賢者のもとへ
リリスは鍵束から、今度は緑色の鍵を取り出すと門に差し込み呪文を唱えた。
門を開けて向こう側に足を踏み入れたとき、リリスたちを待っていたのはウサギ姿の獣人たちだった。
「よくぞ、お越し下さいました! リリスさま!」
村中のウサギ姿の獣人たちがリリスの前に集まり、頭を下げて出迎える。自分に向かって皆が一様に礼をしている光景に、リリスは一瞬、固まった。
これがロップ族の集落に行くのが、なんとなく気乗りがしない理由だった。
彼らはリリスが来ると仰々しく出迎えてくれる。それがなんとも気恥ずかしい。
一人の老いた獣人が杖をつきながら、リリスの前に歩み出た。
この集落の村長だ。リリスは頭を下げた。
「出迎え、ありがとう。後ろの人間はシオンという。悪い人間ではないことは私が保証する。この集落に人間を滞在させることをどうか許して欲しい」
「娘のミモザから連絡を受けていたので承知しておりますとも。賢者さまにお目に掛かりたいのですね。ではどうぞ、こちらへ。人の子もこちらへ」
ロップ族の集落は山間にあることもあり、自然に根付いた暮らしをしている。
遠くには共同の畑があり、そこで雑草をむしっている村人たちの姿が見えた。リリスに向かって手を振っている。リリスも手を振り返した。
そしてリリスたちは村長の家に招かれた。
ロップ族の家はかまくらのような丸っこい形をしている。連れてこられた村長の家は、他の村人の家よりも大きく作られていた。
「堅苦しい挨拶はかえってリリスさまのご迷惑になってしまいますかな。賢者さまをお連れしますので、少々お待ちを」
一室に案内され、村長が立ち去った後、リリスはミモザに尋ねた。
「ミモザ、私たちが来ることを彼らに知らせていたのか?」
「ええ。こっそり来たところですぐにバレてしまいますわ。だったら前もって伝えておいた方がかえって騒ぎが少ないというものです。……シオン坊ちゃんもそんな固くならなくていいんですよ。ここは私の実家ですから楽にして下さいね」
見ると、さきほどまで妖精の話を聴いて目を輝かせていた姿とは打って変わり、イスに座ったシオンは緊張しているようだった。
「実家…?」
「ミモザは村長殿の一人娘なんだ」
シオンに説明していると、村長が戻ってきた。
「賢者さまは今、眠られているご様子。お目覚めになるまで少々お待ち下され」
彼は手に持っていた植木鉢をリリスたちの目の前のテーブルの上に置いた。そこには小さな苗木が植えられている。
「では、私はお茶とお菓子の用意をしてきますね」
ミモザもまた村長の後ろについて部屋から出て行ってしまい、室内はリリスとシオンの二人きりになってしまった。
いきなり静かになった空間で、リリスは気まずさを感じていた。
結局、アイツの生まれ変わりとどう向き合えばいいかという問題に、まだ答えが出ていなかったことを思い出す。
――どうしよう。
「……随分と慕われているんだな」
リリスが何か話をしなければ…と悩んでいる間に、ポツリとシオンが呟いた。
「驚いたよ。みんな、リリスさまリリスさまって。お前、偉いんだ」
「いや、私は…」
「左様。そこのハーフエルフの娘は皆にとっての大恩人なのじゃ。ウサギたちは先の大戦に参加していないのに巻き込まれてしまってのう。戦火で燃え盛る集落から住人を助け出してくれたのがリリスじゃ。ウサギたちにとっては里の救世主よ。頭も自然と下げるというものじゃ」
「だ、誰だ!」
自分たち二人しかいないと思っていた室内からいきなり第三者の声が聞こえ、シオンは驚きイスから立ち上がった。
「落ち着け。賢者さまだ」
リリスもまた立ち上がり、シオンの肩を軽く叩く。そして頭を下げた。
「お目覚めになられましたか、賢者さま。急な来訪、失礼いたします」
「ほほ。そう固くならずとも良い。わしにとってもおぬしは命の恩人じゃからな」
