていた。


 ある秋の日、かごを背負ったヤコは、薬草を求めて普段足を踏み入れない山の奥をさまよっていた。村の子が高い熱に倒れたのだ。ヤコの母も、ヤコも、その体質のおかげで、薬草をどれくらい与えたら人を癒し、あるいは死に至らしめるのかわかっていた。そして村の薬師としても働くことで、なんとか村人たちから食べ物や必要なものを分けてもらっていた。

 よく効く薬草は山の奥の奥や、危ない場所に生えていることも多い。村人たちも、そんな仕事を厄介者に押しつけることができて助かった。もし鬼食いの娘が、薬草のために足を滑らせて死んだとしても、それまでのことだった。


 それにしても、とヤコは山の木々を見まわした。今日はなんだか山の様子がおかしい。ひそひそ、ざわざわ、葉ずれの音がまるでささやき声のようだ。落ち葉を踏む度に、胸の奥がやけにむずがゆくなる。

 その時、何か重いものがぼとっ、とヤコの背負いかごの中に落ちた。ヤコはあわててかごを下した。蛇だったら大収穫だ。蛇は酒につけたら薬になるし、その身を食べることもできる。わくわくと籠をのぞきこむと、そこにあったのはよく熟れたアケビの実だった。

 アケビの実を手に取ったヤコはぎくっとした。実にはたった今かじられたような、人の歯型が付いていたのだ。

 ヤコはアケビが降ってきた方を見て、息をのんだ。高い木の上に子どもがいる。子どもといってもヤコよりひとつふたつくらい年が下なだけの、男の子だった。何より目を引くのは、子どもの、秋のもみじのように赤い肌だった。鬼だ、とヤコは思った。こんな色の肌をしているなんて鬼に違いない。


「あんた、鬼か」


 ヤコのことばに子どもはどんぐりまなこを輝かせて笑った。


「そうだ。おらぁ鬼だ。鬼だぞ」


 鬼の子の声はずいぶんとしわがれていた。滅多に口を開かないとこういう声になる、とヤコは身をもって知っていた。ヤコは震えをこらえて言った。


「あたし、鬼食いだ」

「鬼食いたあ、なんだ」

「鬼を食う娘のことだ」


 しれっと嘘をつくと、鬼の子はますます嬉しそうに手を叩いて、木の上で跳ねまわった。


「鬼を食うのか、おめえ。じゃあおらのこと食ってみろ」


 鬼の子がぎしぎし木を揺らして、普段届かない場所にある木の実がぼろぼろ地面に落ちてきた。アケビではないが、ヤコはそれを拾って、背負いかごに入れた。


「今日は木の実があるから、食わね」

「その木の実は毒あるぞ」

「鬼も食えりゃ、毒も食える」


 踵を返すヤコの背に、鬼の子が叫んだ。


「鬼食いは、鬼よりおっかねえ!」


 その声をかき消すように、風がごうっと吹いて草木がゆれた。むせかえるような秋の香りのむこう側で、鬼の子の笑い声がした。


 その日からヤコは、山に入る度に鬼の子を探すようになった。鬼の子はなかなか見つからなかった。いつでも鬼の子の方がヤコを見つけて、「よお、鬼食い!」と笑う。ヤコが鬼食いと呼ばれても嫌じゃないのは、鬼の子だけだった。

 鬼の子はヤコの頼みを聞いて、ヤコには採るのが難しい高い場所や、崖のそばにあるような薬草を採ってくれた。お礼に、ヤコはなけなしの米で握った小さなにぎりめしを鬼の子と分けて食べた。ヤコはいつしか、鬼の子と会うのが楽しみになっていた。


「おめえが毒を食えるのは生まれつきか」


 鬼の子とにぎりめしを分け合うのが当たり前になった頃、鬼の子がたずねた。ヤコは小さく、そうだ、と答えた。


「あんたの肌が赤いのも生まれつきか」


 ヤコが問うと鬼の子も、そうだ、と答えた。


「なあ、あんた、本当に鬼なのか。ツノもないし、それにおっかなくねえ」


 ヤコのことばに、鬼の子は、今度は何も言わずににぎりめしにかぶりついた。ヤコはその横顔を眺めて、自分もにぎりめしをかじった。ぼそぼその米は、それでもしっかり噛めば甘かった。しばらくして鬼の子が口を開いた。


「鬼の肝が万病の薬になるって聞いた事あるか」

「ない」

「鬼の爪が虫くだしになるって話はあるか」

「ない」

「鬼の骨が毒になるって話は」

「あんた、毒なのか」


 驚くヤコに、鬼の子はようやく笑った。


「そうだ。鬼は毒にも薬にもなるみてえなんだ。おめえ、鬼食いなんだろ。いつか確かめてくれな」

「あたしが食うより、売った方がよさそうだな。万病の薬なら高く売れるだろうよ」

「売らねえでくれや。おらが食われていいのは、おめえだけだ」


 そのことばにヤコは何故かのど元がきゅうっと詰まった。そしてあんまり心臓がうるさいものだから、誰かが慌てて走り去る足音に気付かなかった。


 その夜、珍しく山が明るかった。村の若い衆が、たいまつ片手に夜の山に入っているのだ。まるで何かを探しているようだった。

 村はずれに住むヤコには村の噂話は聞こえない。きっと村の子が山で迷子にでもなったのだろう、と思い、ヤコは寝床に入った。


 その夜、ヤコは変な夢を見た。

 どんどん、と戸を叩く音がして、夢の中のヤコは眠い目をこすりながら戸をあけた。そこには、いつもなら絶対に山からおりてこない鬼の子が立っていた。透き通った月の光を受けて、赤い肌が燃えるように輝いている。ヤコは胸の奥が締め付けられるような気がした。


「入りなよ」


 ようやくそう言うと、鬼の子は薄く微笑んだまま首を振った。そして、そっとヤコの前髪に触れた。ヤコは驚いて目を閉じた。鬼の子の熱い指が、ヤコのまぶたを優しく撫でる。耳元で、鬼の子の声がした。その声は雪の日のたき火よりあたたかで、若草の香りをのせた春風よりもやさしかった。


「鬼を食うのか、おめえ。じゃあおらのこと食ってみろ」


 ヤコがハッと目を覚ますと、家はまだ夜の闇に沈んだままだった。ヤコは思わず首を振って鬼の子を探した。


「なあ、あんた。鬼。鬼」


 鬼の子の返事はなかった。その代わり床板の上に、屋根の隙間から差し込む月明かりに照らされて輝く白い骨が一本、ごろりと転がっていた。

 まだ夢を見ているのだろうか。ヤコはおそるおそる、骨に指を伸ばした。指先が触れたか触れないか、というくらいで、骨はぽろぽろと小さなかけらになった。

 ヤコはそのまま、脆い花びらのような骨を舌の上にのせた。噛み砕く歯がきしむようだった。ざりざり、口を動かすたびに、背筋が凍る。やっとの思いで、ひくひくと息が詰まるのどの奥へ骨を飲み込み、溜息とともにヤコはつぶやいた。


「初めて鬼を食べたども、案外しょっぱいもんだなあ」


 ぐい、とぬぐった頬に、指先に残っていた骨の粉の白い線が残った。

 こうして、ヤコは本当に鬼を食った、《鬼食い》の娘となった。


 ヤコが鬼を食ったことは、村の若い衆の口から村中に広まった。若い衆が言うには、あの夜、村のために鬼を退治しようとしたところ、鬼は「おれを退治できるのは鬼食いだけだ」と言って、ヤコの家の方に飛んで行ったという。あわててヤコの家に向かった彼らが見たものは、うつろな顔で骨を食べるヤコの姿だった。きっとあれは殺した鬼の骨を食べていたんだ、と若い衆は言った。

 その噂話はヤコの耳にも入ってきたが、でたらめだ、とヤコは知っていた。彼らは村のために鬼を退治しようとしたんじゃない。金もうけのために鬼を殺したのだ。

 やがて、彼らのうちの一人が死んだ。何か強い毒でも食べたらしく、ヤコがどんな薬草を使っても救うことはできなかった。それ以来、若い衆はヤコを見る度に青い顔をして、目をそむけるようになった。彼らの誰かが大金を得た、という話はいつまで経っても聞こえなかった。


 しばらくして、ヤコは誰の子ともわからない子どもを産んだ。ただ、ヤコは子どもを産んでも、母のように死ぬことはなかった。毒より強い鬼を食べたからだ、と村人たちは噂して、ヤコを恐れるだけでなく、どこか尊敬のまなざしを寄せるようになった。

 ヤコの子どもは、夕暮れ時になると目がもみじ色に輝くこと以外、何の不思議もない、ただの子どもだったという。

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