しゃがれた老人の声が、快活に笑っていた。
リリスはテーブルの上に置かれた植木鉢を…正確には植えられている苗木に向かって紹介した。
「賢者さま、この者はシオン。今、私と契約を結んでいる人間です。シオン、こちらが賢者さま。妖精王だ」
「……葉っぱじゃん」
シオンは見たままの真っ当な感想を述べた。リリスは軽く咳払いをする。
「話せば長くなるが…。魔王との戦いの時代、妖精たちが住んでいた妖精郷は魔獣の瘴気が原因で彼らが住める環境ではなくなってしまった。妖精たちは故郷を捨てたが、妖精王殿だけは留まることにした。体を樹木に変え、長い年月をかけ大気を浄化しようとしたんだ。妖精たちが帰ってくる前に、ロップ族がやってきて集落を作ってしまったんだが…」
「じゃあ、ここって元妖精郷だったのか?」
「いや妖精郷は…」
「我が故郷は先の大戦に巻き込まれ燃えて無くなってしまったわい。ここは元々、以前の集落が燃えたことでリリスが用意してくれた避難所じゃ。それをウサギたちが時間をかけて新しい集落にしていった」
リリスの代わりに、賢者が説明をした。
「わしの体は先の大戦で燃えてしまっての、命が尽きる前にリリスに助けられたのじゃ。だから今は苗木になっておるというわけじゃ」
「元の姿には戻れないわけ?」
「戻り方を忘れてしもうた!」
「………大丈夫なのかよ、このじいさんは」
シオンが胡散臭そうなものを見る目で苗木を指差す。妖精と聴いてイメージした姿ではないから落胆しているようでもあった。
「賢者さま。実はお聞きしたいことがあります」
リリスは事情を説明した。
シオンが勇者の生まれ変わりだということ。
彼は記憶を思い出す前の日常に戻りたいから、前世の記憶を消したいと自分に依頼してきたこと。
そして妖精王が、冥府の番人であった娘の前世の記憶を消したという伝説を見つけ出したことを。
「賢者さま、あなたが娘に飲ませた霊薬の作り方を、どうか私に教えていただけませんか?」
「厳密に言うとあの霊薬の作用は前世の記憶を消すのではなく、二度と思い出さぬように封印するといった方が正しい。……しかしのう。あれは妖精の秘術。多種族に教えるのは御法度じゃ。だがおぬしには命を救ってもらった借りがある。どうしたものかのう…」
ううむと賢者は小さく唸ると、沈黙した。
しかし、しばらく経ってから流れてきたのは寝息だった。
「すぴー、すぴー」
「寝るんじゃねえ! このボケ葉っぱ!」
シオンが突っ込みを入れた。
おい寝るな、起きろと呼びかけながら植木鉢を揺さぶり、植えられている苗木も揺れる。
リリスがそろそろ止めようとしたとき、部屋の扉が小さく開いていることに気がついた。その隙間からひそひそと話し声が聞こえてくる。
「あれがリリスさまと一緒に来た、人の子?」
「見えないよ~」
「馬鹿、押すなって…。うわあ!」
扉が開き三人の子どもの獣人がなだれ込んできた。
「お前たち…」
子どもたちは起き上がると、わらわらとリリスに近づいてきた。
「リリスさま、賢者さまとお話終わった? 遊んで! まほう見せてよ!」
隠れていたのが見つかってしおらしくするのかと思いきや、彼らは開き直って堂々と近づいてきた。リリスはそのたくましさに笑ってしまった。
「ごめん、まだ、お話は終わってないんだ。……そうだ、シオン。この子たちと遊んできてくれないか?」
「え? 俺? ……でも何をすれば」
「普通に友達と遊んでいるようなことをすればいいよ。さあ、お前たち、このお兄ちゃんと一緒に外で遊んでおいで」
子どもたちは顔を見合わせた。集落の外にまだ出たことのない彼らは、人間を見たことがない。好奇心もあってのぞき見したのだろうが、実際に人間を前にするとどうしたらいいのかわからないのだろう。
少しモジモジとしていたが、リリスに促されたのもあって、彼らはシオンに近づいた。
「あそんで、にーちゃん!」
「行こっ!」
「って、おい!」
子どもたちはぐいぐいとシオンの手を引っ張って、部屋から出て行った。
リリスはその光景を微笑ましく見送った。室内にまた静寂が戻ってきた頃、賢者が声を発した。
「あの子が勇者アスターの生まれ変わりか。懐かしいか?」
リリスは賢者が狸寝入りをしていることに薄々勘づいていた。
おそらく彼はリリスと二人きりで話をしたいから、寝たふりをし子どもたちが入ってきてシオンを連れて行くまで待っていたのだ。
「いいえ。アイツの生まれ変わりでも、魂が同じでも、シオンはアスターとは違います。懐かしいとは思いませんよ」
「本当に?」
賢者の声音は、先ほどまでの好々爺とした雰囲気が消え去り、重々しい王のそれに変わっていた。
「リリスよ。本当は前世の記憶を思い出して欲しいのではないのか? アスターはそなたの初恋の君であろう?」
「な…!」
瞬時に、リリスは耳まで熱くなった。
「ななな何を仰るのです、賢者さま! あ、アイツはただの友人! それ以上でもそれ以下でもありませんよ!!」
「かまをかけてみただけなんじゃが…。なんじゃ、図星か」
「だ、だから図星ではありません!」
「リリスよ」
動揺しているリリスを、妖精王は一声で止めた。
「わしは想い人と会えない辛さを知っておるよ。わしが前世の記憶を封印したあの娘もそうだった。あの娘の嘆き悲しみをわしは聴いた。リリスよ、おぬしは辛くないのか? あの娘と違い、ヤツの魂はおぬしの元に戻ってきておる。……シオンがアスターの記憶を思い出せば、もう一度再会できるとは思わんのか」
「………」
外から子どもたちの笑い声が聞こえてきた。窓に近づくと、中庭で子どもたちが遊んでいた。シオンがボールを蹴って、ロップ族の子どもたちが追いかけていく。
先ほどまでどう接していいかわからないという風だったのに、シオンはすぐに彼らと打ち解けたようだった。
シオンは声を上げて笑っていた。この里に来てから、いや屋敷に連れてきてからずっと、しかめ面で隙を見せようとしなかった子が、普通の子どものように笑っていた。
その笑顔を見て、リリスは胸が暖かくなった。懐かしいものを見たような気持ちになった。
「あの子は今まで普通に暮らしていました。紋章が現れ、力に目覚め、勇者の生まれ変わりであるということが発覚したせいで普通の暮らしを送ることが出来なくなってしまったのです」
リリスは窓辺からそっと離れ、賢者と向き直った。
「今はもう魔王はいない。女神に縛られる必要もない。せっかく生まれ変わったのです。戦いなど関係ない平和な生活を送っても良いではないですか。……だったら、前世の記憶など思い出さない方がいい」
……そう。それでいい。リリスは自分にそう言い聞かせた。
「それにアイツがいなくなって、もう165年経ちました。悲しみなんて忘れてしまいましたよ」
「……そうか。ならば、これを使うといい」
苗木は細い枝を揺らした。二枚の葉がはらはらと落ちてきて、リリスは床に落とさないように慌てて掴んだ。
「魂に刻まれた記憶を忘れさせるのは、妖精の魔力があってのことだ。その葉にはわしの魔力が込めてある。使うといい」
「良いのですか? 秘術を教えるのは…」
禁止されているのではと言おうとして、賢者は遮った。
「わしは材料を与えただけじゃ。おぬしが自ら霊薬の作り方を突き止めるのなら、何の問題も無いじゃろうて」
それに、と彼は続けた。
「咎める同胞はいないからのう」
賢者の声は寂しげに聞こえた。
「お話中すみません、賢者さま、リリスさま!」
扉を叩く音がしたかと思ったら、返事も待たずにミモザが扉を開けた。
彼女の慌てように、リリスは何かが起こったことを察する。
「どうした?」
「た、大変なことになりました! 外に来て下さい!」